風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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2020年02月

 結社歌誌「覇王樹」2020年2月号を、ほぼ読み了える。
 到着は、先の1月31日の記事、届いた2冊を紹介する(10)で報せた。



 リンクには、1月号の感想、結社のホームページ、僕の歌の載るブログ記事、3つへリンクを張ったので、是非ご覧ください。
覇王樹2月号
 通常の6首掲載の前に、巻頭言、八首抄、爽什6首10名、如月10首詠4名がある。力詠15首はない。
 同人の渡辺茂子さんの歌集「湖と青花」の批評特集が組まれた。9ページに渉る。社外より3氏、社内より5氏が、批評を寄せている。
 僕の拙ない感想は、昨年10月5日の記事にアップした。



 H・俊明氏の「覇王樹人の歌碑(38) 幻の加藤文友歌碑」では、昭和12年秋頃に建立された、現物不明の幻の歌碑を追っている。

 以下に2首を引き、寸評を付す。
 T・美香子さんの「故郷・高松」6首より。
がっしりと我を負いし従兄の背今細々と夕日を受ける
 「負いし」は、「おぶいし」と読むのだろう。広辞苑にも載っている。
 W・富貴子さんの「霜月の旅」6首より。
社会から切り捨てられぬようにせんスマホ見つめる深夜零時に
 ITの進む世に遅れないよう、努める姿が健気さを感じさせる。




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 目指しているKDP(キンドル ダイレクト パブリッシング)より、3回めの報告をする。
 2回めの報告は、先の1月16日の記事にアップした。



 ホームページより、旧作小説「底流」の1部をWordへコピペしたあと、残りを初出(文芸部誌、1968年・刊)よりキーボードで筆写した。全体の2/3程だった。若気の至りというか、表現のオーバーな箇所は、改めるか削るかした。
 そのあと、文芸部誌になかった結末を、当時の創作ノートより9行分、付け足して本文の完成となった。
 B5判、1ページ42行、1行31字で、約15ページ半である。約2万字、400字原稿用紙で50枚の、短編小説である。
 この後、改ページして、まとめと称して、あとがきと奥付けを書く予定である。出来るだけ早く、原稿を仕上げ、KDPに持ち込みたい。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


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 山田詠美の小編小説集「タイニー ストーリーズ」より、4回め、了いの紹介をする。
 同・(3)は、今月4日の記事にアップした。



 今回は、「涙腺転換」、「GIと遊んだ話(四)」、「クリトリスにバターを」、「420、加えてライトバルブの覚え書き」、「予習復讐」、「GIと遊んだ話(五)」の6編を読んだ。

 「涙腺転換」は、母親の遺訓に従い人前で泣かないが、涙が尿になって出る少年の話だけれども、幼年的性を揶揄しているのかも知れない。
 「クリトリスにバターを」は、身も蓋もない題名だが、作品末尾に作者が断っている通り、村上龍の芥川賞受賞作「限りなく透明に近いブルー」の原題である。アメリカに住むアメリカ人の夫、パトロン、大学生との関係を描いている。
 420は大麻の隠語、ライトバルブは電球のことである。女性の大学教師と学生の秘めた恋、という男性にサービスした設定である。
 「予習復讐」では、25年前のいじめっ子女子に復讐しようと企むが、相手が貧しく、しかも転校後に苛められたと聞いて、敵意が失せていく。
 「GIと遊んだ話(五)」は、GIと復縁する話だけれども、現実には山田詠美は元GIと離婚した。金属疲労のようなことだろうか。


 山田詠美は性を描いて、現代の徒花のように見えたが、最近は「つみびと」などシリアスな小説も執筆しているようだ。惜しいが、方向転換だろうか。

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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。



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 笠原仙一さんの第6詩集、「命の火」を読み了える。
 入手は、先の1月31日の記事、届いた2冊を紹介する(10)で報せた。



笠原仙一 命の火
 2019年12月28日、竹林館・刊。500部・限定。
 この500部というのは、僕の周囲の自費出版・詩集としては多めで、組織を通して配られるのだろうか。
 45編の詩とあとがきを収め、159ページ。

 仲間から「笠原節」と呼ばれる、ラッパの詩は、僕は苦手である。僕は藤村、白秋、朔太郎の抒情詩から戦後「荒地」派の詩を読んで来たので、プロレタリア文学系の詩になじまない。

 ただ「日の本が滅んでいく」には、題名とは別な仏壇仕舞いの内容で、身につまされた。僕は廃棄物処理の事業所に勤めた時期があって、仏壇屋が仏壇を廃棄物として持ち込むのには閉口した。仏壇屋の仏壇は産業廃棄物だから駄目だと言っても受け付けを通って来る。お精抜き(この字を宛てるのだろう。僧の誦経で仏壇の仏性を抜くこと)をしてあるのかと問うても、無言である。無信心といっても、人々の念の籠もったものを、ゴミとして破砕する事には抵抗があった。
 また「雪よ」には、雪国に住んで、大雪に難儀する庶民の心情を描いて、共感する。




