風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

2019年02月

 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(7編)より、5番目の「居酒屋にて」を読み了える。
 今月8日の記事、同「夜話」に次ぐ。
概要
 この短編に至って、僕はこの本を以前に読んだ事があると気づいた。前ブログ「サスケの本棚」にも記録がないから、2007年4月以前に読んだのだろう。
 この作品は、ショッキングだったようだ。また再読を、後悔しない。短編集ながら、構成は複雑で、込められた思いを充分には感じ取れていなかったのだろうから。
感想
 若い看護婦(現在は看護士)が夜更けの居酒屋で深酔いしている。おかみとの遣り取りを、作家が耳に入れる設定である。死に際の老男性が乳房に触れようとする事について、「…たったいちどだけって、涙を浮かべて拝んでは手を伸ばしてくるんだから。やりきれないわ」。「拝むと間もなく亡くなるから」。「どうしても厭だとはいえないの、あたし」。
 「わかった。今夜もまた、拝まれてきたんだ」(おかみ)。「そうなの。だんだん手垢にまみれてくるわ」。
 躰が汚れた、結婚を諦めたと、豊満な娘さんがストイックに嘆く。
 老男性の死に際の無念を救ってくれるなら、神仏よりも尊いと、感銘を受ける。
 「夜話」でも挙げた、「神なき信仰」に関わるだろうか。僕は信仰を持たない。信仰なき祈り、はある。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。



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 先の1月28日の記事「届いた2冊(5)」で報せた内、詩誌「水脈」64号を、ほぼ読み了える。
 
同・63号の感想は、昨年9月24日の記事にアップした。
特集 日本国憲法を想う
 「想う」などと、遠い恋人を想うように題して、良いのだろうか。
 僕は今、日本は堕ちるところまで堕ちきらないと、再生しないと思う。
 国民を愚弄する政府と、株価などに愚弄される国民に、期待は持てない。(幸いというか、わが家には1枚の株券もない)。
 選挙権を得てより、棄権した事はあっても、自民党にも共産党にも、投票した事はない。

 K・通夫の「晩秋」では、「家族の情に包まれて/至福の今を過している」と、幸せな老いを描いている。
 H・はつえ「紅葉の四国巡礼」にも、M・祐子の「晩秋」にも、自然な感情の流露がある。



同人詩誌「角」第48号
 若狭地方を主として、県内、県外の詩人を同人とする詩誌、「角」第48号を、ほぼ読み了える。
 到着は、今月6日の記事
「入手した2冊(4)」で報せた。発行日次、判型などについて書いたので、ご参照ください。
 また
同・第47号の感想は、昨年9月26日の記事にアップした。
概要と感想
 15名15編の詩、7名7編の散文を収める。
 巻頭、H・信和さんの「どんな空も 他」は、同時に創作している、俳句に余った作品だろうか。「2 つゆ草」の「グレーチングの隙間からでも/空は見える」は不運である。
 M・りょうこさんの「カラス」、Y・万喜さんの「小さな境涯」、共にリアリズムに似せながら、虚構が混じる。
 K・久璋さんの「鯉」に、「一日を生きるための/わずかな飢えを満たす/我欲我執が救いとなりますように」と書く。我欲我執が生きるわずかな支えとなる事は認めるけれども、因業を作品に吐き尽くして、欲のない心境で逝きたいと思う。
 N・としこさんの「つゆくさ」は、露草を「ととめ(魚の目)の花」と呼んでいる。<父さんが/よく これを切って/としこに 持たせていた>と、彼女自身には記憶がないかも知れないエピソードを描く。幼い時に、戦死した父を、70余年も偲び続けている。
 詩誌に散文が重きを置くのは、如何なものか。散文の方が、書きやすい時代だろうか。


 

 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)より、当時・既刊のしまいの詩集「約束したひと」を読み了える。
 先の1月22日の記事、
同「イカとハンカチ」を読む、に次ぐ。
概要
 原著は、1963年(日本共産党・除名後)、思潮社・刊。このコレクション詩集には、年譜がなく、Wikipediaにも載っていない。
 後に買った土曜美術社出版販売・日本現代詩文庫「関根弘詩集」の年譜と、三省堂「現代詩大事典」(2008年・刊)の書誌には、詩集「約束したひと」が載っている。
感想
 冒頭の「寓話」は、4編の昔話のパロディである。童話類のパロディでは、複雑苛烈な現代は解明できないように思える。
 「ケッコン行進曲」では、「カキクケッコン/サシスセンソウ」のフレーズが繰り返されるが、スローガンでもなくユーモアもない。
 「コンサート」の1節「寝床の中で/雨をきいている幸福もある」には、読書とネットに籠もりがちな僕は、同感する。
 「部屋を出てゆく」の、「大型トラックを頼んでも/運べない思い出を/いっぱい残してゆくからだ」には、引っ越しの悲しみが、よく表わされている。
 掉尾の「約束したひと」は、待てども現れない革命への未練だろうか。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。




