風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。

 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊)より、2番目の詩集「植物の断面」を読み了える。
 最初の詩集
「月が出る町」は、今月13日の記事に紹介した。
 「植物の断面」は、1929年(昭和4年)、厚生閣・刊。
 序文で百田宗治が、春山行夫の詩論を多く引いて、短く論じている。その引用された言葉の1つに、「意味のない詩を書くことによつてポエジイの純粋は実験される。」がある。
 モダニズム詩集として、シュールリアリズム(超現実主義)、ダダイズム(反文明・反合理的な芸術運動)、オートマチズム(自動記述法)、カリグラム(文字をグラフィックに配置した詩)、映像主義(シネポエム)などの詩編を収める。
 モダニズムは狭義に、第1次世界大戦後、1920年代の前衛的動向を指す。
 言葉の無意味化の果て、こめられた幼げな感情は、ボキャブラリ的に中産階級の優越感と、形式的には崩壊への危機感のみのように、僕には思える。
 ヨーロッパでファシズムが興っており、日本共産党への弾圧も繰り返された時代だった。翌1930年には、愛国勤労党・結成、ナチス進出などがあり、戦争の足音が聞こえたのだろう。
 「白い少女」の語を、6段14行重ねた詩は、カリグラムだろう。
 モダニズム詩として、有名な1編がある。「* 白い遊歩場です/白い椅子です/白い香水です/白い猫です/白い靴下です/白い頚です/白い空です/白い雲です/そして逆立ちした/白いお嬢さんです/僕の Kodakです」。映像主義とウィットが、無意味からわずかに救っている。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


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 綜合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2017年6月号を、ざっと読み了える。本の到着は、今月15日の記事にアップした。
 特集の「現代版、本歌取り」では、先行作から語句を借りて来るのではなく、以前の別の作を連想させ重ねながら読ませる作でなければ、という点が強調される。歌集は読んでいても、ほとんど暗誦できない僕にはお手上げである。10氏の「本歌取りに挑戦」競作は読み応えがあった。
 小谷奈央「沼杉」20首より。
やったことひとつずつ消しやらなかったことはリストにそのままのこる
 to do リストか何かだろうか。便利さのために用いるアプリなどが、後ろめたさをもたらす現代の逆説を描く。
 さいとうなおこ「寒い」12首より。
考えも顔も異なる妹とおもうがフルーツポンチをたのむ
 似ている点と似ない点を挙げる妹に、違和感を持ちつつ、指摘するでなくスルーしてしまう冷静さが描かれる。
 新連載「小島ゆかり・正木ゆう子の往復書簡」第1回は、俳人・正木ゆう子の書簡であり、中身も熊本地震に関わる「熊本日日新聞」への投句が多く語られて、今1つ身が入らなかった。
 高野公彦インタビュー特別編「20の質問」では、「日課」「座右の銘」「よく見る夢」等の問いに答えている。身近に感じられ、本編と共に貴重な資料となるだろう。




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 5月16日の(記事は5月17日付け)短歌研究会のおりTさんより借りた、桑原正紀・第8歌集「花西行」を読み了えた。
 現代短歌社・刊、2017年4月・2刷。444首を収める。
 桑原正紀(くわはら・まさき、1948年~、「コスモス」選者・他)は、妻の介護詠を詠み続けている。共に教師の妻が、2006年春、脳動脈瘤破裂に見舞われ、1時は生死も危うく、植物状態の怖れもあったが、歌人の献身的努力により、現在は手助けを得て階段を登れるまでに回復した。しかし近い時の記憶が残らないようだ。
 介護は、「妻へ。千年待たむ」(2007年)、「天意」(2010年)の歌集を生んだ。
 「花西行」にも介護詠は多いが、自身の65歳・教員定年、東日本大震災、政治、他も深く詠まれる。
 僕は18枚の付箋を貼ったが、例により7首のみ引く。
足取りの確かになりてもう誰も危ぶまず見る妻のリハビリ
今日妻は調子がいいのかわるいのか鼻唄まじりにご飯を食べる
継母(はは)の死を負ひて生き来し甥つ子が四十の年に父になるといふ
「全共闘」「バブル」を生みて老いなびく世代に功、罪いづれか重き
ふと見るとケーキ取り出し食べてゐる妻がみんなの笑ひを誘ふ
質問のひとつひとつに思慮深く答ふる妻よ脳病むと見えず(新聞のインタビュー)
頂きし花束の中のユリの香にむせてくしやみす 良き教師たりしか