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 本阿弥書店の総合歌誌「歌壇」2020年2月号を、作品中心に読み了える。
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 入手は、先の1月19日の記事、入手した3冊を紹介する(6)にアップした。


 同・1月号の感想は、先の1月12日の記事、同・1月号を読む、にアップした。


 2月号の巻頭20首より、三枝浩樹「時のかたみ」掉尾から。
戦中と戦後、今生をつらぬきて隠りながるるひとすじの水
 その前には、戦死した者、長く帰還兵を待つ母を、賛美する歌がある。
 敗戦革命も、戦後民主主義教育とその挫折も、無かったごとく見做す、反動である。

 同じく松村由利子「一樹であった」の掉尾は次の1首である。
伐られても悲しくはない笛となり誰かの息に満たされるなら
 時代への敗北の悲鳴と、諦念が聞こえるようだ。


 特別企画・初冬の越前を訪ねて、は誰の企画だろうか、読むに忍びない。企画旅行の目で、詠んでほしくない。僕は日本の社会風土は嫌いだが、郷土の福井県を、原発問題を別として、好きである。郷土を汚してほしくない、との思いがある。

 第31回歌壇賞決定発表では、受賞の言葉に「今までずっと短歌に救われてきました・・・」とあり、短歌の救いを信じる者には、作品に新しみはないながら、納得できる。将来はわからないけれども。


 


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 山田詠美の小編小説集「タイニー ストーリーズ」より、3回めの紹介をする。
 同・(2)は、先の1月27日の記事にアップした。


 文春文庫、2013年・刊。21編のタイニー ストーリー(小編小説)を収める。

 今回に僕が読んだのは、「LOVE 4 SALE」、「紙魚的一生」、「GIと遊んだ話(三)」、「ブーランジェリー」、「にゃんにゃじじい」の、5編である。
 苦労して貯めたお金を、自殺未遂詐欺の常習者に貢いでしまう話「LOVE 4 SALE」、知性に憧れて一緒になった男性に、読書ばかりで構われない話「紙魚的一生」、友人と一緒にGIと遊ぶ、僕には趣のよくわからない話「GIと遊んだ話(三)」、パン屋兄弟の兄と交際して「体の相性が良い」けれども、弟に譲られてしまう女性「ブーランジェリー」(フランス語でパン屋の意味)、いわくありげなお爺さんが、「猫みたいな女はいない、そう振舞おうとする女は多々いたけれども」と親しくなった少女に教える「にゃんにゃじじい」、の5編である。
 いずれも、山田詠美の経歴を含めて、ハッピーエンドではない事が気になる。ハッピーな作家という人物も、相応しくない気がするけれども。作家は精神労働者なので、苦労する者だろう。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。



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 森絵都の短編小説集「アーモンド入りチョコレートのワルツ」より、先の1月24日に紹介した「子供は眠る」に続く、2編を読み了える。

 リンクより、関連過去記事へ遡り得る。

 今回読んだのは、「彼女のアリア」と、「アーモンド入りチョコレートのワルツ」である。
 「彼女のアリア」には、J・S・バッハ<ゴルトベルグ変奏曲>より、の副題が付く。
 使われない旧校舎の音楽室でピアノを弾く中三の少女と、同級の男子が出会う物語である。えり子は、「僕」の1ヶ月不眠の悩みを聞いてくれ、自分も不眠症だと慰めてくれ、様々に話し合うようになる。
 boy meets girlの物語である。
 ただし、えり子は虚言症であり、他の男子にも優しいと知り、「僕」は無視するようになる。しかし、卒業式のあと、二人は旧音楽室で和解する。

 「アーモンド入りチョコレートのワルツ」には、エリック・サティ<童話音楽の献立表(メニュー)>より、の副題が付く。
 ピアノ教師の絹子先生、生徒の君絵、奈緒(語り手)の間に、フランスから「サティのおじさん」が現れ、愉快に引っ掻き回して去っていく。「アーモンド入りチョコレートのように生きなさい」がサティのおじさんの教えであった。アーモンド入りチョコレートは僕の好物で、惜しんで食べたものだが、ずいぶん昔である。小説では、数年前、との設定になっている。単行本・発行の1996年の数年前なら、僕の好んだ頃と合っているだろう。


 ワルツは3拍子だから、3編を収めたのだと、途中で気づく僕の迂闊さである。3編とも、美しく終わる。それは別荘での夏の終わり、卒業、帰国など、強制的な終わりのあるストーリーだからでもある。
 夫婦、親子など死ぬまでの関わり、そうでなくとも数十年の職場関係の、悲喜は語られない。後に彼女は、大人の小説を描き、人の一生を感じさせる作品を書くようになる。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


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