4月24日(第4火曜日)の午後1時より、喫茶店で短歌研究会B第23回が持たれた。同・A第44回は、今月19日に持たれた。
 2月2日の記事、
短歌研究会B第22回以来の、研究会Bである。
 喫茶店に早目に来て待つこと数分、現われたのはTさんである。Mさんはご家族の入院で、遅れるか、来れないかも知れないとのこと。
 僕にも不安があって、外出用の眼鏡とパソコン用の眼鏡を、取り違えて使っていた。視力0・1以下の僕が、ブルーライト・カットだけのパソコン用眼鏡で、よく車を運転したものだ。デザインが似ていて、以前にも何度か間違えており、気を付けたい。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「日本挽歌」(1953年)の「地の塩」の章(113ページ)より。
 初めの「竹群に朝の百舌鳴き」の結句「冬の塩」の字足らずは、中句の「いのち深し」(自分と百舌の命だろう)の詠嘆と相俟って感銘深い。
 「蠟燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代(よ)過ぎぬ」は、名歌として有名である。Tさんが、宮柊二には、蠟燭の歌が幾つかある、停電の多かった時代としても、と指摘する。
 第6歌集「多く夜の歌」(1961年)に入る。
 「灰皿」の章(117ページ)の「竹群(たかむら)の空青青と音なくて寂しき春の時間ぞ長き」に、僕は掛り結びと空き時間を、Tさんは春愁を指摘した。
 「雛祭り」の章では、「はうらつにたのしく酔へば」の歌を、Tさんが好むと述べた。
 20分くらい遅れて、Mさん登場。
 「竹群(たかむら)に春の疾風(はやかぜ)うちとよみ」の歌は、なぜ「はやち」と読ませなかったか、わからない。
 「北海道羈旅」の章では、「春楡の午(ひる)の林に入り来ればこゑもの憂くて郭公鳥啼く」をMさんが好みだと述べ、彼女の歌風に通うと納得した。
 午後1時45分頃だったが、僕の眼鏡とMさんのご家族のこともあり、研究会を打ち切った。
 次の研究会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。