風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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2017年08月

 8月30日(水曜日)の午前9時半より、メンバー3人が、ある喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第18回を持った。
 
同B・第17回は、先の7月31日の記事にアップした。
 なお2つの間に、同・A(お互いの詠草の検討会)第38回を、8月16日に予定していたが、メンバーの都合が難しくなり、中止となった。
 メンバー3人は、1ヶ月ぶりの再会を喜び合った。歌誌などの貸し借りをする。
 研究会・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 第4歌集「晩夏」の、「春さきのころ」の章(89ページ)より、前回に続いて。
 「幼子のこころにおかむ寂しさは何ならむこよひ早く眠りたり」の第4句は、「何ならむ/こよひ」の句割れであり、結句と共に字余りである。その前の歌と共に、子供に向ける思いが優しい。
 「悲しみといふほどならずかがやきて永き一日(ひとひ)の空にゐる雲」では、僕は雲を悲しく思いそうだと取ったが、他の2人は別に悲しみがあって、空には雲がある、と取ったのだった。
 「行春(ゆくはる)の銀座の雨に来て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ」の4句は、字余りの句として有名である。セミヨーンとは、ガルシンの小説「紅い花」の主人公、線路番のセミョーンの事とされる。
 「山鳩のこゑ」の章(91ページ)に入る。「惨たる戦争態(せんさうたい)の来(きた)らむを知らざりし殉死の将軍かなし」の将軍が誰か、わからない。乃木将軍では時代が合わず、1943年に戦死した山本五十六・元帥を、殉死と詠んだか。
 「晩夏」の章(92ページ)末、「七夕ののちの夜の月ふけて照る花圃に静けし芥子の坊主も」の2句3句は、「のちの夜更けの照る月に」であって、ずるいなあと思う。先師を批判しても始まらない、と3人の話が一致した。
 次の研究会の予定を決め、11時頃に散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」の1枚。



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導入
 あちこちで話題のアプリ、Evernoteを導入した。
 アンドロイドのスマホより、「Evernote」でGoogle検索し、正規版をダウンロードした。支払い方法を求められて、乗りきった。
 今は無料版なので、2デバイス(機器)に限られるらしく、デスクトップ・パソコンと共有した。
 メモの他、写真、音声、Webページを、記録できる。
使用
 まず、自分の短歌を書き込んで行った。これまでは、契約の切れたスマホの、メモ機能を使っていた。
 スマホのEvernoteのノートより、パソコンのワードに書き込む時に(パソコンより印刷は出来るが、縦書きにするため)、とても楽だ。スマホのメモは、1首1欄だったが、ノートでは連続して見られる。字も小さくない。
 スマホのメモは、一定時間過ぎると画面が暗くなって、1首を写すにも気を遣った(設定の問題だが)。ノートでは、内容を閲覧し、終了するまでその気遣いはない。

 古いスマホの必要は、なくなりそうだ。
 まだノートを作り、書き込み、終了し、不要なノートを削除するだけである。ノートブック、タグの機能も使っていない。
マニュアル本
 僕は、囲碁も園芸も、解説本より入った。IT関係も同様である。
 今回も、アマゾンのマーケットプレイスより、中古のマニュアル本を買った。本格的な新しい本もあるが、後の事とした。
 買った本は、リンクアップ・著「かんたんEVERNOTE」(技術評論社、2014年10月・刊)である。(写真は、その表紙)。
 初めより終いまで読む本ではないので、基礎の後は、何かあった時に、事項を探して読みたい。



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 結社歌誌「覇王樹」2017年9月号が、8月26日(土曜日)に届いた。
 事情があって、報告が遅れた。同・8月号の感想は、今月7日の記事にアップした。
 表紙写真は、多機能プリンタのスキャン機能で、パソコンに取り入れた。カメラ写真より、鮮明である。
概要
 佐田毅・代表・発行人。
 徹底した平等主義である。名前順に3クラスに分けられた同人欄、準同人のクラス、初心者の会員クラスが、毎月号ごとに掲載順が回って載る。また各クラス内でも、名前の50音順に、掲載順が回っている。
 付け句、題詠、評論を募集し、楽しみが多い。また先々月分の歌の評、評論、「覇王樹歌人の歌碑」などもシリーズとなっている。
 今号の新入会員は2名である。
リンク
 僕の1首が、巻頭「八首抄」に採られた。その1首、通常6首、付け句・題詠(各1首)、「紅玉集展望」での僕の2首への評など、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、
8月28日付け記事から、毎日載せて行く予定なので、横書きながらご覧ください。


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不思議な帯
 「ブログサークル」などのお仲間のブログを巡っていると、一本の横長バーに、ランキング幾つか、Twitter、他のバナーがきれいに収められていて、投票しやすく、SNSなどを見やすい、ブログがある。。
 
ライブドアブログのマニュアル本や、かん吉さんの「人気ブロガー養成講座」を読んでいると、「メニューバー」という物らしい。
作成
 前記のマニュアル本を読み、「ブログ設定」から入ると、PC用メニューバー、スマホ用メニューバーに特化した管理画面があり、方法も難しくなさそうなので、ランキング投票、SNSなどのリンクを作った。ブログを2つ運営している強みで、もう1つのブログへもリンクした。
 僕の場合、ブログのタイトル画像の下、画面を横によぎる、焦げ茶色の(?)細い帯である。帯に浮かんでいる文字が、それぞれのサイトへのリンクである。「NAVERまとめ」以外は、ブログのあちこちに既にバナーがあり、1まとめにして見やすくクリックされやすくしたのだ。
 スマホ版にも、同じくメニューバーを設置した。
反省点
 かん吉「人気ブロガー養成講座」のPart4を読み進んでいると、大事な事が書かれていた。「忍者おまとめボタン」のサイトを経由すれば、バナーのきれいに並んだメニューバーを、作成できるらしい。
 ブログお仲間のブログの、きれいなメニューバーは、そうして作ったらしい。早まったようだが、今はこのままで良い。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「かぐや姫」のイラスト1枚。



