風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。


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 8月26日(土曜日)の夜方、妻と二人で、玄関近い軒下に寄って、手花火をした。
 毎年8月のしまい辺りの休日に、二人で手花火を楽しむようになって、3年目である。
 なお題の「131歳」は、僕が67歳、妻が64歳、合わせて131歳の洒落である。
 妻は「24時間テレビを観たい」など言いながら、30分ほどを付き合ってくれた。
 ホームセンターで買い求めた、安めの手花火で、ロケット型はなく、火花が弾けるタイプと、火花が放射するタイプがあった。
 上の写真は、火花が弾けるタイプである。

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 上の写真は、火花が放射するタイプである。
 コンデジの「花火仕様」で撮ったが、打ち上げ花火とは違うらしく、また手花火の写真は初めてなので、ずいぶん下手な写真になった。
 131歳の手花火であって、火遊びではないので、言い添えて置く。
 最後は、弾けるタイプの大きな手花火を妻が持って、喜んで褒めていた(写真はない)。
 こうして老夫婦の、夏を送る儀式は終る



 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、手書き本詩集「水の黄昏」の2回目の紹介をする。
 
同・(1)は、今月17日の記事にアップした。
概要
 前回のしまいの「宝石の盗人」に続く、「秋と印度人」(378ページ)より、詩集しまいの短詩連作「花 花」(407ページ)に至る、21編を読み了える。
感想と引用
 エキゾチシズムの作品が続くが、宗教の関わる「暗い窓」に至ると、とたんに暗くなる。末連4行を引用する。
あてどもなしに生きて来た
私は一匹のさまよふ小蟻のやうだ。
私はいまは夕暮れのむかふの国へ行かうと思ふ。
私の頭の上にはもう玉虫も飛ばない。
 「美しい公園」は、孤独なモダニストの真情のようである。初め1連4行を引く。
私は今日も美しい公園へ行きたい
躑躅でいっぱいの池のほとりに
古びた腰掛(ベンチ)は私を待ってゐるであらう

私はやさしい柳の下で魚のやうに考へてゐたい
 短詩「別離」は、「左様なら」「もういヽかげん忘れてしまほふね」と繰り返し、敗北の予感のようだ。
 短詩連作「耶路撤冷(イエルサレム)春秋」では、
基督よ 私に銀の星落ちた馬槽を与えたまへ!
 の1行を書いて、キリストの再来たらん、あるいは恩寵を受ける稀人たらん、とするかのようだ。ただし終行は、次のようである。
基督よ樹なく煙なく王女ない私の耶路撤冷に雪ふらせたまへ!
 この初期詩集の意味のある詩編には、ポエジーを感じる。
 なお引用中、正字を新字に替えた所があります。
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写真ACの「童話lキャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。


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 先日、「水脈の会」から贈られた、同人詩誌「水脈」60号を、ほぼ読み了える。同・59号の紹介は、今年4月14日の記事にアップした。
 記念号とは謳っていないけれども、招待作品、詩への思いをおもに集めた随筆欄、会・代表の巻末の「水脈六十号を迎えて」、「編集後記」がその祝意をあらわしている。
概要
 先の「水脈六十号を迎えて」に拠ると、1991年に創刊されている。「編集後記」に拠れば、会員18名、読者会員16名という事である。
 「詩人会議」系の福井県の詩誌として、力を発揮している。
感想
 招待作品では、W・本爾さんの「どこまでも いつまでも」にも心打たれる。力の籠もった、勇猛な想いを描く。それも遣り場のない怒りを、暗喩の世界で表わしている。
 同じく招待作品、A・菜ずなさんの「呼吸」は、遺作であろう。2017年7月26日に、亡くなった。生き方に、癌に、悩んだ人生だった。終い2行は、「私の魂は 嗚呼/今日も呼吸している」。
 N・千代子さんの「分断」に注目。政治は、大衆の政治離れの中で、悪化する。それも反権力側の無力に、幻滅する事から来る。
 詩のエッセイで、同じくN・千代子さんの「料理と詩」は、詩作を料理にたぐえ、材料を集め味付け彩りも考え、作るという。理路整然とし過ぎていて、全面的には肯いがたい。

引用
 I・冴子さんの「母を送る」が、細かく描いて、挽歌としてとても優れている。長い詩なので、とぎれとぎれの引用で拙いが、許されたい。

  母を送る

 母が死んだ
たった三十九日間の入院で
……
髪の手入れを欠かさなかった母のために洗髪を頼む
眼をつむったまま、実に気持ちよさそうだ
……
次の日も青空が広がって
「やっぱり晴れ女やねえ」と声があがる
……
「太陽の下で長い間よう働いたもの」
「どこもかも、やっと楽になったねえ」
あれこれ話しながら、軽くなった母を拾う
……
思いがけず激しく雪が舞っていた
「名残り雪だね」
きっと母が降らせたのだと、みんなが泣いた

母が死んだ
いのちには限りがある
最後は一握りの骨になる
そう伝えて、母は逝った






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