風の庫

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 10月14日(第2日曜日)、午後2時より、第13回「苜蓿忌(もくしゅくき)」が催された。
 昨年の
第12回「同」は、10月9日に催された。
 苜蓿忌は、郷土の故・詩人・広部英一さん(思潮社より、全詩集あり)を偲ぶ忌祭である。
 上の写真は、旧・清水町のきららパークで、詩碑前の碑前祭である。
 参集者は、碑前祭のみで帰った方を含め、約40名だった。
 実行委員のMさん、次いでKさん(詩誌「木立ち」の編集長を継いだ)の挨拶、K・Tさんによる広部さんの詩の朗読、献花、献本(詩誌「木立ち」関係)を以って碑前祭を了えた。

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 次いで隣接する「きらら館」の1室に移り、偲ぶ会(茶話会)が持たれた。
 Mさんの司会のもと、Kさんの挨拶、県ふるさと文学館館長の挨拶があった。Mさんの指名で、6名が広部さんの思い出を語った。
 いったん休憩に入り、広部さんの実弟によるハープ演奏が1曲(時間が押していたため)弾かれた。
 その後、4名の語りがあり、Mさんの「他に話したい人は?」に僕が手を挙げた。旧ブログ「サスケの本棚」にて、「広部英一全詩集」の各詩集、未収録詩編は何回かに分けて、拙い感想をアップした事を述べ、皆さんも感想を文章化する事を勧めた。
 これでもって、偲ぶ語りを了えた。故・詩人の夫人より謝辞があり、全体集合写真を撮って、偲ぶ会は4時半にお開きとなった。


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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、5番目の句集、皆吉爽雨「泉声」を読み了える。
 今月8日の記事、
西本一都・句集「景色」に次ぐ。
概要
 原著は、1972年、牧羊社・刊。420句、後記を収める。第9句集。
 皆吉爽雨(みなよし・そうう、1902年~1983年)は、初め「ホトトギス」に投句、1922年・同系の「山茶花」創刊に参加、1946年に俳誌「雪解(ゆきげ)」を創刊・主宰した。
 福井県出身であり、県ふるさと文学館で、郷土文学者の展示などに入るが、その点ではあまり評価されていないようだ。
感想
 「雪解」の言葉に「自然諷詠に彼岸の浄土を追求する。」があり、宗教的感覚が入ったようだ。
 社会性俳句、前衛俳句ではなく、伝統俳句の人として、例えば60年安保、70年安保にも恬然として、己の句境の深まりだけを願ったのだろうか。
 今の僕は、その平穏な境地が1種、羨ましい。過去は帰らないけれども。
 また多くの者に背を向け、見殺しにして、文学、特に俳歌に何の意義があるだろう、という思いもする。
引用
 以下に5句を引く。
もろ肩に錣(しころ)重畳武具かざる
堆書裡に古扇風機吾としづむ
買ひさげし棒のごときも苗木市
ねはん図の嘆きのかぎりなくて辞す
しぐるるやよべ祝(ほぎ)うけし花は壺に
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


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 砂子屋書房・現代短歌文庫「藤原龍一郎歌集」より、初めの「夢みる頃を過ぎても」を読み了える。
 入手は9月9日の記事
「届いた2冊」で、同・歌集(正)(続)を挙げた。
概要
 彼は1952年・生。1971年・慶応大学入学。1972年に早稲田大学に移る。1971年。「短歌人」入会。
 原著は、1989年、邑書林・刊。
感想
 この歌集は、政治の季節に遅れて来た青年の、悲壮な情熱が虚しい現実に置かれ、悶える歌群である。
 19歳から37歳に渉り、大学卒業、就職、フリーランサー、AMラジオ局のディレクターと移り、彼にも挫折はあったのだろう。
 幾度か書くのだが、僕がもっと早く短歌を詠んでいたなら、苦しい青年時代を過ごさなくて済んだだろう、という思いがある。現実には1987年の「サラダ記念日」以後数年を経て、1990年、40歳頃に短歌を始めたのだった。高校生時代、文芸部の先輩が残した部誌に「若水の」などとあると、古く平凡だと見下げていた。もっと早く、短歌の力に気付くべきだった。
 知っている芸能人、固有名詞があり、同年輩の熱い歌集として、これから読む優れた歌集も楽しみである。
引用

 以下に7首を引く。
散華とはついにかえらぬあの春の岡田有希子のことなのだろう
世紀末そのAMの黄昏に「亡びて永遠(とわ)に」などと気どれば(マリオン前)
夢に顕つ見返り美人、月に雁、びいどろを吹く女とは何?
人生を八面体のサイコロにたとえ意味なき悲秋の都
土砂ぶりの雨の紫陽花色褪せて比喩で語れる人生なんか
いつか時代は季節となりて身辺に咲く花の色鳴く虫の声
テクノ・ギャル、美食家(グルメ)、通り魔、凍死せる浮浪者、歓喜の市を飾りて




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