風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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 同人詩誌「角」代表の金田久璋さんが、詩集「理非知ラズ」を贈ってくださった。
理非知ラズ
金田 久璋
思潮社
2020-12-07

 金田久璋さんは、小野十三郎賞・他、受賞。また民俗学者としてもご活躍である。
 「理非知ラズ」は2020年11月、思潮社・刊。4章、41編を収める。副題のBeyond Rights and Wrongsは、ニーチェの「善悪の彼岸」に当たる。

小林一茶集
 Amazonのマーケットプレイスより、日本古典全書「小林一茶集」を買った。価格は送料・込み:678円だった。
 今読み続けている岩波文庫「七番日記」の校注社・丸山一彦が、解説で俳文の「おらが春」をとても賞めているので、読みたくなったのである。句集、俳文集、書簡集などより抄出して、貴重な1冊である。


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 3月9日(第2火曜日)の午前10時より、和田公民館の1室で、和田たんぽぽ読書会の3月例会が持たれた。
 2月例会は、2月10日の記事にアップした。


 3月例会の課題図書は、佐藤愛子のエッセイ集「九十歳。何がめでたい」だった。
九十歳。何がめでたい
佐藤愛子
小学館
2016-08-01


 僕の感想は既に、今月8日の記事にアップした。


 例会には定刻前に、会員8名全員が揃った。検温、マスク、距離をとっての着席だった。
 この本を選んだMMさんが、もう数日で卒寿だと告げて、会員の拍手を浴びた。MMさんは、佐藤愛子の本は22年ぶり、1999年の「凪の光景」以来だと明かした。
 感想はIYさんより左回りで始まった。OTさんは、「戦いすんで日が暮れて」を読んだ事があり、すっと入って来る1冊だと述べた。自分は喜寿だけれども、卒寿まで生きられるか分からない、やはり90歳はめでたいとも。
 AKさんは傘寿になった。生き方に共感して2度読んだ。電気器具の修繕で、簡単に直ったのに高額な出張料を取られた事が2度もある、と書内のエピソードに同感した。
 IMさんは、93歳での本で、共感すると、言葉が少なかった。
 TRさんは、後期高齢者に入ったと述べた。自分は穏やかに生きたい。世には様々な人がいるだろうけれど、犬の散歩やテレビなど、静かに生きたいと。
 ATさんは、自分や周囲の人が老いて、耳が遠くなったので、自然に声が大きくなる、とエピソードに理解を示した。コロナ禍で世の中が変わり、確定申告なども変わって困ったとも。
 僕の番となり,IT化、合理化、進化で、世は便利で豊かになったけれども、あわれみ・ユーモア・ゆとりがなくなり、せっつかれるように感じる。子供への態度は、昔通りではなく、新しい接し方の方が良い、とも述べた。
 IYさんは、佐藤愛子が大阪生まれ、東京で生活し、大阪人の庶民感覚がある、と解釈した。何かあってもタダでは起きない、バイタリティがあるとも。
 MMさんは、若い人とどう伍して行くかと考える。若い頃は、女性の地位向上のため等に活動し、心が燃えていた。今も社会への関心を保つための、日課を続けている、とも。
 会長役を1年続けたATさんと、次期(4月以降)会長となるAKさんより、挨拶があった。11時半過ぎに散会した。

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写真ACより、「ドリンク」のイラスト1枚。


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 思潮社の現代詩文庫78「辻征夫詩集」より、「評論・自伝」5篇を読み了える。
 先行する「未刊詩篇と短編1篇」は、先の2月21日の記事にアップした。


 評論の初めは、「曲芸師の棲り木」と題して、17歳で詩と出会い、20歳で詩を書けなくなり、20代半ばで再び詩を書けるようになるまでを述べる。
 詩との出会いが、作品に没入するより、詩論(リルケの「若き詩人への手紙」、ランボオ・書簡、萩原朔太郎「詩の原理」)であった事は不幸だった。リルケの「若き詩人への手紙」は後年、僕も読んでみたが納得できなかった。ランボオ全詩集(付・書簡)を読んだけれども、当時に感銘したのは「酔いどれ舟」1編のみだった。朔太郎は高校生時代に詩集を読んで、影響を受けた作品を嗤われたけれども、詩論を読む暇はなかった。
 もっとも僕の詩との出会いは、三一書房の高校生新書、小海永二「現代の詩 新しい詩への招待」だった。戦後詩の解説書だけれども、豊富な例を挙げていた。僕は詩人であるとも、詩人に成りたいとも、思わなかった。英和辞典にminor poet(二流詩人)の語を見つけて喜んでいた。
 ランボオが書簡のなかで、なぜ「詩人になり、見者たらんとし、そのため放蕩に身を持ち崩してやろう」と書くのか分からない。僕は学校を中退したあと、人並みの生活を営むにも努力の要る身となった。美と純粋に憧れた辻征夫は詩を書けなくなり、ブランクのあと復活した時には、「しばらくは物の表面にとどまれ、それ以上のことはいまだ私には耐えかねるから、」と自らに言い聞かせなければならなかった。
 このあと、詩論の「瓦礫の構造」「もう一つの「六〇年代詩」」「窓からの眺め」、自伝の「自伝風ないくつか」(5章)を読んだが、紹介するスペースも気力もないので、ご勘弁願う。ただ佐佐木幸綱の言葉で、「「われ」が「われわれ」を突破しろということですよ、同時代において。」には違和感がある。「われわれ」が「われ」「われ」に解体して行く時の崩壊熱は凄まじいものがあった。自らを語り過ぎた。
樹木
写真ACより、「樹木」のイラスト1枚。


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