風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

Kindle本の第1歌集「雉子の来る庭」をKDPしました。右サイドバーのアソシエイト・バナーよりか、AmazonのKindleストアで「柴田哲夫 雉子の来る庭」で検索して、購入画面へ行けます。Kindle価格:250円か、Kindle Unlimitedで、お買い求めくださるよう、お願いします。

2018年04月

 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、この全歌集で8番目、「風」を読み了える。
 先行する
歌集「玄冬」は、先の3月4日の記事にアップした。
概要
 原著は、1948年、高嶺書房・刊。428首、著者「巻末小記」を収める。
 巻末小記に、師・橋本徳壽の励ましや、出版に丸山忠治という人の援助があったと記されている。
 壮んに活動していると、援ける人も現れるのだろう。
 また交友のあった棟方志功の装画を得ている。
感想
 40歳、壮年に至って、苦労をかけた妻を憐れむ歌が多い。
 また良心に痛む事もあるらしく、それを詠う歌もある。
 それは「ふかぶかとしたる陥穽をつくりつつ彼が陥ちるのを傍観しをり」という、生き方にも因るのだろう。
引用
 以下に7首を引く。
雪の夜の蠟のまたたき寒けきに何編む妻よともに生きたし
ゆたかなる雪美しき夜の縁に吾が妻が乾す潤鰯(うるめ)ひとつひとつ
煮ゆる小豆小指(をゆび)の腹にためしゐる妻よ五人目の児をみごもるか
少年は炎を浴びて働けり貧しき母に生れたるゆゑに(銑鉄)
ぎりぎりに生くるいのちか朝早も暗き焦燥がこころを嚙むも
冬青(もち)の葉のひとつひとつに溜る光(ひ)のにぎやかに寂し照りにつつあり
午後となる冬日にやさし吾が妻の鋏にむすぶ小さき鈴は
0-35
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





このエントリーをはてなブックマークに追加

 4月2日の記事、「庭の椿3種」に続いて、庭の春の花を紹介する。
CIMG0806
 ピンク色の木蓮の花である。白木蓮に次ぐ。
CIMG0808
 赤木蓮の花である。
 上の木蓮2種は、大木になって花をたくさん咲かせているが、撮影ポイントがなくて、全体を撮れなかった。

CIMG0809
 ピンクの千重咲き椿である。品種不明。
CIMG0816
 品種名「緋乙女椿」である。誠文堂新光社の「日本ツバキ・サザンカ名鑑」に出ていないので、他の名の椿の俗名かも知れない。
 この椿は、ここ数年咲かなかったが、今年は数輪が咲いた。昨年の肥料(花・実用)が良かったのかも知れない。

CIMG0814
 原種の藪椿である。充分美しい。




このエントリーをはてなブックマークに追加

IMG_20180328_0002
 先の3月30日の記事「届いた4冊」で到着を報せた内、文学総誌「縄文」第2号を、ほぼ読み了える。
 
同・創刊号の感想は、昨年10月4日の記事にアップした。
概要
 2018年3月31日、「縄文の会」(代表・前川幸雄)・刊。B5判、2段組み、28ページ。執筆者6名。
感想
<地域研究>2編は、教育の右傾化に従っているようで、ここでは評を避ける。
<漢詩>
 Y・絹江さんの「訪墨西哥古代都市遺跡」(メキシコ古代都市遺跡を訪ぬ)は、5言絶句。日本と、メキシコと、中国の文化が、集合するようだ。モノクロ写真を添える。
 M・昌人さんの「岡田啓介」は、7言絶句。郷土・出身の首相・岡田啓介を僕はよく知らないが、1ページ上段で紹介し、下段に漢詩と通釈文と語釈を載せている。
<一般研究>
 Y・信保さんの「ナマズの謎を追う(1)」は、彼が小学3年生以来の謎(ナマズを食べない家系がある事)を追って、中学~大学に入って解明を続け、「阿蘇の神」の使いとして、氏子がナマズを食べない習俗がある事を突き止める。
 次号で更に論を展開する、という事で期待される。
 前川幸雄さんの「「三好達治展」を見て思ったこと」は、12ページ余に渉る。
 漢詩の翻訳がある三好達治は、西欧詩ではヴェルレーヌの詩を好んだ所から入り、漢詩、西欧詩で隔句交互韻(脚韻)を採っている事を、原文、邦訳、解説を掲げて示している。
 了いに、それらの邦訳では韻を訳出する事が殆んど不可能だと述べている。



