風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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2017年06月

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 今年3月23日の記事、「入手した3冊」にアップした内、有川浩(ありかわ・ひろ、女性作家)の小説、「旅猫リポート」を読み了える。講談社文庫、2017年2月・刊。
 「旅猫リポート」は、ファンタジックな小説である。悟に拾われた雄猫「ナナ」(人間の言葉や他の動物の声を理解する)だが、悟に事情ができてナナを引き受けてくれる人を探しに旧知の人を訪ねて、銀色のワゴン車を走らせる、ロード・ノベルでもある。東京を出発して、北海道に至る。
 幸介、吉峯、杉夫妻、と訪ねるが、本人たちは飼う気があっても、それぞれ事情でナナを貰えない。最後に北海道に住む、独身の叔母(猫が苦手)を訪ねる。そこで悟の出生、両親の秘密、悟が手遅れの癌でナナの貰い手を探していた事が明かされる。
 悟は結局、ナナの訪問をうけながらその地の病院で亡くなり、ナナの死も近い事を示して小説は終わる。
 文体は、ナナの視点と、当事者たちの独白を交えて、描くものだ。人間を理解する猫の優しさと、人間の強さ弱さを示して、涙ぐましいものがある。


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 結社歌誌「覇王樹」2017年7月号が、6月25日に届き、ほぼ読み了える。
 
同・6月号は、今月3日の記事にアップした。
 「覇王樹」代表・発行人の佐田毅氏は、「橋田東聲の歌論と実作について」で、東聲の歌論として「(歌は)森に囀る小鳥の歌の如きもの、人間の「ひとり言」、何の手段でもない、それ自らが目的であると説く」と述べる。
 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。T・恵子さんの「想ひ出」15首より。
いつしかに手を離したる子の歩み後つけながら微笑みの湧く
 想い出の1景ながら、心理的な意味も、重ねられている。
 僕の6首は、アメブロ「新サスケと短歌と詩」の、
6月27日の記事より2回に分けてアップしたので、横書きながらご覧ください。


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 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、「野分のやうに」を読み了える。
 先行する歌集
「灯よ海に」は、今月15日の記事にアップした。
 「野分のやうに」は、1979年、新星書房・刊。
 彼女は、観念や幻想の世界を詠うのではなく(能に題材を採った連作を除き)、日常詠、旅詠に観念語、抽象語を導入した功績がある。
 群馬県沼田の旧家に嫁いだ、閉塞感だけではない。生方たつゑ(1904年~2000年)はその前、1926年より東大哲学科聴講生として学んでおり、観念・抽象への志向があり、摂取した事もあったのだろう。
 この歌集は、夫への挽歌として賞揚されているが、挽歌は最後の「野分のやうに」の章の「喪」の節のみである。
 以下に7首を引く。
夜の潮に島も燈火もなきはよし過誤かたよせて吾もねむらむ
人恋ひて通ひし道か八重葎花火のやうに花爆ぜるみち
死後のことやすやすと言ふわれらなり亀裂入りたる壁の中の部屋
稀釈されて生きゆくことも切なしよ患みゐる夫も看取るわたしも
累層をなして棕櫚の花の黄が和解のごとく房垂りてゐる
雪しろが石突きくだすひとところ川も険しき貌をなさむか
半眼となりしまぶたを撫でながらいのち熄みゆくを知るてのひらか(喪)
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。






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 庭のキョウチクトウ4種、すべてを紹介する。
 上の写真は、普通種のピンク花。他を含め、不鮮明で申し訳ない。
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 赤花のキョウチクトウ。
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 黄花のキョウチクトウ。木が弱ったのか、わずかしか咲かない。
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 6月10日の記事で紹介した、白花キョウチクトウの再紹介である。
 勢いがあって、たくさん咲いている。花の盛りから散りがたへ。


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 今月22日の記事「入手した2冊」で、頂いた事を報せた、同人詩誌「果実」76号を読み了える。
 
同・75号は、昨年10月22日の記事にアップした。
 今は政治家の強引な言動で、言葉に関わる者にとって、災難の時代である。詩を書く者にも、レトリックの美しさを誇る詩は、後退しつつあるようだ。
 「詩人は言葉の専門家ではなく、心の専門家でなけれなならない」という、僕の主張通り、「人の心」に執するものだけが、詩を書き続けられるだろう。
 N・昌弘さんの「黄色い世界」「マジシャン」は、背高泡立ち草、認知症患者に「成り代わる」方法で以って、辛うじてレトリックを成り立たせている。
 H・則行さんの「形見」は12歳で死に別れた父への思い、K・不二夫さんの「どちらがいいか」では妻との信念の齟齬が、W・本爾さんの「隣の空き地に」では、隣りの空き地に家を建て越して来る若い夫婦との、人間関係への期待が、詩を成り立たせている。
 T・篤朗さんは、東日本大震災「瓦礫のむこう」、核問題「人」と、困難なテーマに向かっている。「まんとひひ」の道化、「百日紅」の自然詩、「夕鶴」の民話も、失われて行く世界への予感が潜むようだ。


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 このブログの小さな事項を、3つ変更した。
 6月16日の
「ゆりの里公園2017」の記事末尾で少し書いたが、タイトル画像を替えた。
 共に百合の黄花の群落であり、優劣はわからないが、このままとする。
 また、「更新ping設定」で、2つのランキング・サイトへのping設定をした。サイトへのURLをコピー&ペーストするだけである。これで記事投稿の度に、自動的に配信される。
 これまでに1度、試みたが、公開直後にランキングサイトに反映されなくて、数分かかる事を知らず、取り消してしまった。
 そう、それから何百回となく、手動でトラックバックの欄に、ランキング投稿URLのコピー&ペーストを繰り返して来たのだが、解放された。
 また「投稿状態」の初期設定を、「公開」→「下書き」に替えた。投稿する前に何度か、「下書き保存」してから「プレビュー」で確認するので、その方が手数がかからない。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



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 河出書房新社「ドストエーフスキイ全集」第1巻(1958年・2刷)より、3作目の長編小説「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」(米川正夫・訳)を読み了える。5月26日の記事「分身」に次ぐ。
 3部に分かれると見られ、第1部は幼い娘・ネートチカの語りで、母(苦労の果てに亡くなる)と継父(自負を持つヴァイオリニストながら、自堕落の果てに亡くなる)との貧しい生活を描く。
 第2部では、みなし児となったネートチカが、公爵に救われ、公爵令嬢カーチャと幼い恋をする。
 第3部では、公爵の家族がペテルブルグからモスクワへ発ち、ネートチカは公爵夫人の長女、アレクサンドラ・ミハイロヴナとその夫の許に引き取られる。数年後、その夫の腹黒さを発いて、家を出る予感の中で、この小説は未完のまま終わる。
 1849年、ペトラシェフスキー事件によって逮捕され、銃殺直前に特赦、4年の流刑・5年の兵役のあと、ドストエフスキー(1821年~1881年)の関心が戻らなかったためである。
 なおドストエフスキーは、6歳頃に母を亡くし、18歳頃に父を亡くしている。
 この小説は、単行本、文庫本で刊行されていず、全集でしか読めないだろう。
 登場人物は、ネートチカを含め、激情型が多い。僕の生活が1時、波乱気味だったので、温和な生活を望み、共感はあまりない。
 しかし、みなし児が貴族に救われるストーリーのように、ドストエフスキーは文学による救いを信じ続けたようだ。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



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