風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)より、第11巻(1982年・刊)の3番めの句集、内藤吐天「鳴海抄」を紹介する。
 先行する角川源義「ロダンの首」は、先の11月17日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
  「鳴海抄(なるみしょう)」の原著は、1956年、近藤書店・刊。
 第4句集、1946年~1955年の632句に後記を付した。
 内藤吐天(ないとう・とてん、1900年~1976年)は、六高時代に詩の研究会を作ったりしたせいか、伝統俳句の大須賀乙字の門下にあったが、この「鳴海抄」の1951年、1952年頃から詩風味を加え、「やや自信のもてる作品が得られるようになった」と後記で述べる。
 敗戦を区切りとして句集を出版し、句集中に句風の変化があった事は、戦後文学の影響や、「第二芸術論」への反発があったのだろう。
 しかし俳句に素人の僕が俳句に求めるのは、江戸時代の最上の成分である俳味(伝統)と、現代風潮(現代性)の格闘であり、詩想へ逃れられては、興味が薄れる。
 以下に、おもに前期より5句を引く。
楽しき世来るか夏蜜柑子と頒ち
立ち去るや泉の音の背にさやか
風花の一ッ時はげし目をつぶる
蛙田に真昼の雨がつきささる
虹を見し森の子供等眠られず
ミカン6
フリー素材サイト「Pixabay」より、蜜柑の1枚。





 花神社「茨木のり子全詩集」(2013年2刷)より、「『スクラップブック』から」の2回めの紹介をする。
 同(1)は、先の11月20日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
 これら拾遺詩編は、詩人のスクラップブック、残されたメモ帳、ノート類より網羅した、とこの全詩集を編集した宮崎さん(詩人の甥)は、「あとがき」で述べている。自選を通らなかった作品を載せた事も、「書いてしまったものは仕方ない」との彼女のかつての言葉に、「許諾を得た気がした」と述べている。
 今回、僕が読んだのは、1962年に北海道新聞に発表された「秋の日に」より、1969年に「いずみ」に発表された「通らなければ」に至る、43編である。
 「五月の風は」では、1年を耐えしのんで花咲く草木に対して、「ちり紙のように使いすてた/わたしの一日一日は/薫風のなかにひらひらあらわれ/みっともなく照れている」と結んだ。
 「つながり」では、「翻然悟って私は人間の弱味かくさぬ/(2字アキ)生きた言葉をこそと/おもいさだめて 幾とせ経ぬる/あなたたちの子であり孫であるわたくしに/それは思いのほかの/難事業であるのです」と結んで、亡き母・祖母に語りかけるとともに、1つの決意表明である。
 今回終いの「通らなければ」では、勇気りんりんの子が、人を愛して憶病になり、「通らなければならないトンネルならば/さまざまな怖れを十分に味わいつくして行こう/いつか ほんとうの/勇気凛凛になれるかしら/子供のときとは まるで違った」と前向きに結ぶ。
ミカン5
フリー素材サイト「Pixabay」より、蜜柑の1枚。



今日は、タブレットより記事更新します。
それで写真はありません。
1昨年の夏に一人息子が、結婚したい娘さんと、帰省する と話が決まった時、僕は大慌てしました。
幸い話は進み、僕は子が結婚 する際のアドバイス本、3冊を買いました。
その中で、最も役立った本が表記の「子どもが結婚を決めたら親が読む本」です。
相手を初めて迎える 時、婚約式、結婚式まで、また子夫婦との関わり方まで載っています。
更に孫が出来た時の振る舞い方まで載っていて、いまだに手放せません。
日本文芸社、清水勝美・監修、2015年6刷。1200円+税。


 

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