風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

Kindle本の第1歌集「雉子の来る庭」をKDPしました。右サイドバーのアソシエイト・バナーよりか、AmazonのKindleストアで「柴田哲夫 雉子の来る庭」で検索して、購入画面へ行けます。Kindle価格:250円か、Kindle Unlimitedで、お買い求めくださるよう、お願いします。

2016年09月

 kindle版「橘曙覧全歌集」を読み進んで、補遺「福寿艸」(←リンク記事あり)まで読みおえた。
 それに続く、万葉仮名の歌集と長歌集は、僕の力では読み解けないので、スルーした。
 これで全歌集編は過ぎたのだが、「附録」として、正岡子規「曙覧の歌」と、折口信夫「橘曙覧評伝」が付されているので、今回は子規「曙覧の歌」の論を読んだ。
 日本新聞社の「日本」に、1989年3月22日~4月23日まで、9回に分けて載せられた文章である。
 子規は、橘曙覧の貧しいながら、えせ文人のように金銭を汚いかに扱わず、書・歌の代を入手して喜ぶ等、生活をそのまま詠んだ事、国学に熱心であった事などを、弱点も挙げながら、とても誉めている。
 「万葉集」・実朝に及ばないながら、それ以後ただ一人の歌人だとまで賞揚した。
 この論によって、橘曙覧の歌が広まったようだ。
コスモス5
 「フリー素材タウン」より、コスモスの1枚。

このエントリーをはてなブックマークに追加

CIMG9068

 先の9月25日(第4日曜日)、妻のスマホを機種変更するため、2人でドコモ某店を訪れた。
 その時、僕のタブレットも2年過ぎた所で、妻も店員も機種変更を勧めた。
 これまでの愛着があるので渋ったが、軽く(画面サイズは10、1インチ→10、3or10.5インチ)、画面がきれいで、通信も速く、ついに買い換えた。
 旧機種は、富士通のARROWS Tab F-02F、新機種は同じ富士通のARROWS Tab F-04Hである。
 色々と設定し、フィルムシールもAmazonで買って貼り付け、活用している。
 kindle本を読んだり、サイズの大きいのはありがたい。画面は、簡単操作画面である。2枚め以降に、Kindle、Chrome、TWitterなどのバナーがある。
 マニュアル本なしで、ほぼ使えそうだ。

このエントリーをはてなブックマークに追加

 結社歌誌「コスモス」2016年10月号より、「その一集」特選欄を読みおえる。
 先行する同・「月集」は、1昨日の記事にアップした。
 「その一集」特選欄は、9選者×各5名×各5首である。
 内容は、骨格のある、優れた作品だ。10首出詠時の自選能力が大切。
 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。I・八寿子さんの5首より。
ホテルかと見まがふやうな玄関や廊下をとほり採血室へ
 この1首に、思い出す事がある。
 平成大不況のどん底時、近くの市内にクレーンが2つ動いているのが、いずれも大病院の増築で、感慨があった。
コスモス4
 「フリー素材タウン」より、コスモスの1枚。
このエントリーをはてなブックマークに追加

 花神社「茨木のり子全詩集」(花神社、2013年・2刷)より、「花神ブックスⅠ 茨木のり子」に収められた、「詩集未収録作品」10編を読みおえる。
 今月22日の
記事(←リンクしてあり)、詩集「寸志」に継ぐ。
 原著は、1985年、花神社・刊。
 詩集未収録作品といっても、新作ではなく、それまでに紙誌に寄せた作品である。
 「一人は賑やか」での末連では、「一人でいるのは賑やか/誓って負け惜しみなんかじゃない」と書く。僕も職をリタイアして、一人で家に籠もる日が多いが、ネット上の繋がりがあるとはいえ、孤独はあまり感じない(淋しくてたまらない日は、喫茶店へ行く)。
 「九月のうた」の末連では、「思えば幼い頃の宿題は易しかった/人生の宿題の/重たさにくらべたら」(下辺揃え)と、大人の悩みを嘆く。
コスモス3
「フリー素材タウン」より、コスモスの1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

 結社歌誌「コスモス」10月号の、「月集」を読みおえる。
 「月集」と1まとめに僕が呼ぶのは、「今月の4人」、「月集スバル」、「月集シリウス 特別作品」、「月集シリウス」の4欄の事である。
 「月集」の短歌の豊かさは、資質・努力と共に、地位もあっての事だろう。
 付箋を貼ったのは、次の1首。小島ゆかりさんの5首より。
われはもや初孫得たり人みなにありがちなれど初孫得たり
 もちろん、藤原鎌足の「安見児得たり」の本歌取りである。
 小島ゆかりさんにして、孫の生れた喜びを、詠わずに居られなかった。
コスモス2
「フリー素材タウン」より、コスモスの1枚。

このエントリーをはてなブックマークに追加

CIMG9000
 砂子屋書房・現代短歌文庫124「森岡貞香歌集」より、第4歌集「珊瑚数珠」全編を読みおえる。
 今月7日の
記事(←リンクしてあり)、同「白蛾」に継ぐ。
 原著は、1977年、石畳の会・刊。
 森岡貞香(もりおか・さだか、1916年~2009年)は、1968年に歌誌「石畳」を創刊、主宰した。
 また戦後の「女人短歌」、「新歌人会」、「現代歌人協会」での活躍も評価されている。
 歌境はやや落ち着き、生活でも民衆の中に入って行ったようである。
 以下に7首を引く。
うすく濃く雪ふるゆらぎじやのひげの抱く藍色の玉を祝ぐなり
なかぞらのすきまに見えて赤き実の三つ野鳥ののみどへ行けり
いまわれは言はむかたなく身をば折りくるしみしのちねむりに入りゆく
駅いでて人の流れの人騒(ひとさゐ)にわれから入りてあやしみのなし
酸の実のしたたりを得て青魚の生(なま)を緊めむは愉しくぞある
くるみ割る小さき金具ににじみゐるあぶらを見をりちちのみの父よ
すきとほり垂れかかりたる赤き実は冷たく滑るか鳥ののみどを
 なお文中の1部、正字を新漢字に替えてある。

このエントリーをはてなブックマークに追加

 kindle本「橘曙全歌集」より、補遺「福寿艸」を、タブレットで読みおえる。
 今月20日の
記事(←リンクしてあり)、同・「白蛇艸」に継ぐ。
 「福寿艸」は、曙覧没後、子息が歌集を作った際、草稿等より拾遺した集である。
 曙覧(1812年~1868年、享年57歳)は、富裕な商家に生まれながら、2歳で母と、15歳で父と死別、若くして家督を弟に譲り隠遁した。
 国学の徒として、明治政府直前に亡くなった。
 彼の歌は、正岡子規の激賞により有名になった。
 第2次大戦中に戦意高揚に利用され、敗戦後に忘れられかけた。
 アメリカのクリントン大統領が、昭和天皇夫妻を招いての晩餐会のスピーチで、曙覧の「独楽吟」より1首を引用して、再び脚光を浴びた。地元でも熱意ある人たちによって、「橘曙覧記念館」が建てられ、「平成独楽吟」の募集の催しが今も続いている。

続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