風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。

2017年01月

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 「茨木のり子全詩集」を、今月14日の記事で離れた。まとめの記事を書く手もあるが、詩人の生涯を、全詩作を、10行や20行でまとめるのもおこがましく、そのままである。
 詩集として、替わりに青土社「吉野弘全詩集 増補新版」(2015年2刷)を出して来た。函(写真はその表)、帯、本文1055ページに11詩集、他を収める。「夢焼け」以降の詩画集、写真詩集の作品は、収められていないようだ。
 この本の購入は、前ブログ「サスケの本棚」の管理画面からの検索に拠ると、2015年6月20日の記事で、楽天よりとある。
 第1詩集「消息」は、1957年、谺詩の会・刊。20編を収める。詩人31歳の時。
 「さよなら」の末連の「ききわけのよい/ちょっとした道具だった。/ちょっとした道具だったけれど/黒枠の人は/死ぬ前に/道具と さよなら したかしら」と、サラリーマンの苦しみと哀れをうたった。
 ほとんどがその志向の作品と、生の意義を問う作品だ。今となっては、正論過ぎる(当時は正論でなかったかも知れないが)。「不合理ゆえに吾信ず」(埴谷雄高のアフォリズム)を知る者に、信じがたい。
 自身、「雲と空と」で、「…どこまでも/はてのない青さで/やさしく つきそってゆく/空。//空の/いつわりのやさしさ。」と、偽りの優しさである事を、感づいていたようだ。


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 砂子屋書房・現代短歌文庫127「続 森岡貞香歌集」(3歌集全編+歌論・エッセイ)より、3番めの歌集「敷妙」を読みおえる。
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歌集「夏至」は、今月18日の記事にアップした。
 原著は、2001年、短歌研究社・刊。
 この「敷妙」は、年次的に「夏至」に次ぐ第8番の歌集であり、また森岡貞香(1916年~2009年)の生前最後の歌集である。没後、3歌集「九夜八日(ここのよやうか)」、「少時(しばらく)」、「帯紅(くれなゐ帯びたり)」が、いずれも砂子屋書房より出版された。(Wikipediaに拠る)。
 「敷妙」には、破格というより乱調の歌も少し交え(例えば「死ぬるにも何なさむにもなすことのなきと言ひさしてねむりし」では、下の句(77)の切りようもわからない)、逝いた母(同居していた)を詠うなど、優れた作品を多く収めた。
 この文庫には後、13編の歌論・エッセイを残すのみである。
 以下に7首を引く。


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 講談社「日本の天然記念物」(全6巻)より、「4 植物Ⅱ」(1984年・2刷)を見おえる。
 
同「3 植物Ⅰ」は、昨年9月11日の記事にアップした。
 なぜ次の本が傍らにありながら、ページを繰らなかったかは、テーマが「樹木の群落」だからだった。僕は希少種、絶滅危惧種を見たかったので、原生林など植生にはあまり関心を持てなかった。
 しかし次へ進むべくページ(A4判よりやや大きい)を繰ると、花木の写真が目を惹いた。
 橡平(とちだいら)サクラ樹林(新潟県)、ヒトツバタゴ自生地(愛知県)、吾妻山ヤエハクサンシャクナゲ(福島県)などである。
 それにサキシマスオウノキ群落(沖縄県)の板根、縄文杉(鹿児島県屋久島)などが怪異だった。
 次の「5 植物Ⅲ」は、「巨樹・名木」がテーマなので、個々の樹の様を楽しめるだろうか。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第11巻(1982年・刊)より、7番めの句集、百合山羽公「故園」を読みおえる。
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相馬遷子「山国」は、今月21日の記事にアップした。
 原著は、1956年、故園刊行世話人会・刊。487句、後記を収める。
 百合山羽公(ゆりやま・うこう、1904年~1991年)は、初め「ホトトギス」に入るが、水原秋桜子と共に去り、「馬酔木」第1期同人となる。
 第1句集「春園」(1935年・刊)に次ぐ「故園」では、1931年~1949年の「帰雁抄」、1950年~1952年の「鬼灯抄」、1953年~1956年の「海鳴抄」の、3章を立てる。
 敗戦の1945年は、第1章に紛れ込んでいる。衝撃と苦しみは、後に来たのか。
 すべて「鬼灯抄」「海鳴抄」より、5句を引く。
鬼灯よ父はとしどし弱き父
水を汲み火を焚く母に春眠す
髪高く結はれて嫁ぐ巣燕に
燕きて家人の声にさゝやけり
綿虫をつれて夕餉にかへりくる

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「Pixabay」より、白鳥の1枚。



 1月26日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人の短歌研究会B第11回を、ある喫茶店の1隅で持った。
 
同・第10回は、昨年12月9日の記事にアップした。
 なお同A第31回は、今月19日の記事にアップした。
 同Aは、各自の詠草の検討であり、同Bは岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 当日は、戦後の初めの歌集「小紺珠」より、「不安」の章(同・文庫本60ページ)より始める。
 1首めの結句「ただよふ不安」は、生活の社会の、未来へ向けての不安だろう。
 2首めの「危ふげもなく」の意味する所は、3人の知恵でもはっきりとは判らなかった。
 4首めの下の句「なにか悲しみを湛へたり見ゆ」の、「なにか」の語に僕が反発する。文学は、曰く言いがたい事を言葉で表すものだから、「なにか」の語を使う事は文学の敗北に思える。
 「昼霜」の節では、戦死の報のあった米川稔を悼む。後年に宮柊二が、米川稔の歌集を出版したと記憶する。
 「周辺詠物」の章に入り、1首めの結句「滴声(したたり)といづれ」は「いずれが淋しいだろう」の意味に解した。
 「一年」の節の「くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文たたかひ済みて妻のなほ持てり」の書簡は、後に書籍「砲火と山鳩」として出版され、僕は読んだ事がある。
 「変らざるものこの一つのみ」は、人心と社会は変わっても、潮の満ち干は変わらない、とする嘆きであろう。
 他にも様々に検討して、64ページの「文学」の節の1首を読みおえ、当日の研究会のしまいとした。
 次の研究会A、Bの日程を決め、11時に散会した。
白鳥6
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



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