風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

2019年07月

羽生善治 考える力
 別冊宝島「羽生善治 考える力」を読み了える。
 藤井聡太・本の「証言 藤井聡太」他を読む、ずっと前から羽生善治の人生論に関心があった。しかし彼は7冠、名誉7冠、国民栄誉賞等、遠い人だった。もちろん僕は将棋の指し手はわからない。
取得
 メルカリを「羽生善治」で検索すると、この本が引っ掛かった。宝島社・刊、発行年月日は記載ないが、2009年までの記録が載っている。
 300円の本を、メルカリ・ポイントがないので、カードで買った。7月15日に注文し、18日に届き、そのままに読み進み、翌日には読み了えた。

感想
 ただ記者や他棋士からの記事が多く、羽生9段の語るインタビューも軽く短い。ジャーナリスティックな編集なので、鵜呑みにできない言葉がある。例えば「3割の負けは引きずらない」。敗局から学ばなければ、前進する筈がない。
 ほぼB5判、111ページでありながら、カラー写真は表紙のみで、他のたくさんの写真はモノクロなのが惜しい。
 対局の心の姿勢、座右銘など、励まされる言葉はあった。
 今は無冠だが、勝局を重ね、大山名人の最多勝局数を越えるなど、モチベーションを保って戦っている。コンピューター将棋世代へ移っているようだが、彼の生き方に注目したい。


 

 今日2回めの記事更新です。
 高校文芸部の年刊部誌「白房」1968年号(3年生時代)に載せた、初めての小説「底流」の(1-2)を、ホームページ「新サスケの散文サイト」にアップしました。同(1-1)に継ぎます。お読みください。


なおURLは以下の通りです。

masakyf-diary.amebaownd.com/posts/6629654

 フィッシング防止等のため、上記リンクは2、3日後に切れます。その場合、「底流」の(1-2)に貼ったリンクよりお越しください。

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写真ACより、「恐竜」のCG1枚。


わたくし率 イン歯ー、または世界 (2)
 川上未映子の講談社文庫より、「わたくし率 イン 歯ー、または世界」、「感じる専門家 採用試験」を読み了える。
 同・本の入手は、今年4月29日の記事、(同)をローソン店で受け取るにアップした。
概要
 2編の初出など、リンク記事に書いたので、ご参照ください。
 川上未映子(かわかみ・みえこ、1976年・生)が、大阪の高校卒業後、弟の大学資金を稼ぐため、本屋のアルバイトとクラブのホステスをしながら、なぜ「早稲田文学」に伝手ができたのか、わからない。のちに上京して、歌手活動をしたから、優れた才能はどこかで見出だされ開花するのかも知れない。
「わたくし率 イン 歯ー、または世界」

 自分の本質は脳でなく、奥歯にあると信じる女性が、歯科助手に就職し、お腹の子や同僚に宛てて手紙を書く。子の父親の「青木」の部屋を久しぶりに訪うと、別の女がおり、放り出されてしまう。
 本質が奥歯にあると信じたのは、少女時代に苛めを受ける苦しさから考え出されたらしい。川端康成「雪国」の冒頭に主語がないテーマも、その時の自己抹消の方法からである。
 結局「青木」の部屋の玄関から追い出され、過去も妊娠もあやふやとなって結末する。
「感じる専門家 採用試験」
 前作よりも約半年、早く発表された。
 ずいぶん詩的な表現が多いことと、大阪弁の文体が、印象に残る。「徹底的な後悔も、徹底的であるなんて、あれはそれで美しかったね」の1語が刺さる。
 彼女は詩の才能があり、詩集で第14回・中原中也賞を受賞している。最近でも詩から小説に移って成功する、それも女性がいるんだ、と驚く。


 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻より、5回めの紹介をする。
 同(4)は、先の6月7日の記事にアップした。リンクより、過去記事へ遡れる。

 今回は、「拐帯者」、「春日尾行」、「雀荘」、「クマゼミとタマゴ」、「大王猫の病気」、「ボロ家の春秋」、6編を読んだ。
「拐帯者」
 同(3)の記事にアップした、「拾う」と似たテーマで、突然、大金を手にした男(この場合は会社のお金を持ち逃げしようとしている)が、1晩の遊蕩とアバンチュールに、満足しない。このテーマに、梅崎春生がなぜ拘ったか、わからない。
「春日尾行」