このエントリーをはてなブックマークに追加

IMG_20180328_0001
 先の3月30日の記事、「届いた4冊」の4冊の内、トップで報せた、結社歌誌「覇王樹」2018年4月号を、短歌作品中心に読み了える。
 
同・3月号の感想は、3月5日の記事にアップした。その記事より、以前の号の感想へ遡り得る。
概要
 44ページ。通常短歌は2段組み、散文は3段組みである。
 ただし冒頭の「八首抄」(1首×8名)、「卯月10首詠」(10首×4名)、「力詠15首」(15首×2名)は、1段組みであり、字もそれぞれ大きい。
感想
 今号も短歌作品に、散文に、精一杯の誌面である。
 特集の清水素子・歌集「生の輝き」批評特集(6ページ)では、冒頭に「音」発行人の内藤明(以後、敬称・略)の「素直な心と言葉」、「天象」主宰の宮原勉の「静謐の気息」を置いている。あと「覇王樹」歌人3名の批評を置く。
引用
 「大翼集」のT・サツ子さんの「地をも葉をも」6首より。
雪のない正月七日の空に描く鳶が三羽それぞれの輪を
 長閑でおおどかな景を、よく描き得ている。
 題詠「犬」より、K・いつもさんの1首。
珍しき犬をかまってじゃれられて俄か愛犬我はゆきずり
 人間の付き合いは、関係が深まると、トラブルになる場合があり、避けようとする事がある。犬との関わりでも、構うと困る事になるのだから。


このエントリーをはてなブックマークに追加

CIMG9504
 先の3月30日の記事、「届いた4冊」で到着を報せた4冊の内、村上春樹の旅行記「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読み了える。
 再訪を含めて、10編の旅行記を収める。
 2015年、(株)文藝春秋・刊。
 僕が彼のエッセイ、ノンフィクション、翻訳(1部)まで読むのは、彼の文体に惹かれるからである。
 豊かな、余裕ある文体は、彼のたゆまない執筆に養われたものだろう。
 学ぼうと思えば、文法的に主語と述語がしっかりしている事、自然描写を惜しまない事など、多くがあるだろう。
 僕は短歌の世界に入っているので、1首に主語がなければそれは「私」であるとか、省略された所は補って読むように、などの指標のある所で、小説家の文体には敵わない、と思う。
 タイトルがコピー的には苦しげだけれど、ラオスに行く中継点でヴェトナムの人の言葉のニュアンスだったそうだ。答えは「その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから」。
 未知のものを探すために、未知の世界へ出掛ける勇気も、若さも、今の僕にはない。新しい作家の小説や詩(短歌は比較的新しい歌集も読んでいるけれど)を、ほとんど読まない。温故知新的な心境に近い。


このエントリーをはてなブックマークに追加

太神楽
 庭の椿の花、3種を紹介する。
 上の「太神楽(だいかぐら)」は、3月19日の記事「庭の椿と山茶花」の花と同じだが、花容はやや整っている。

吹雪白玉
 椿「吹雪白玉(ふぶきしらたま)」。白地に、紅の吹っ掛け絞りが入る。
 一重、椀咲き。中輪。

春の台
 椿「春の台(はるのうてな)」。白~淡桃地に、紅の絞りが入る。
 八重、蓮華咲き、大輪。




このエントリーをはてなブックマークに追加

角川「短歌」4月号
 kindle版のダウンロード購入を、3月25日の記事で報せた、角川「短歌」4月号を、短歌作品中心にほぼ読み了える。投稿短歌は読まなかった。
 短歌作品は豊かで、痩せていない、削がれていない。村上春樹の作品を読んでも思うのだけれども、文学もブルジョアの作品が豊かなのかな、と思う。
 歌集1冊を自費出版するのに、100万円単位のお金が必要な世界だから、歌集を出し続けるにはブルジョアか、生活を犠牲にするしかない。
 電子本出版が、その世界に風穴を開けられないかと思う。短歌や俳句が旦那芸にならないためにも、方策は必要だ。
 歌壇、綜合歌誌、結社を維持するための、権威主義も廃されるべきだ。見せしめ―便宜や、ヒエラルキーを無くすべきである。
 もっとも僕は、仔細あって、小結社に留まる予定だけれども。
 林田金次郎「余命」7首より。
かたはらの吾をたしかめて病む妻のベッドにさらす欠伸もよけれ




このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