風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 1月26日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人の短歌研究会B第11回を、ある喫茶店の1隅で持った。
 
同・第10回は、昨年12月9日の記事にアップした。
 なお同A第31回は、今月19日の記事にアップした。
 同Aは、各自の詠草の検討であり、同Bは岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 当日は、戦後の初めの歌集「小紺珠」より、「不安」の章(同・文庫本60ページ)より始める。
 1首めの結句「ただよふ不安」は、生活の社会の、未来へ向けての不安だろう。
 2首めの「危ふげもなく」の意味する所は、3人の知恵でもはっきりとは判らなかった。
 4首めの下の句「なにか悲しみを湛へたり見ゆ」の、「なにか」の語に僕が反発する。文学は、曰く言いがたい事を言葉で表すものだから、「なにか」の語を使う事は文学の敗北に思える。
 「昼霜」の節では、戦死の報のあった米川稔を悼む。後年に宮柊二が、米川稔の歌集を出版したと記憶する。
 「周辺詠物」の章に入り、1首めの結句「滴声(したたり)といづれ」は「いずれが淋しいだろう」の意味に解した。
 「一年」の節の「くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文たたかひ済みて妻のなほ持てり」の書簡は、後に書籍「砲火と山鳩」として出版され、僕は読んだ事がある。
 「変らざるものこの一つのみ」は、人心と社会は変わっても、潮の満ち干は変わらない、とする嘆きであろう。
 他にも様々に検討して、64ページの「文学」の節の1首を読みおえ、当日の研究会のしまいとした。
 次の研究会A、Bの日程を決め、11時に散会した。
白鳥6
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



 結社歌誌「コスモス」2017年2月号より、作品欄の巻頭の「月集」を読みおえる。
 
同号の到着は、1月20日付の記事にアップし、僕の作品へのリンクを張ってある。
 「月集」は、2つに分かれる。
 その「月集スバル」(選者、選者経験者の欄)は、「今月の四人」とそれ以外に分け得る。
 次ぐ「月集シリウス」は、「月集シリウス特別作品」(12名)と「月集シリウス」通常欄に分かれる。
 「その一集」の僕は、「月集」の作品をお手本にしたいのだが、僕には無理なのだろうか、判らない。
 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。「月集シリウス」より、カナダ在住のS・紀子さんの5首から。
わが歌集読みし息子のコメントは「オレの出番はあまりないねえ」
 僕はこの歌集「カナダの桜」を頂いており、昨年9月16日付けの拙い記事を書いた。
 2人の息子さんと1人の娘さんは、時おり登場し、微笑ましかったと記憶する。
 モデルにされる事を嫌う妻とは、大きな違いだ。
白鳥4
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



CIMG9252
 沖積舎「車谷長吉句集」改訂増補版を読みおえる。
 
三月書房よりの取り寄せは、今月22日の記事にアップした。
 なおその時、彼の小説集「鹽壺の匙」を捜したが見付からなかったと書いたけれども、1月24日の内にその新潮文庫を見付けた。
 句集は、2005年・刊。約300句。自筆署名あり。
 車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ、1945年~2015年)の俳句を、筑紫磐井は解説で、遊俳(やや余技めいた、浮世離れした句作)とし、業俳(専門俳人の句作)と異なるとする。車谷長吉の小説の素材から成っている、とするが彼の業は小説かと述べており、僕の読後感にも、因業な句は少なかった。
 以下に5句を引く。
大葬のしゞまを破れ寒鴉
名月や石を蹴り蹴りあの世まで
秋の蠅忘れたきこと思ひ出す
大根を洗ふ手赤し母は後家
風さかる二百十日の隅の蜘蛛



 

↑このページのトップヘ