石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、「鼓動以後」(1,359首・収録)の4回め、最終の紹介をする。
 先の5月28日の記事、同(3)に次ぐ。このあとは短歌作品として、初期歌編421首と、別冊栞に掲載された遺詠9首のみである。
概要
 今回は、547ページ「時も命も」(1990年)の章より、しまい586ページ(1993年)までを読んだ。この時期、著者は肝炎を病み、1993年1月7日、肺癌のため死去した。
 僕が「コスモス」に初出詠したのは1993年12月であり、没後すぐに当たる。
感想
 「コスモス」の創刊者・宮柊二の没後、「コスモス」は幾つに分かれるか、などと噂されたらしいが、葛原繁が編集人となり結社をまとめ、分裂を防いだ手腕は大きく評価された。
 会社勤め、家族の扶養、結社の維持拡大などに、成功した。また歌人としても、読売文学賞を受賞するなど、評価された。
 しかし葛原繁の短歌が、今1つ膾炙されないのは、実務面に心身を向け過ぎたからだろうか。
引用

 以下に7首を引く。
宇宙にて徐々に近づきドッキング成るまでを映す生中継にて
見る我も水に浮かべる鴛鴦もおしなべて今春の日のなか
寝ては起き仕事なしをり予後の身は机のそばに布団を敷きて
一党独裁の終(つひ)の帰結か民衆はののしりて屈せず戦車の前にも(ソビエト政変)
歩み来し我の目前に紅梅は花をつらねて陽にかがやけり
遊民ら春日に出でておのも憩ふビルの谷間の石の広場に
身力の失せゆくことを如何せむかく嘆くかも残暑の明暮れ
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。