風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 所属する結社歌誌「覇王樹」の2020年1月号を、ほぼ読み了える。
 到着は、今年元旦の記事、同・1月号が届く、にアップした。


 リンクには、昨年12月号の感想、結社のホームページ、僕の掲載短歌のブログ記事、3つへリンクを張ったので、ご参照ください。

覇王樹 1月号

 通常の記事の外、睦月10首詠は6名(これまではほとんど4名だった)、力詠15首2名の復活がある。
 またS・素子さんの評論「後水尾院時代の和歌63 ー正月御歌会始めー」も、狂歌の研究より、和歌の研究に戻って(全国大会でのお話通りだった)好ましい。
 「私のすきなこと・もの」のエッセイ欄2名1ページが新設され、I・謙三氏が「晩酌好き」、N・寿美子さんが「私のすきなこと」で写真好きを、開陳している。


 以下の3首に、寸感を付す。
 I・正太郎氏の「近郊逍遥」6首より。
若きらのリチウムの風の涼しかろ吾は手動の扇の風に
 先の夏に、1部の若者が使った、携帯扇風機を早くも詠んで新しい。
 A・良子さんの「スッポン述懐」6首より。
時期すぎて今年は一本の曼殊沙華小さき火傷のごとく枯れゆく
 「小さき火傷」の比喩が、心をも喩えて秀逸である。僕の短歌上の比喩嫌いを見直す程に。
 F・タケ子さんの「物干し竿」6首より。
補聴器の電池をかえる友待ちてただ四ったりの会始まれり
 少人数の和やかな、しかし盛んな歌会を思わせる。


 岩波文庫、アストゥリアス「グアテマラ伝説集」(牛島信明・訳)より、4回め、了いの紹介をする。
 同(3)は、昨年12月28日の記事にアップした。



グアテマラ伝説集
 今回に紹介する作品、「ククルカン―羽毛に覆われた蛇」は、文庫本で135ページに渉る、長い幻想劇の脚本の形をとる。なおジャンルは、先行する作品と同じく、小説に入れた。
 全能の神・ククルカン、従者・グワカマーヨ、知者・チンチビリン、他の動物、伝統上の者たちによって織りなされる。
 1部、唯心論と唯物論の議論、戦闘の敗北を挟む。
 ククルカンが1夜の同衾で娘を殺すしきたりの中、娘・茴香(ヤイ)が当てられてククルカンの改心の希望を持たせる。


ひげを生やした亀:アオップ!アオップ!乙女たちが目覚め、蜂鳥に変わる日が、いつか来るであろうか?
ウバラビックス(不寝番の歌の名手):来るかも知れない‥‥来ないかも知れない‥‥

 しかし結末はバッドエンドで、チンチビリンが茴香(ヤイ)の名を呼ぶが返しはなく、亡くなるシーンである。
 アストゥリアスが宗教を、独裁を、あるいは現代社会を批判したのかわからないが、それら総てを含む幻想劇だろう。




 

 今月2日の記事、山田詠美「蝶々の纏足」を読む、に次ぎ同書の「風葬の教室」「こぎつねこん」を読み了える。


蝶々の纏足・風葬の教室
 「風葬の教室」は転校した女生徒(中学生?)が、クラス員から苛められる話である。苛めがエスカレートして、「私」は死を決意する。しかし母と不良の姉の会話から、家族の幸福への責任を感じ、クラス員全員を心の内に殺す事を決め、翻意する。
 クラス員の仕掛けの言葉に、思いきり侮蔑を込めて返し、それは成功する。心の墓地の死体に、土も被せず、風葬とする事で、題名と繋がる。このような学級生活もまた、苦しいものだろうと、思いが湧く。


 「こぎつねこん」は短い小説である。母に童謡を歌ってもらうなど、親身にされた時、叫びを上げる発作が起きるようになる。後年、成長して男と同じ床で幸せに眠ろうとする時も、同じ衝動が湧く。
 幸福の中の孤独を知ったのか、「自分は幸福になってはいけない」と思い込んだのか、わからない。世間との違和感が、山田詠美を作家へ導いた事は確かである。


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