砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、第2歌集「縄文」を読み了える。
 第1歌集「橙黄」の感想は、先の9月12日の記事にアップした。



 歌集「縄文」の原著は、当時発行されず、1970年の三一書房「葛原妙子歌集」に、「未刊歌集」として加えられた。1950年~1952年の224首を収める。
 彼女の生活は恵まれていた。医師の妻となり、戦死した家族もなく(実母が没していた事を敗戦後に知る)、東京の家は焼けなかった。1939年4月より、太田水穂・四賀光子に師事したから、翼賛歌もあっただろうが、秘め通した。

 「縄文」には、句割れ・句跨り、字余り・字足らずの歌があり、叙述の歌があり、虚実の曖昧な歌がある。今の僕たちは、さして違和感がないが、アララギ流の「写生」「調べ」を信奉する歌壇に抗うには、相当の気力が必要だっただろう。戦後前衛短歌の出発へ、彼女の歌も向かう。


 以下に7首を引く。正字を新字に直してある。
貝の中に婦人の像を彫りこめし異国土産にくさり光れり
鴉のごとく老いし夫人が樹の間ゆくかのたたかひに生きのこりゐて
灯台長飼ひゐるあうむの饒舌は白きペンキの鎧戸の蔭
間余の錨 尺余の錨 砂に摺りひさげる町は魚臭に満ちぬ
たちまちに渦巻ける闇一本の蝋燭の燈をかざし入らむに
残照のしづむ群山みゆる窓おおほき肩掛を吊るしたり
わが十指くちばしとなる忙殺の時すぎしづかなる十二時は打つ

落葉(らくえふ)いまだ枯葉とならざれば眸茫々と黄(きい)の一庭
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。