 

 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、歌集「虹ひとたび」を読み了える。
 前歌集
「春祷」は、今月9日の記事にアップした。
 歌集「虹ひとたび」は、1969年6月、角川書店・刊。
 題名は、川端康成の小説「虹いくたび」に因んでおり、本人の快諾を得た、と後書「をはりに」にある。
 この歌集は、7つの能に題材を採った連作群である。かつて歌集「火の系譜」の「火の系譜」3つの章で試みられたが、今回は7章286首の群作である。
 古代からの情念と、近代知性の乗り越えから、新しい地平が開けるだろうから、能を題材に短歌を成す事は好ましい。ただ記憶にあるのみだが、馬場あき子が能を題材とした連作より、情念が弱いようだ。経験と時代にも、拠るのだろうか。
 以下に7首を引く。
いちにんの思ひ遂ぐるさへよしなきにいづべの恋になびかむものぞ
決断をせざりし愛か破邪さへもなしがたくして苦しむわれは
母こひてをらむ切なさ騙されてゆきしひよわき子を思ふとき
鐘の内に身をかくすとも生霊の偏執祓ふ手だてはありや
豹変のわざもつものら栄えゐむ暴風雨が潮を捲ける南崖
あはれまれたくなき愛とおもひつめゆけば拮抗の硬き夜なり
暗きかがやきを知る傲慢か老いの日に孤(ひと)り屈葬のかたちに跼む
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



 昨日(5月16日、火曜日)の午前9時半、メンバー3人がある喫茶店の1隅に集まり、短歌研究会A第35回を持った。
 
同・第34回は、先の4月19日の記事にアップした。
 研究会Aは、各自の詠草の検討である。
 その前に綜合歌誌「歌壇」5月号を、僕がMさんに渡し(その後にTさんも読む)、僕が斡旋しTさんが購入したある歌集を、Mさんが読み了えて持って来ていたので、僕が借りた。
 検討は、Mさんの10首より。「風に揺蕩ふ」は、「風にたゆたふ」と平仮名が良いのではないか。「わが思ひ和ぐとばかりに…清しく咲けり」は、「和ぐ」が自動詞なので、他動詞「ほどく」に替えて、「白き花群」が思いをほどく、という文脈にした方が良いだろう。ある歌の4句目が「早苗田に悠然と」と大きな字余りなので「田に悠然と」で(前の句に「植ゑ終へし」とあるので)良いのではないか。等々を提案した。
 次いでTさんの9首。結句が「みんな優しい」と「皆がら優し」と2案あって、初句が「訪ねれば」と口語調なので、初めの案にする、とTさんも納得した。「畑の辺(はたのへ)の」を「畑隅に」に直そうかと自分で言い出したが、前の句に「来(きた)る」とあるので「畑隅に来た」の意になるので、僕は反対した。
 僕の8首。「手の首の」が「手首の」では字足らずなので無理をしたのだが、「手首」を電子辞書版広辞苑第6版で調べたら、「腕首」とも出ていたので、それに替えた。「今の腰痛も」は、Tさんが「この腰痛も」と7音に収まるよう直してくれた。ブログを巡る歌は、わかりにくいようだった。ある2句目の「うまくゆかざりし」を、Mさんが「不具合なりし」の7音に直してくれた。
 そのあと、僕の40首ほどの詠草を2人に読んでもらい、感想をもらった。
 次の研究会の日程を決め、11時近くに散会した。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


 

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