朝日新聞社の日本古典全書「小林一茶集」(1975年・11刷)より、「おらが春」を読み了える。
 今月2日の記事、文集及び「父の終焉日記」を読む、に次ぐ。

 リンクより、関連旧記事へ遡れる。

 「おらが春」は、一茶・没後、逸淵の序を添えて、一之
(いっし)が追慕して発行した、句随筆とされる。
 題名からわかるとおり、文政2年、1819年(一茶・57歳)の1年間の手記であり、1818年5月・生、1819年6月・没の長女・さとの追悼の内容ばかりではない。元・無題だったが、最初の句「目出度さも中くらゐなりおらが春」より後世の者が題を付けた。
 2番めの句は、「こぞの5月生れたる娘に…」と序詞を付けて「這へ笑へ二つになるぞけさからは」と喜び1杯だった。名前のいわれは「ものにさとかれとて、名をさとと呼ぶ。」とある。聡であろうか(藤井聡太2冠を思う)、敏ではないだろう、江戸時代として里であろうか。さとの可憐さを描いて余さない。子を思う古人の12句を引きもする。さとは1歳余りにて、疱瘡で亡くなる。6月21日、「蕣
(あさがほ)の花と共に此世をしぼみぬ。」と記す。7月7日墓詣3句、夢に見て「頬べたにあてなどしたる真瓜(まくは)哉」の句を吟じた。
 知人の俳人の死、皆既月食の作句、俳句指導の旅などがあり、悲しみに浸ってばかりいられない所で、「ともかくもあなた任せのとしの暮」と結んでいる。
 一茶は3男1女を早く失い、没時に胎児の2女・やたが一茶の血脈を残した。
女の子2
写真ACより、「女の子」のイラスト1枚。