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 先の1月30日の記事で到着を報せた、結社歌誌「覇王樹」2018年2月号を、ほぼ読み了える。
 先の記事の表紙写真では、画像ソフトで露出をやや暗くしたが、かえって紛らわしいので、元のままに戻した。結果は良いようである。
 また昔のように、台形補正カメラで撮っているのではなく、多機能プリンタのスキャン機能でパソコンに取り込んで、トリミングしているので、画像が鮮明である。
概要
 2018年2月1日付、覇王樹社・刊。44ページ。
 通常の短歌・評論等の他に、今号では清水典子・歌集「貫流」批評特集を組んでいる。清水さんも発行当時、会員には配られたのだろうが、昨年6月に入会の僕には届いていない(Amazonで買えば良いだけだが)。
 大結社となると、毎月の結社誌を読み了えられないらしい。会員、ページ数が多いのはめでたいが、読み了えられない結社誌は普通で無いのではないか。
感想

 ネットをしている者にはありがたく、ホームページの充実、事務室との通常の通信はメールで、また題詠・付句、月例詠草もメールに添付のファイルで良い。僕の原稿は、Word2010だが、受け取って下さっている。
 題詠(1首)、付句(2首まで)の応募も楽しい。昔の歌合わせのように優劣を判じる事ではないから、遊戯のようで、僕もこれまでにないフィクションぽい作を応募したりしている。
引用
 T・サツ子さんの力詠15首「鮭昇る川」より。
口開けた薄紫の木通の実含みて道草した日に帰る
 少年少女時代への郷愁を呼ぶ。拙作「下校路を山へ逸れればこれの根が食えると言いて片栗の花」がある。
 同じく力泳15首の、T・昭子さんの「鈴虫」より。
「女湯はもう入れん」と男湯へ六歳・十歳肩をいからせ
 「肩をいからせ」に意地と緊張が見えて、愛らしくたのもしい。
 東聲集のM・照男さんの「ものいわぬ山」6首より。
萩すすき折られし儘を持ち帰り野分けを活ける信楽の壺
 「野分け」という目に見えないものを活けた、秀抜な1首である。
 大翼集のT・春代さんの「初冬の夕映え」6首より。

栗鼠にでもなった気分で栗の実をほつほつ食べる独りの夜長
 「~にでもなった気分で」は、短歌の新しい比喩法だろう。栗は皮・渋をとりにくくて、栗鼠になった気分とは、納得する。