吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、最後の紹介をする。
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「砂漠の薔薇」(1)は、今月6日の記事にアップした。
概要
 「砂漠の薔薇」は、手書きで「1923年 春山行夫第七詩集」と記された、手書きと推測される未刊詩集である。
 1行~4行の短詩が中心とされる。
感想
 前回の(1)に続き、464ページの「屋根時計」より巻末493ページの「死」までを読み了える。
 短詩が中心とされるが、後半には10数行の作品や、散文詩が現われる。
 「墓碑銘」という5行の詩は、機智が効いている。死に関わる短詩ばかりが、なぜ感銘を与えるのだろう。以下に引く。
  墓碑銘
生れたのは家のなか
恋したのは苑(には)のなか
死んでからは土のなか
なんと人生は
にぶい下り坂!
 この本で4行の散文詩「象牙の塔」の後半は、次のようである。
…この世界は私のこころにたつた一つ
象牙の塔の鍵をくれました
だがそいつはすつかり錆びてゐた!
 庶民の真実に触れ得なかった、ハイブラウ詩人の嘆きのようである。

 巻末に近づくに連れて、物語風散文詩となって来る。
まとめ
 詩業的には、詩集「鳥類学」(1940年・刊)を頂点とし(その後に正式の詩集は刊行されていなかった)、西洋のモダニズムを移入した。
 また編集者として、モダニズム文化の大きな潮流を作った。
 しかし1942年の「日本文学報国会」の結成等に至る、戦時下の体制にあえなく敗れて行った。
 「春山行夫詩集」のこのあとには、懇切な「解題」と、詳細な年譜が付されている。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「ピノキオ」のイラスト1枚。