風の庫

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北陸現代詩人賞贈賞式・背景
 5月18日(第3土曜日)に、第14回「北陸現代詩人賞」贈賞式と、県出身の現代詩作家・荒川洋治さんの芸術院賞・恩賜賞の祝賀会が催され、共に出席したので、まず「北陸現代詩人賞」贈賞式の報告をする。
 北陸3県(福井県・石川県・富山県)在住者ないし出身者が昨年末まで2年間に発行した詩集の内、大賞・奨励賞を若干名に贈る賞である。
 贈賞式は、福井新聞社ホールで、午後1時より催された。参加者が2年前より少し少ないようで寂しい。
 上の写真は、後援の福井新聞社の挨拶である。同賞実行委員会を代表して、増永迪男さんの挨拶、新聞社より選考経過報告があり、贈賞に移る。
 大賞に中村薺さんの「かりがね点のある風景」と、北条裕子さんの「補陀落まで」、奨励賞に杉原美那子さんの「トランジット」と、千葉晃弘さんの「降誕」が受賞し、それぞれ賞状と副賞、正賞のガラス工芸品が贈られた。
 選考委員を代表して荒川洋治さんが講評のあと、詩論を述べた。散文と詩の違いは、吉本隆明は意味と価値だと「言語にとって美とは何か」で書き、大岡信は伝達と提示だと書いた。荒川さんはもっと単純化して、散文は社会のもの、詩は個人のものだと述べた。国木田独歩の言葉「僕は驚きたいのだ」を添えて。

 受賞者4人が、それぞれ謝辞を述べて、式典を終えた。
北陸現代詩人賞贈賞式・パーティ
 その後、ノン・アルコールの記念パーティに移る。オレンジジュース、ウーロン茶と共に、サンドイッチ、ケーキなどが供され、それぞれが思い思いに飲食した。上の写真は、発言者の関係で、立っている人がいないが、それぞれ飲食を楽しんでいる。左端が切れているが、参加者全員である。
 乾杯の後、受賞詩集よりの著者朗読があり、友人よりのお祝いの言葉があった。
 3時頃に、閉会となった。
 写真は共に、人物にピントが合っていないが、プライバシー保護を兼ねて、それで良いと思っている。登壇者等のアップ写真は、別に撮ってある。



 5月17日(第3金曜日)の午前に、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第56回を持った。同・第55回は、先の4月19日の記事にアップした。
 実は僕は、約束の9時半に25分、遅刻した。夜1時半に眠りに就き、8時半に目覚まし時計を設定したのだが鳴らなく、9時33分にTさんより僕のスマホに電話があって目覚め、急いで用意して家を出た。
 僕がアイスコーヒーを注文し、歌誌の貸し借り、返却をした。
 短歌研究会Aは、お互いの詠草の検討会である。

Mさんの10首より。
 1首めの「雲雀らの囀り弾む」を「囀りしきる」に直すよう、Tさんが提案した。
 3首めの上句「新元号になれど吾には変はりなく」を「令和へと移れど吾に変はりなく」に直すよう、Tさんと僕が提案した。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。

 3首めの上句「夜の雨に色冴え冴えと咲く藤の」の雨が昨夜の雨だということで、字余りだが「昨夜(よべ)の雨に」にするよう、僕が提案し、持ち帰って考える事になった。
 4首目の初句2句「漂ひて和やかなるもの」の「和やか」を、「にこやか」と訓んでほしいという事だが「なごやか」と訓んでしまうので、自分から「柔やかなもの」に直した。他に何ヶ所か。
僕の10首より。
 2首めの、ブログ記事を予約公開の歌は、2人にピンと来なかったようで、没。
 10首めの4句「われに呉れる妻」は字余りなので、「吾(あ)に」に直すよう、2人から提案された。他に何ヶ所か。

 検討会の後、僕の今期1ヶ月分の詠草90首近くを2人に読んでもらい、感想をもらった。
 僕の遅刻にかかわらず11時過ぎ、次の会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 

 石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、歌集「鼓動以後」の2回めの紹介をする。
 今月12日の記事、同・(1)に次ぐ。
概要
 僕は歌集「鼓動以後」と称しているけれども、この編の扉には「歌集」の文字はない。単行本歌集として刊行されていない。歌集「鼓動」以後の没年に至る1,359首を、全歌集に一括して収めた編である。
 今回は、483ページ「昭和62年」の項より、504ページ「昭和63年」の項の「師を偲ぶ会」の章までを読んだ。
感想

 付箋を貼った7首に、寸感を付して、感想とする。
雲か霧か峡の紅葉をよぎり行く冷えしるき朝をカーテン繰れば
 会津に旅しての、美しい旅行詠を成した。
奥嵯峨のこは祇王寺か入りゆけば一宇閑雅なり茅葺にして
 旅行して名所の現実を観ると、新しい感慨がある。無常観も感じているようだ。
師の悲報至るたりなりあわててはならじと思へど身の定まらず
 師・宮柊二は、1986年12月11日に亡くなった。「宮柊二先生逝去」の、挽歌の大連作を成している。
先生のおん身燃ゆるかがうがうと炎(ひ)の音は鳴るわが胸のうち
 同じく火葬場の場にて。大歌人の最期と共に、大結社の折り目を、感じたか。
花のもと飲み且つ歌ふが花見にてあまつさへカラオケ鳴らせるもあり
 歌人として桜の名歌を願うのとは、かけ離れた世情である。
今生の母との別れす夕あかね来迎光(らいがうくわう)と車窓より見て
 母の今際に間に合わなかったが、「母逝く」の挽歌連作を残した。
師を偲ぶ会とし思へど立ち動き落ち居がたしも裏方われは
 1988年の発表。結社の裏方として、落ち着かないまま、実務をこなしたのだろう。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



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