風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 青幻舎の文庫版「北斎漫画」(全3巻)の第3巻「奇想天外」より、第2章「故事拾遺」を見了える。
 先行する第1章「狂態百出」は、先の10月23日の記事にアップした。リンクより、過去記事へ遡り得る。



 「故事拾遺」は、94ページ~164ページの、71ページに渉る。
 小節はなく(再編集したものなので)、ベタで太公望より始まる。古代中国の人物、伯楽、顔子、曽子、子思、周公、朱子などは目にした事もあるようだが、張子、程子、周子、などになると判らない。あるいはネットでググると、判る人物もあるかも知れない。ただ変換で出て来ない、手書きしなければならない漢字の名前があり、また時間的制約があり、興味の範囲があり、すべて調べる事は困難である。当時の庶民には、知られていたのだろう。
 韓退之は詩人の韓愈(かんゆ)である。東方朔は、前漢の政治家である。読み取れない(字が小さいので)名前も多い。孔明、関羽などの略図もある。僕のイメージと違う図も多い。
 116ページより日本編に入り、宮廷人(公家、女房?)、平正門(将門)、仏御前、阿倍仲麻呂、俊寛僧都、小野道風、楠(木)正成、小野小町、其角、西行法師、山部赤人など、時代を構わずに並べる。文屋康秀、藤原忠文など、調べると面白いだろう人物もいる。
 最終164ページは、天下泰平と題され、正装の公家が海に祈る姿である。何か謂われがあるかも知れない。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 思潮社・現代詩文庫242「続続 荒川洋治詩集」より、「詩集<北山十八間戸>全篇」を読み了える。
 先行する、「詩集<実視連星>から」を読む、は先の10月20日に記事アップした。



 実は僕は、詩集「北山十八間戸」が鮎川信夫賞を受賞した時、書店より取り寄せて読んでおり、2017年4月5日の記事にアップした。


 それより、どれだけ読解が進んだかわからない。彼は技術の威嚇論によって戦後詩を切り捨て、IQ高官論によって同輩詩人を切り捨て、詩集「あたらしいぞわたしは」や「ボーセンカ」シリーズで、孤独な道を進んだ。詩「かわら」で「僕もまた政治家なので/文学も出世の手段としか考えない」と語るに至る。
 「北山十八間戸」の冒頭「エンジンについて。/表現の構成要素について。」は、彼の表現意欲の発動点と、二重性格的な面を(「グラムの道」には「性格はひとつになりたい」の1行がある)、表したのだろう。「どこにでも小さな商店のある日本」と一人の僧による「中世の救済院」、ともに人の世のあわれだろう。
 「外地」では竹島や色丹島を、政治論ではなく詩化しようとする。末尾「和傘をひらく」と古い日本寄りを暗示するようだ。
 「赤江川原」は中世の、「近畿」は戦時中の占領地の、日本的心情を、現代の自分が感じているようだ。
 境地は1種清しいらしく、「錫」などに社会的に向日的な行もある。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 先の10月28日の記事、ふくい県詩祭で頂いた3冊、で紹介した内、同人詩誌「角(つの)」第51号を読み了える。


 今年7月11日の記事に、同・第50号を読む、をアップした。



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 第51号は、2019年9月5日、角の会・刊。詩は12名12編、散文で特集・第二回蝸牛忌の3名3編を収める。
 O・雅彦「やむやの淵の記憶」は、塩冶(やむや)の淵の岸辺で、詐計を用いたヤマトタケルに敗れるイヅモタケルに、自分をなぞらえる事で、自分の人間性と反権力性を表現している。
 K・悦子さんは「夏のソネット」を寄せる。県内の同人詩誌で最近、ソネットを散見する。僕のソネットに倣った訳ではないだろうが、詩ではソネットばかり書く者として、ソネットの隆盛を願う。
 Y・清吉さんの「ぽかんの刻(とき)」は、「いつからか知らんが/なーもかんじん/なーもおもわん」と始まって、「ただぽかんと静かに/何かを待つ 己がいた」で締める。老耄の心境を開示して、新しい詩境を拓いた。

 特集・第二回蝸牛忌では、同人外ながらK・不二夫さんの「蝸牛忌の鼎談から「ワキ的位置に立つ詩人 岡崎純」」に不満である。鼎談の直前の、先輩詩人・定道明さんの講演(長年の交流、実地検証、長い考究による実証的なものだった)を、K・不二夫さんが否定して、印象批評を述べた事に反発を感じた。本文では「作家論的に語れない弱みから、・・・」と認めている。
 また岡崎純さんのエッセイ「詩人のワキ的存在について」から、詩集「重箱」「藁」の作品を能になぞらえているが、不十分である。ワキ(主に僧)が、浮かばれぬシテの霊を、誦経などにより魂鎮めして、成仏させるのが、能のストーリーである(僕は朝日古典全書「謡曲集」全3冊を読んだ)。能になぞらえるなら、ワキ(詩人)がシテ(家族や農民の魂)を呼び出すだけでなく、詩化する事で鎮める、岡崎純の初期作品である。



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