風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。

2017年05月

 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊)より、3番目の詩集「シルク&ミルク」を読み了える。
 2番目の詩集
「植物の断面」は、今月22日の記事にアップした。その詩集は、厚生閣の「現代の芸術と批評叢書」シリーズ(春山行夫・編集)の1冊であり、同叢書の詩集には、安西冬衛「軍艦茉莉」、北園克衛「白のアルバム」、北川冬彦「戦争」、吉田一穂「故園の書」がある。モダニズムの推進者として、春山行夫は編集力を振るった。「解題」の受け売りながら、当時の詩の状況を知るため、ここに付記した。
 「シルク&ミルク」の原著は、1932年(昭和7年)、ボン書店・刊。
 1932年には、「満州国」建国宣言が出され、5・15事件があり、評論ではプロレタリア文学と新興芸術派と共に、ファシズム文学が論じられている。
 この詩集では、やはり危機感が募ったか、「這入れない」「向かない」「消える」「かくれる」「小さい」等の否定語が多く、現実を否定したい気持ちのようだ。
 現実状況の否定の中に、プチブル・インテリゲンチャとして、庶民嫌悪の感情もあったようだ。例えば「納税督促人ト駐屯兵ト森林看守ト守銭奴ト/制動手ト脱疽患者ハ…」と続けた詩句がある。
 このあと詩集は、「花花」(1935年・刊)、「鳥類学」(1940年・刊)と続くが、戦後にはほとんど詩を書かず、詩集もないようだ。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


 河出書房新社「ドストエーフスキイ全集」第1巻(1958年・2刷、米川正夫・訳)より、第2作「分身」を読み了える。
 同・第1作
「貧しき人々」は、先の4月30日の記事にアップした。
 主人公・ゴリャードキン(下級官吏、後に旧ゴリャードキンとも呼ばれる)が、何か大金を得て、心因性の診察を受ける身でありながら、入手した以上の額の買い物の約束をする。主人公はまた、イヴァーノヴィッチ家の食事会で入室を拒まれ、失態を演じてしまう。
 職場では、同姓同名同郷を名乗る男(新ゴリャードキンとも呼ばれる)が雇われ、ずるい方法で主人公の功績を奪い、上役にも取り入ってお気に入りとなり、主人公を愚弄する。主人公は悩みの果て、精神科病院へ送られる。
 解説等では、新ゴリャードキンを、主人公の幻覚だとするが、僕はフィクションながら有り得る話だと思う。貧しい下級官吏の世界では、悪辣な人物が居ても、おかしくはない。
 主人公の大金の入手と、上流家庭への進出の意向は、あるいは「貧しき人々」で成功した、ドストエフスキー自身から得た着想かも知れない。
 中編小説かと思っていたが、かなりな長編小説だった。
 「貧しき人々」と「分身」は、昔に読んだ記憶があるが、次の「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」は初めてで、難渋するか、興味を持って読めるか、今はわからない。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。




 福井県俳句作家協会の年刊句集「福井県 第55集」(2017年3月・刊)より、5回目の紹介をする。
 
同・(4)は、今月16日の記事にアップした。
 今回は、118ページより135ページまで、18ページ、35人の350句を読んだ。坂井地区(坂井市、あわら市)のすべてである。
 この短詩型に営々として励んで、新風を出すのは、並み大抵の事ではないだろう。句稿より、多くの句を捨てるとしても。
 以下に3句を引く
 H・圭子さんの「越の野」10句より。
暮れてなほサーファー挑む冬の波
 O・清女さんの「こんな1年」10句より。
犬連れて何時もの道を夏帽子
 S・潤子さんの「春寒し」10句より。
着膨れて子に逆らわず従わず
 今回も女性3人からの引用だった。
 次は奥越地区(勝山市、大野市)に入る。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、歌集「花鈿」を読み了える。
 前歌集
「虹ひとたび」は、今月18日の記事にアップした。
 歌集「花鈿」は、1973年、牧羊社・刊。井上靖・序文、「あとがき」を付す。
 1972年・刊の歌集「紋章の詩」に内容的には先行するらしく、全歌集では先に置かれている。
 序文で井上靖が「極北に立った鋭さを見せています。…生方さんを取りまく外界がすっかり構築され直した感じです。」と讃えている。「あとがき」で夫の2度の入院、古家が国指定重要文化財となった事などを書き、「私が、もはや、人生の結末への準備をしなければならない要求にせまられたのは嘘ではない。」と述べている。また「私個人としては、大きい『あらたまり』のこころにゆすぶられてよみあげたものであることを信じたい。」とも述べている。
 「虹ひとたび」の記事で僕が書いた、新しい地平、新しい歌境に入りつつある自信だろうか。
 以下に7首を引く。
絶えまなく噴き熄まぬもの化合(けがふ)して夏旺んなる千島火山帯
狐の嫁入りの民話を信じきたりたるわが少女期の甦るは五月
歪みたる瓶も鉱化せる石鹸も惨の証(あかし)してかなしきあさか(広島―爆心地―)
血のやうな赤きプラムの果汁吸ふ病めばやさしくなり合ふわれら(夫病めば)
花のマッス窓にかがやく晨(あした)にて体温ひくきしあはせ分つ
胎児のやうに跼む谷石をふむときに収斂はくる秋のこゑして
ひる暗き土蔵の中のてのひらに重し磨滅の踏絵を持てば
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



 沖積舎「梅崎春生全集」(全8巻)の第2巻より、7回目の紹介をする。
 
同・(6)は、今年3月21日の記事にアップした。
 今回に僕が読んだのは、「青春」「虚像」「ある男の一日」の3短編小説である。
 「青春」は、旧制高校だろうか、仲間内で卒業に失敗した二人のみ、「ぼく」と「城田」が、飲み屋で落ち合ってヤケ酒を飲み、阿蘇山に行こうと(熊本高校生だろうか)、タクシーに乗る。「城田」は途中で降りてしまい、「ぼく」も先の途中で降り、うどん屋でさらにお酒を飲む。店主の女と1夜を共にして、翌朝独りで出掛けようとする所で終わる。のどかな時代の、暗い話だ。
 「虚像」は、台湾に兵だった「高垣」に内地から、恋文を寄越した「幾子」を、戦後の電車内で見掛けるが、注視も声掛けもせず、心理的にあれこれ思うのみだったストーリーである。戦争の心の傷が、薄らぐ時期だっただろうか。
 「ある男の一日」は、裁判所に証人として出廷した男が、「良子」という娘を喫茶店に1時間半も待たせたあげく、映画を観るのだが途中で映画館を出て、別れてしまう話だ。戦争のエピソードは無いが、これも戦争の傷跡がさせるストーリーだろうか。
 いずれも1948年に発表された短編である。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



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