風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケ(ハンドル名)が、この10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

2016年11月

 結社歌誌「コスモス」2016年12月号より、「月集」を読みおえる。
 ここで僕が「月集」と呼ぶのは、「12月作品」より、初めの「今月の四人」(「月集スバル」の特選4人×5首)、「月集スバル」(選者・選者経験者×5首)、「月集シリウス 特別作品」(12人×5首)、「月集シリウス」(4首ないし5首)の、4欄を指している。
 「月集スバル」の作品には、助詞の省略が少なく、おおらかな詠みぶりになっているようだ。
 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。「月集シリウス」のN・玉枝さんの4首より。
歩道までバケツ並べる花舗のまへきちかうの躁、りんだうの鬱
 躁鬱の語から、対句の句を成した事は、小さいかもしれないが、歌壇の進歩である。
ミカン1
フリー素材サイト「Pixabay」より、蜜柑の1枚。



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 昨日(勤労感謝の日)の午後、わずかな額の商品券を持って、ショッピングモール「パワーセンター ワッセ」内の書店、「KaBoS ワッセ店」へ行った。
 迷ったあげく、買った1冊めが「世界一やさしいブログの教科書 1年生」である。染谷昌利・著、2016年8月、ソーテック社・刊。
 ブログを10年近く続けているが、副題に「再入門にも最適!」とある通り、ブログを振り返ってみたい。
 また、この11月3日の
記事(←リンクしてあり)、「文庫本2冊」で「買いたかったが諦めた。」と書いた本でもあり、僕は意外と執念深いのだ。
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 2冊めは更に迷ったが、鳥居歌集「キリンの子」が目に止まり、関心を持っており、体力的にも限界近かったので、買うことにした。KADOKAWA・刊、2016年7月・5刷。
 帰りの車中で、Amazonマーケットプレイスに1円(+送料257円)で出ているかも知れない、と思ったがもう遅い。
 帰宅後に調べてみると、古本で定価よりやや安く1冊があるのみで、他はプレミアム付きだった。
 読むべき本が、次々増える。





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 この11月20日の「2016ふくい詩祭」のおりに頂いた本より、金田久璋・詩集「賜物」を紹介する。
 2016年10月、土曜美術社出版販売・刊。第3詩集。
 まず装丁を褒めておこう。紙本出版の夕映えを見るように、帯とカバーが渋く立派である。
 初めの「サテュロス」での「おのずと」「とんと」、「前と後」での「いやサ」「もっとも」などの修飾語が煩わしく、作品の豊穣になっていない。簡潔文を主張するのではないが、省き得る語は、自戒を含めて、省きたい。
 「サテュロス」の結末で「そこはそこ/臨機応変ってこともある/北風と太陽を按配よく使い分け/そこそこ方便交え 世間と折り合いをつけて/人生ほどよくしたたかに/時には鼻息荒く/嘯(うそぶ)いて」の処世術が、あざとい。地位を登ろうとする者の、それだろう。ヒラのまま定年を迎えると判った僕のそれは、「慎重、忍耐、面従腹背」であった。職をリタイアすると、面従腹背はない。
 「背中を流す」は、風呂で夫が妻の背を流す、睦まじさを描いている。悪性腫瘍を疑われたが、生検の結果、手術を免れた安堵の夜に。
 「パントマイム」の「知っているのだ なによりも柵や網が監獄であることを」の1行は、「なによりも」の句に疑問が残るが、優秀である。僕にすれば、壁も、すべての人間関係も監獄である。ネットと文学に救済の機会を夢見ている。


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 1昨日(11月20日、第3日曜日)の「2016ふくい詩祭」のおり、知り合いの詩人たちから頂いた幾冊かの本から、今日は「天彦(あまびこ)」9号を紹介する。
 代表がK・久璋さんの「美浜詩の会」発行、2016年10月・刊。福井県美浜町・在住の詩人を、おもな会員とする。
 6名が6編の詩を寄せている。
 N・六さんの「孫の守り」では、二人の孫の世話を十分にできなくても、憲法9条を悩む事に、引け目は要らない。生活+詩+政治=3でなくとも、足して1であれば良い(歌人・加藤治郎さんのツイートを参照して)。
 K・久璋さんの「へしこ」では、へしこ(鰯等を塩辛い糠に漬けたもの)を焼いて食べる美味しさを、「都合六杯 うまいご飯が食べられる」と讃える。しかし末2行の「腹を空かせた餓鬼どもが/いさんで家へと帰ってくる」程、現代っ子にとって美味しいものではない。あるいは現代の民話か。
 2名が2編のエッセーを寄せているが、字が小さくて、老眼で視力の弱っている僕は、読む前に挑戦する気が失せる。諸事情はあるだろうが、散文でも字を大きくしてほしい。

 

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 昨日(11月20日、第3日曜日)の午後1時半より、「あおっさ」3Fの1室で、「2016ふくい詩祭」が持たれた。
 主催:福井県詩人懇話会、後援:福井県文化協議会・福井新聞社。
 参加者は、追加の席を設けるなど、50人前後だった。
 T・篤朗さんの総合司会のもと、懇話会代表のW・本爾さんの挨拶より始まった。
 A・幸代さん、Y・道さん、Y・清吉さん、K・信治さんの(ここ1年間に詩集を上梓した)4名が、自作詩1編を朗読し、所感を述べた。
 その後、リラックスタイムという事で、今良幸さんとお仲間3名の、津軽三味線演奏と唄が披露された。「津軽じょんがら節」は曲弾きよりも、「新節」「旧節」の正調が響いた。
 「大阪文学学校」講師を長く務めるなどした、詩人・倉橋健一さんの基調講演「風土性を生きるということ―広部英一の戦後」では、広部さんが詩を純化して行く過程で、捨象したものを問うた。福井空襲の悲惨、それまでに測られなかった震度の福井地震、等。福井県は、拉致問題、原発問題、等を抱え、風土性から普遍化する機会があると、福井の詩人たちを励ました。(上掲の写真)。
 シンポジウム「福井の詩人の詩業 広部英一」では、W・力(つとむ)さんのコーディネイトのもと、H・二三枝(ふみえ)さん、K・不二夫(ふじお)さん、H・裕子(ひろこ)さんの、3名のパネリストが、広部さんの業績をめぐって語った。
 各人が意見を述べ合うスタイルを越え、H・裕子さんの問いより、討議に入ったのは、良い先例となるだろう。
 しまいに広部英一氏・夫人より1言があった。
 懇話会・副代表のM・幸雄さんの閉会挨拶により、5時過ぎに会が終わった。
 5時半より懇親会(パーティ)があったが、僕は参加せずに帰宅した。

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