風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

2019年06月

 6月27日に95歳で死去致しました義母(妻の母)の葬儀につきまして。
 27日の枕経、28日の納棺、出棺、通夜、
 また29日の葬儀、お焼き上げ、納骨、初七日法要、すべて無事に済ませました。
 ブログ更新を休んで、アマチュアを実感しました。
 見守ってくださった方々、ありがとうございます。

白蓮
写真ACより、白蓮の花の写真1枚。



 
 2019年6月27日午前6時半頃、義母(妻の母)が95歳の老衰で死去致しました。
 夫婦二人の両親の、最後の親でした。
 諸々のため、ブログ記事更新を、2、3日、休ませていただきます。

白蓮


 6月26日(第4水曜日)、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第34回を持った。
 僕は5月18日の記事、同A第56回に次いで、定刻9時半に30分の遅刻をした。前日に用意をして置きながら、目覚まし時計が鳴らず、Mさんの電話で起きたからである。
 同B第33回は、先の5月31日の記事にアップした。

 平謝りをして、アイスコーヒーを注文した。宮柊二の長歌に曲を付けた歌曲のCD「朱鷺幻想」を含め、歌誌・他の貸し借り、返却をした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。歌集を出掛け際に忘れた僕は、Tさんに文庫本を借り、TさんとMさんが2人1冊を参照した。

 今回は、170ページ、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)の1963年、「編輯会の夜」より入る。
「編輯会の夜」の章より。
 2首めの「先生を蔑(なみ)する若き」の「先生」は、明らかに宮柊二の師・北原白秋を指す。
 3首めの「悲しみ」、4首めの「痛ましき」、また飛んで172ページ「肥後、南関町外目」1首めの「こころ寂しも」など、感性が強い歌人だったのだろうと、Mさんが感想を述べた。
「昨日今日」の節より。

 2首めの上句「追ひすがり追ひ迫りつつ」は、歌業を含めて生活に追われ、「憩ひさへ」ないと詠んだのだろう。
 3首めの上句「家の者いまだ目覚めず」は、深夜の執筆を了えて、早朝だったのだろう。
「日常断片」の章より。
 1首めの下句「蛇ながながと草に居りたり」の蛇は、子供たちに殺されたのかと僕は思ったが、「ありたり」では無いので生きているのだろうとTさんが述べ、僕は納得した。
 4首め(172ページ)の、「歌詠むは悲しと思ひ詠まぬより浄しと思ひ歌を思ふ夜」の1首は、Mさんが心境にぴったりだと述べた。
「牡丹の寺」の節より。
 1首めの初句「蹴速(けはや、「蹴」は旧字)碑の」の「蹴速」は、日本書紀の当麻蹴速(たいまのけはや、相撲の神様)らしい。結句に「当麻寺(たいまでら)みち」とある。
「埋骨行」の節より。
 3首めの第4句「生死(しゃうじ)乗せつつ」の「しゃうじ」は仏教語で、生活語の「せいし」と異なり、短歌に親しいとTさんが述べた。

 174ページの1首め(上の歌)で、研究は30分ながら、10時半で了えて、雑談に移った。文庫本の歌集編の半ばに至った事に、お互い感慨深かった。次回の日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 6月17日に、坂井市春江町の「ゆりの里公園」に行き、6月21日付けで、ゆりの里公園2019として記事アップした。その記事の末尾に書いたけれども、オリエンタル・ハイブリッドの百合の球根5種セット1,300円(税込み)を買ったのだが、植え付けが延び延びになっていた。8日後の6月25日午後、粗相で雑ながら、5球をビニ鉢2個に植え付けた。プランターに植えた方が、良かったらしい。
1・百合5球2・5種名
 初めの写真は、百合5球である。冷暗所に置いたが、すでに芽がでている。後の写真は、5種の種名と花の写真である。小さいラベルである。どの球根がどの品種か、わからない。ラベルを保存したので、咲いてのお楽しみである。
3・用土4・鉢欠け
 初めの写真は、用土である。市販の園芸用土の残量で足りなさそうで、赤玉土を半分近く混ぜた。
 旧いビニ鉢の7号か8号に、2球を植え付ける。底に鉢欠けを敷く。用土流失を防ぐためである。

5・2球植え6・3球植え
 7号か8号の鉢に2球を、10号鉢(直径30センチ)に3球を置き、土を被せる。鉢は古い土を洗い落としていない。深さは20センチとガイドにあるが、そんなに深くしない。
7・植え付け後
 植え付け後、たっぷり水を掛け、軒下のスノコ板の上に並べる。コンクリートにじかに置くと、暑さに参るからである。
 季節外れの植え付けだが、1度なりと花を見られれば幸いである。




 昨日の記事、第2回「蝸牛忌」参加の記、の余話を書いてみたい。
 開催場所の敦賀市立北公民館への辿り着き方が僕はわからないので、所属する同人詩誌「青魚」の代表、T・晃弘さんへ前以って電話で連絡し合い、JRローカル列車で、12:12福井駅発、13:03敦賀駅着の便で敦賀駅へ行き、あとは近距離をタクシーで行くことに決まった。前夜、北公民館をネット検索し、地図をプリントした。
 車中では、鯖江駅よりのT・晃弘さんに会わなかったので、別便だったかと思った。敦賀駅で、T・晃弘さん、O・あき子さん、Mさん夫妻と出会い、安堵した。タクシーの2台に分乗し、数分で北公民館に着いた。
 公民館ホールのロビーで、基調講演をするS・道明さん、山岳エッセイストで福井詩界と関わり深いM・迪男さんに声を掛けられた。