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 8月26日(土曜日)の夜方、妻と二人で、玄関近い軒下に寄って、手花火をした。
 毎年8月のしまい辺りの休日に、二人で手花火を楽しむようになって、3年目である。
 なお題の「131歳」は、僕が67歳、妻が64歳、合わせて131歳の洒落である。
 妻は「24時間テレビを観たい」など言いながら、30分ほどを付き合ってくれた。
 ホームセンターで買い求めた、安めの手花火で、ロケット型はなく、火花が弾けるタイプと、火花が放射するタイプがあった。
 上の写真は、火花が弾けるタイプである。

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 上の写真は、火花が放射するタイプである。
 コンデジの「花火仕様」で撮ったが、打ち上げ花火とは違うらしく、また手花火の写真は初めてなので、ずいぶん下手な写真になった。
 131歳の手花火であって、火遊びではないので、言い添えて置く。
 最後は、弾けるタイプの大きな手花火を妻が持って、喜んで褒めていた(写真はない)。
 こうして老夫婦の、夏を送る儀式は終る



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 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、手書き本詩集「水の黄昏」の2回目の紹介をする。
 
同・(1)は、今月17日の記事にアップした。
概要
 前回のしまいの「宝石の盗人」に続く、「秋と印度人」(378ページ)より、詩集しまいの短詩連作「花 花」(407ページ)に至る、21編を読み了える。
感想と引用
 エキゾチシズムの作品が続くが、宗教の関わる「暗い窓」に至ると、とたんに暗くなる。末連4行を引用する。
あてどもなしに生きて来た
私は一匹のさまよふ小蟻のやうだ。
私はいまは夕暮れのむかふの国へ行かうと思ふ。
私の頭の上にはもう玉虫も飛ばない。
 「美しい公園」は、孤独なモダニストの真情のようである。初め1連4行を引く。
私は今日も美しい公園へ行きたい
躑躅でいっぱいの池のほとりに
古びた腰掛(ベンチ)は私を待ってゐるであらう

私はやさしい柳の下で魚のやうに考へてゐたい
 短詩「別離」は、「左様なら」「もういヽかげん忘れてしまほふね」と繰り返し、敗北の予感のようだ。
 短詩連作「耶路撤冷(イエルサレム)春秋」では、
基督よ 私に銀の星落ちた馬槽を与えたまへ!
 の1行を書いて、キリストの再来たらん、あるいは恩寵を受ける稀人たらん、とするかのようだ。ただし終行は、次のようである。
基督よ樹なく煙なく王女ない私の耶路撤冷に雪ふらせたまへ!
 この初期詩集の意味のある詩編には、ポエジーを感じる。
 なお引用中、正字を新字に替えた所があります。
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写真ACの「童話lキャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。


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 先日、「水脈の会」から贈られた、同人詩誌「水脈」60号を、ほぼ読み了える。同・59号の紹介は、今年4月14日の記事にアップした。
 記念号とは謳っていないけれども、招待作品、詩への思いをおもに集めた随筆欄、会・代表の巻末の「水脈六十号を迎えて」、「編集後記」がその祝意をあらわしている。
概要
 先の「水脈六十号を迎えて」に拠ると、1991年に創刊されている。「編集後記」に拠れば、会員18名、読者会員16名という事である。
 「詩人会議」系の福井県の詩誌として、力を発揮している。
感想
 招待作品では、W・本爾さんの「どこまでも いつまでも」にも心打たれる。力の籠もった、勇猛な想いを描く。それも遣り場のない怒りを、暗喩の世界で表わしている。
 同じく招待作品、A・菜ずなさんの「呼吸」は、遺作であろう。2017年7月26日に、亡くなった。生き方に、癌に、悩んだ人生だった。終い2行は、「私の魂は 嗚呼/今日も呼吸している」。
 N・千代子さんの「分断」に注目。政治は、大衆の政治離れの中で、悪化する。それも反権力側の無力に、幻滅する事から来る。
 詩のエッセイで、同じくN・千代子さんの「料理と詩」は、詩作を料理にたぐえ、材料を集め味付け彩りも考え、作るという。理路整然とし過ぎていて、全面的には肯いがたい。

引用
 I・冴子さんの「母を送る」が、細かく描いて、挽歌としてとても優れている。長い詩なので、とぎれとぎれの引用で拙いが、許されたい。

  母を送る

 母が死んだ
たった三十九日間の入院で
……
髪の手入れを欠かさなかった母のために洗髪を頼む
眼をつむったまま、実に気持ちよさそうだ
……
次の日も青空が広がって
「やっぱり晴れ女やねえ」と声があがる
……
「太陽の下で長い間よう働いたもの」
「どこもかも、やっと楽になったねえ」
あれこれ話しながら、軽くなった母を拾う
……
思いがけず激しく雪が舞っていた
「名残り雪だね」
きっと母が降らせたのだと、みんなが泣いた

母が死んだ
いのちには限りがある
最後は一握りの骨になる
そう伝えて、母は逝った






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