 ミステリーめいた進行で、最後に大団円で決着が付く。推理小説の流行があったのだろうか。
「雀荘」
 ジャン荘ではなく、「スズメ荘」の名のアパート6室(仕切りが3分の1しかない)の住人が、戦後のあぶれ者ばかりで、駆け引きをしながら生活している。
「クマゼミとタマゴ」
 全集で実質2ページの掌編で、同(2)で紹介した「ヒョウタン」と同じく、少年時の回想風の作品である。
「大王猫の病気」
 行き詰まりを宮沢賢治の口語体に救われた(椎名麟三「解説」より)という梅崎春生が、童話を試みた1編である。部下の猫たちに、戦時下の上下関係も見える。童話としては優れていない。
「ボロ家の春秋」
 直木賞を受賞した、名作とされる。
 権利金を騙し取られた「僕」と「野呂」の下宿人が、夜逃げした所有者より家を差し押さえた陳さんに家賃を払う羽目になる。2人は陳さんより、家を買い取り、お互いが家を単独で所有しようと画策する。

 これら近親憎悪は、従軍して生き残った者の、お互いの後ろめたさから来ているようだ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 今日2回めの更新です。
 高校生時代の文芸部の、年刊部誌「白房」1968年号(3年生時代?)より、僕の初めての小説「底流」の(1-1)を、ホームページ「新サスケの散文サイト」(「新サスケ's Ownd」より改題)に転載しました。拙い作品ですが、1部で注目されました。わずかに改めてあります。どうぞお読みください。

URLは以下の通りです。

masakyf-diary.amebaownd.com/posts/6614614

 なおフィッシング防止等のため、上のリンクは2、3日後に解除されます。その場合は、「底流」の(1-1)に貼られたリンクより、お越しください。
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写真ACより、「恐竜」のCG1枚です。


 7月17日(第3水曜日)の午前9時半から、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A58回を持った。
 同・第57回は、先の6月19日の記事にアップした。
 当日はこれまで有った、僕の遅刻がないよう、前夜にSMSでMさんに、8時半のモーニングコールをお願いしていたけれども、当日は8時に目覚めて、コールを辞した事だった。

 当日は少し早めに着いたが、まもなくTさんとMさんが現れた。歌誌等の貸し借り・返却のあと、研究会に入る。研究会Aは、お互いの詠草の検討である。
Mさんの10首より。
 3首め。「せはしなく行き返りする翅黒蜻蛉迷ひあるのか李の下を」を、句を入れ替えて、「せはしなく李の下を往き返るおはぐろ蜻蛉迷ひあるのか」にするよう、僕とTさんが提案した。
 9首め。「嫁ぐ娘の家へと駆くる」の初句が、これから嫁ぐように取られるので、聞くと次女さんというので、「したの娘の」に直すよう、僕が提案した。
Tさんの7首より。

 1首めの中句「声小さし」を自ら「声小し」に直した。
 2首めの4句「言ひて足れるや」の「や」に続く形が、「足れり」の変化とも絡んでわからなく、宿題とした。飯塚書店の「新版 短歌文法入門」に「や、よ」は「種々の語に接ぐ」とあった。
僕の10首より。
 2首め、「義母の死の諸々により」の歌は概念的なので、他の歌と差し替える事にした。
 5首めのカレンダーの歌で、「早くも剥ぎて文月(ふづき)を見せる」は「見せる」がしっくりしない。「現す」「出だす」等の案も出た。帰宅後、「示す」の語を思いつき、それにした。

 検討会後、僕の今期100首余は、持ち帰って読んでもらう事になった。次回の研究会Bは、学校の夏休みの関係でパスし、8月の研究会Aの日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 

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 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の最終巻・第15巻(1981年・刊)に入り、感慨がある。
 初めの句集、石原八束「黒凍みの道」を読み了える。第14巻の最終句集、先の6月14日の記事にアップした、宇佐美魚目「秋集冬蔵」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、牧羊社・刊。380句、あとがき「巻末に」を収める。
 石原八束(いしはら・やつか、1919年~1998年)は、初期に俳誌「雲母」に拠り、1961年・俳誌「秋」を共同創刊。
 1960年より5年間、三好達治を囲む「文章会」を毎月開催。1962年「定本 三好達治全詩集」(筑摩書房・刊)編集で、三好達治の戦争詩をすべて省いたように、三好達治の戦中を隠したかったようで、戦中よりの後輩、福井の詩人・則武三雄に彼はずいぶん冷たく当たったと聞く。
感想

 「内観造型」を唱え、後に詩的宇宙を構成する方向をたどる(三省堂「現代俳句大事典」2005年・刊の「石原八束」の項に拠る)とされる。
 「黒凍みの道」を僕が読んでも、詩的表現が多いと感じる。詩を書けば良いとは言わないが、俳句的発展とは、別の道のようである。国際俳句に貢献した事も頷ける。
引用
 以下に5句を引く。
口裏を合せかねゐる年忘れ
白芥子の吹かれたつとき海となる
いつまでも咲いてさびしゑ寒ざくら
雪ふれよふれ塋(おくつき)の花の母
好き嫌ひ顔に出てゐる秋団扇



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