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 先の1月28日の記事「届いた2冊(5)」で報せた内、結社歌誌「覇王樹」2019年2月号を読み了える。リンクより、「覇王樹」関係の過去記事へ遡り得る。
 ここしばらく、茫然と日を過している。早い春愁だろうか。
 「覇王樹」代表・発行人の佐田毅氏のご逝去を知ったからだろうか。
 先日、僕はめったに書かない詫び状を(非は僕にある)、メールで送ったせいだろうか。
 2月14日に新パソコンが届くという、マタニティ・ブルーのようなものだろうか。

 僕は負の感情を引きずりやすい。環境の変化にも、適応が遅い(付いて行けない場合がある)。
 僕は歌壇で有名になろうとも、偉くなろうとも思わない。「自己救済の文学としての短歌」に、縋るばかりである。ただし1人前にはなりたい。「覇王樹」誌では同人になるとか。「覇王樹」に入会したのは、創刊者・初代主宰の橋田東聲が、「妻が弟子とともに出奔したが、妻を憎めなかった」という、弱さにただ惹かれたからである。
 アマチュア文学者として、作品を遺す欲もあるから、電子版でなりと歌集を1、2冊、生涯で上梓したい。

 ホームページ
「短歌の会 覇王樹」も既に、2月号の体裁になっている。大きな励みになる。
 とりとめのない事を書いた。ご容赦を乞う。



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 1月24日(木曜日)、同人詩誌「群青」を発行していた頃にお世話になっていた宮本印刷へ、結社歌誌と季刊同人歌誌を合本製本してもらうべく電話を入れて、OKをもらった。
 翌日25日に、大封筒へ入れて、持参した。
 2週間後の2月8日(金曜日)の午前に宮本印刷へ電話を入れると、出来上がっているとの返事だった。
 午後1番で、受け取って来た。余り紙での製本で、題字は入っていない。帰宅してすぐ、テーププリンターで印字し、貼り付けた。
 上は所属する結社歌誌「覇王樹」の2冊である。僕は2017年6月号より掲載されて、2月号以前を所有していない。
 字が少し斜めになっているのは、貼り方が歪んだのではなく、台形補正カメラで撮った時に歪んだものである。補整ソフトで補正しきれなかった。

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 購読している季刊同人歌誌「COCOON」Issue01~Issue10を、2冊に分けて。
 僕は他にも受贈した詩誌など、大封筒に分けて入れ、題名と号数をサインペンで書いて、保管してある。本よりも大事にしているくらいである。
 以前に属していた季刊同人歌誌「棧橋」も同じく、宮本印刷で合本製本してもらった。
 所属する同人詩誌「青魚」は冊数が多すぎて、製本に至っていない。

 なおこの4冊の合本製本代金が、800円だった。商売気抜きのサービス(縁落としなど)と代金である。宮本印刷の代表は、地域文学の振興に志があるらしく、僕の知っているだけでも、数種類の同人誌を扱っている。僕もその、おこぼれを受けた訳だ。


 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊、7編)より、4番目の「夜話」を読み了える。
 今月3日の記事、
同「からかさ譚」に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。
概要
 16ページの短編ながら、4章(無題)に別れている。
 飼い犬のブルドッグ「ボス」の老いて、死に至り、遺骨を八ヶ岳山荘の近くに埋めての、異変譚までを描く。
 作家の親族、家族への情愛は、飼い犬にまで及び、冷静ながら親しく書かれている。
感想
 詩人・鮎川信夫は「(戦死者の)遺言執行人」を名乗ったが、三浦哲郎もまた1族の成り行きを小説に遺したといえるだろう。もっともその他のフィクション、伝記的な作品もある。僕が読み進められなかったからかも知れないが、「夜の哀しみ」(新潮文庫、上・下巻)など、なぜ不倫のストーリーを描いたのか分からない。
 エピソードの1つに、フィラリア予防は気慰めくらいにしか効かない、というのがある。僕は2代の犬を飼ったが、2匹目はフィラリアで死んだ。知識がなく、外飼いの犬は9割くらいフィラリアに罹ると知らなくて、予防をしなかった。エピソードにわずか、慰められる。しかし医学の発展があるから、20年くらい前の事ながら、あるいは救えた命かも知れない。それ以来、ペットを飼わせてもらえない。
 山荘の犬の墓や写真の異変譚に、霊魂の存在を信じているような所がある。神仏は信じていなかったようだが、神なき信仰というものはあったかも知れない。
 家族に可愛がられて生き死にした、ペットの物語である。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。




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