7月13日にダウンロードした、輿部タマキ「副業!?キンドル出版だろ!」kindle unlimited版を読み了える。
今月14日の記事、海河童「さるでもできるKindle電子出版2018」に次ぐ。
この本では、「さるでもできる・・・」で書かれていた、何回ものファイル変換は要らないとされる。「さるでもできる・・・」が2018年版と銘打ちながら、旧版の改訂版だったため、Kindle出版がWordから出来る事を、追記的にしか書けなかったようだ。
輿部タマキ(男性)は、Word2016に新しくバージョンアップして書いたようだ。難関の「ハイパーリンクで目次作成」のためである。
作成手順を読んでみると、僕のWord2010にもある機能ばかりだ。縦書きにも対応しているようだ。ルビについては書いていない。
少し希望が見えて来た。次の電子出版の時に、試みてみよう。どうしても駄目だったら、代行業者へ(有料で)丸投げという保険も付けて(玉砕は嫌だから)。
能村登四郎・句集「枯野の沖」を読む
角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、15番目の句集、能村登四郎「枯野の沖」を読み了える。
今月13日の記事、有働亨・句集「汐路」に次ぐ。
また能村登四郎の第2句集「合掌部落」は、同・大系・第11巻より昨年3月9日の記事にアップした。
概要
原著は、1970年、牧羊社・刊。585句、著者・あとがきを収める。
能村登四郎の略歴については、上記「合掌部落」の記事にアップしたので、ご参照ください。
感想
「合掌部落」より、社会性俳句にも背を向け、次第に寡作となった。1961年、現代俳句協会より別れた伝統派(水原秋桜子の「馬酔木」同人だった)の「俳人協会」に属しながら、俳句の新しい可能性を模索追求しようとする立場(同・大系・解説に拠る)の相剋に苦しんで、13年ぶりの第3句集となった。
俳人組織の分裂、「馬酔木」への忠節に苦しんだなら、まさに組織悪と呼ぶべきだろう。
「枯野の沖」には、「死貝あまた捨てし夜にはか花ひらく」のような、助詞の省略にさえ苦しんだ吟がある。
もっとも能村登四郎は、老年に差しかかるに連れ、発表作品を増やしたというから、悲観する事はない。
引用
以下に5句を引用する。
種子蒔くや半農教師腰およぐ
血の音のしづまるを待つ単衣着て
枯るる色一瞬すさる母焼く火(同居の義母逝く)
廃船を焼く火が赤し梅雨晴間(勝浦)
四月炉に鮒を焙らむ火が育つ
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。
今月13日の記事、有働亨・句集「汐路」に次ぐ。
また能村登四郎の第2句集「合掌部落」は、同・大系・第11巻より昨年3月9日の記事にアップした。
概要
原著は、1970年、牧羊社・刊。585句、著者・あとがきを収める。
能村登四郎の略歴については、上記「合掌部落」の記事にアップしたので、ご参照ください。
感想
「合掌部落」より、社会性俳句にも背を向け、次第に寡作となった。1961年、現代俳句協会より別れた伝統派(水原秋桜子の「馬酔木」同人だった)の「俳人協会」に属しながら、俳句の新しい可能性を模索追求しようとする立場(同・大系・解説に拠る)の相剋に苦しんで、13年ぶりの第3句集となった。
俳人組織の分裂、「馬酔木」への忠節に苦しんだなら、まさに組織悪と呼ぶべきだろう。
「枯野の沖」には、「死貝あまた捨てし夜にはか花ひらく」のような、助詞の省略にさえ苦しんだ吟がある。
もっとも能村登四郎は、老年に差しかかるに連れ、発表作品を増やしたというから、悲観する事はない。
引用
以下に5句を引用する。
種子蒔くや半農教師腰およぐ
血の音のしづまるを待つ単衣着て
枯るる色一瞬すさる母焼く火(同居の義母逝く)
廃船を焼く火が赤し梅雨晴間(勝浦)
四月炉に鮒を焙らむ火が育つ
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。
ドストエフスキー・短編「鰐」を読む
河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、同巻・最後の作品、短編小説「鰐」を読み了える。
今月8日の記事、同・中編「いやな話」に次ぐ。
概要
初出は、ドストエフスキーの主宰していた雑誌、「エポーハ」の1865年2月号(終刊号)だった。
この全集では、収録ページ数の関係か、掲載順と発表順が違っている。
1865年は、流刑・兵役よりドストエフスキーがペテルブルクへ1858年に戻った後であり、「死の家の記録」、「地下室の手記」の発表後である。また翌年には「罪と罰」を発表している。
感想
「私」の友人、イヴァン・マトヴェーイチが見世物の鰐に呑み込まれて、腹中で元気に生き続け、見物人の多さに自惚れる、というストーリーである。「新しい経済関係の独創的な新理論を発明して」「人類の運命を逆転させ得る人間だ」という具合に。
作者は「ただ読者を笑わすための純文学的な戯作」と述べたようだ。
あまりにばかばかしいストーリーなので、何か深い寓意が込められているかと、僕は勘繰りたくなる。実際、憶測が世間一般に広がり、本人は後に唖然としたという。
軽い冗談にも意味はある。この作品は、未完である。
写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。
今月8日の記事、同・中編「いやな話」に次ぐ。
概要
初出は、ドストエフスキーの主宰していた雑誌、「エポーハ」の1865年2月号(終刊号)だった。
この全集では、収録ページ数の関係か、掲載順と発表順が違っている。
1865年は、流刑・兵役よりドストエフスキーがペテルブルクへ1858年に戻った後であり、「死の家の記録」、「地下室の手記」の発表後である。また翌年には「罪と罰」を発表している。
感想
「私」の友人、イヴァン・マトヴェーイチが見世物の鰐に呑み込まれて、腹中で元気に生き続け、見物人の多さに自惚れる、というストーリーである。「新しい経済関係の独創的な新理論を発明して」「人類の運命を逆転させ得る人間だ」という具合に。
作者は「ただ読者を笑わすための純文学的な戯作」と述べたようだ。
あまりにばかばかしいストーリーなので、何か深い寓意が込められているかと、僕は勘繰りたくなる。実際、憶測が世間一般に広がり、本人は後に唖然としたという。
軽い冗談にも意味はある。この作品は、未完である。
写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。