花神社「茨木のり子全詩集」(2013年2刷)より、詩集「倚りかからず」を読みおえる。
 今月4日の
記事(←リンクしてあり)、「食卓に珈琲の匂い流れ」に継ぐ。
 原著は、1999年、筑摩書房・刊。
 「鄙(ひな)ぶりの唄」では「なぜ国歌など/ものものしくうたう必要がありましょう/おおかたは侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠しもちながら/口を拭って起立して/直立不動でうたわなければならないか/聞かなければならないか/(2字あき)私は立たない 坐っています」と、辛辣に国歌と国歌斉唱を戦中派の視点で批判し、歌のほしいときは民謡を、と薦めている。
 「店の名」では、「<はるばる屋>という店がある/インドやネパール チベットやタイの/雑貨や衣類を売っている/…//<なつかし屋>という店がある/友人のそのまた友人のやっている古書店/…//<去年屋>という店がある/去年はやって今年はややすたれた衣類を/安く売っているらしい/…」と、次作の「時代おくれ」と共に、ノスタルジックな作品である。
 標題作の「倚りかからず」では、東欧・ソ連の破綻等を受けてか(彼女は社会主義を信じてはいなかっただろうが)、できあいの思想、宗教、学問、いかなる権威にも、倚りかからない、と宣言する。
 「マザー・テレサの瞳(ひとみ)」の末連は、次のようである。「――言葉が多すぎます/といって一九九七年/その人は去った」。
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フリー素材サイト「Pixabay」より、りんごの1枚。