「角」第50号
 プログラムには書かれていないが、実質的世話役の「角の会」の、K代表が同人詩誌「角」の最新号、第50号を下さった。会場では、顔見知りの福井の文学者の方々と、挨拶を交した。
 第2回「蝸牛忌」は、充実した催しだった。
 帰途、徒歩でJR敦賀駅まで行く数名と別れて、僕はT・晃弘さんを道連れにタクシーに乗った(僕は足腰が弱いので)。駅でお互いに飲み物とお八つを買い(徒歩でゆき、喫茶店に寄る人たちとはぐれたので)、話をしていると、当日に2度登壇したI・秀子さんが現れて、列車を待つ間に様々な話で約50年来の旧交を温めた。
 中日詩人会から唯1人、名古屋市近くから参加した、男性詩人が現れ(お名前は失念した)、岡崎純さんに救われたことがある、と語った。しばらくして特急列車で帰宅するらしく、去って行った。
 出発17:51の10分くらい前に、3人は敦賀駅発のローカル線に乗った。既に電車の席に、詩人のH・秋穂さんが寂しそうだったので、旧知の僕は横に座って、彼の文学の博識を聞いた。発車前に、徒歩で駅に至った人たち数名も乗り込み、忌祭の盛り上がり醒めやらぬまま、それぞれの降りる駅に着くまで、文学談を語り合った。
 僕は、車で福井駅まで送ってもらった時と同じく、妻とSMSで連絡し合い、ちょうど車に乗せてもらって帰宅した。当日の内に、第2回「蝸牛忌」の記事を書き始め、日を越して書き上げ、24日0時15分に公開した。


 6月23日(第4日曜日)午後1時半より、敦賀市立北公民館3階ホールにて、詩人・岡崎純さんを偲ぶ、第2回「蝸牛忌」が催された。
蝸牛忌・全景
 上は、K・久璋さんの開会挨拶の場の、背面よりの全景である。もっとも、画面を外れて左側に椅子を出して、数名が座っていた。
 昨年には、僕は急な事情で参加できず、残念だった。その事情は、昨年6月11日の記事、第1回「蝸牛忌」参加・断念の記に記したので、ご覧ください。

蝸牛忌・題字と遺影
 上の写真は、今回の題字と、若き日の岡崎純さんの遺影である。
 忌祭は(午前中の墓参を了えて)、4時半までの予定で始まった。
 S・博美さんの総合司会で、K・久璋さん(詩誌「角」代表)の開会挨拶のあと、S・道明さん(詩人・作家・評論家)の基調講演「岡崎純詩の怒りとユーモア―日野山の山容が育んだもの―」があった。資料と実地体験と研究に想像力を合わせた、自身の老化の自覚に抗いつつ、凄みのある講演だった。若き日の出会いから始まって、①優れた文学者には、模倣者が現れる。岡崎純さんの詩には、模倣者がおり、模倣を一概に悪いとは言えない。②農民の信心を、美徳とは捉えていない。無念を彼岸に持ち越したのだ。

 岡崎純さんの4編の詩に、M・勇さんが作曲し(ピアノ伴奏を得て)独唱した。
 10分間の休憩ののち、第2部。画廊喫茶のマッチ箱にかつて印刷した14編の短詩を、約10名が朗読した。
 岡崎純さんの詩にしばしば現れる小動物に因んで、詩人・フランス文学者のT・武光さんがルナールの詩集「博物誌」より何篇かを原語で朗読し、Y・勝さんが邦訳(岸田国士・訳)を読み上げた。スクリーンに挿し絵を写しての、僕には新しい世界だった。
 催しのしまいに、「岡崎純の詩をめぐって」というシンポジウムがあり、K・久璋さん司会のもと、T・晃弘さん、K・不二夫さん、I・秀子さんが、岡崎純さんとの出会いから、作品論までを語った。
 岡崎さんのお孫さんのY・杏子さんから遺族・謝辞、W・本爾さん(福井県詩人懇話会・代表)の閉会挨拶があり、遠路参加者へのK・久璋さんの配慮のお陰で、定刻の4時半に第2回「蝸牛忌」を了えた。


 

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 季刊同人歌誌「COCOON」Issue12を、ほぼ読み了える。
 到着は6月18日の記事、1冊と2誌が届く、で報せた。
 同・Issue11の感想は、先の4月3日の記事にアップした。リンクより、過去号の記事へ遡れる。
概要
 2019年6月15日・刊。ほぼA5判、87ページ。短歌作品欄は、1ページ1段、6首組み。
 結社「コスモス短歌会」の若手歌人(1965年以降・生まれ)を同人とする。代表:O・達知さん。
感想
 ソ連型社会主義崩壊後の資本主義は、労働者の生活や生命を顧みない、低賃金、使い捨て、殺人(過労死)さえ犯すものになった。単身赴任という、家庭を引き裂く使役が出た頃から、怪しいと僕は思っていた。僕は危うく立場的に、年齢的に逃れ得た。
 M・芙季さんの投げ遣りな心情、K・玲音さんの「だれよりも悲惨でいたい」と破綻的な心情が見られる。
引用

 O・淳子さんの「さみしくはないはずなのに」12首より。
降りだした雨にまじりて血の匂う懸命に生きることに疲れた
 懸命に頑張れば、利用されるだけで、成功に結び付かない、現状を知らされる。
 O・達知さんの「強気」12首より。
生きてゆくこころぐるしさ減らそうとあっち見ながらゴミ出しをせり
 「苦しさ」を感じるのは、比較する「楽さ」を知っている、比較的に年嵩の勤労者に多いようだ。
 
 このような時代に、短歌同人等の仲間、家庭に寄り合うなどして、生きるしかないのだろう。



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