風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

読書

 石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、第3歌集「玄」(後)を紹介する。
 
同(前)は、今月9日の記事にアップした。1冊に672首と、やや歌数が多いので、前後2回に分けて紹介する。
概要
 前回に続いて、「佐渡行 Ⅰ鳥屋野湖畔」195ページより、仕舞い235ページまでを読んだ。
 1968年までの歌を収めていて、学生運動がどう詠まれたか気になると(前)で書いた。あからさまには詠まず、末尾近い「梅雨深む」の章に「憤りなしといはねどほしいままに振るまはせおけと今は想ふも」「黙(もだ)しをりと易く想ふな相手とし価値あることと思はぬに過ぎず」(偶成2首)と、切って捨てられている。
 「コスモス」全国大会での旅行詠が多い。また「ケニア讃歌」という、インド・モーリシャス・ケニア歴訪の大連作がある。
感想

 今回も付箋紙を貼った歌と、付箋紙のメモを元に、7首について述べる。
河跡湖の名残りの砂に踏み入りぬわれの左右(さう)より雀発たせて
 貴重な経験を、逃がさずに詠む。他の歌人を含めて、もう機会はないのかも知れないのだから。
雪国の春にあふべく来し我ら光くまなき河原に遊ぶ
 思っていた通り、あるいはそれ以上の景に会う、喜びが詠まれる。
蓮の葉のたゆき揺らぎはしばしして真日照るもとに鎮まりゆきぬ
 宮柊二・高弟たちの歌集を少し読んだが、当時の「コスモス」の調べに収まる1首だろう。
(はし)の鋭(と)きインコよく馴れ順々に乙女の指よりバナナを貰ふ(開聞岳)
 どこでの景か、愛らしい場面を捉えた。
エンタープライズ寄港に揺るる日本のひしひしと身に響きて悲し
 寄港に反対だったか、そうでなかったか、反対運動と報道が心に響いたのだろう。
香を焚き叩頭し祈る懸命さ見つつ戸惑ふ異邦人われら(ポンペイに三日滞在す)
 無宗教日本の豊かさ、穏やかさを、内に持っているようだ。
親を避け遊ぶ齡となりし子等いでゆきて家に梔子匂ふ
 子の成長を淋しむ心が、結句にも続き、歌が収まっている。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。



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 先の1月12日の記事、届いた3冊(4)で報せた内、綜合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2019年2月号を、さっそくほぼ読み了える。
 
同・1月号の感想は、昨年12月24日の記事にアップした。
第三十回歌壇賞決定発表
 受賞したのは、結社「日月」所属の高山由樹子、「灯台を遠くはなれて」30首だった。通勤から仕事場へ(残業含む)、恋人との逢瀬など、穏健な、むしろ(都会の)従順な生活を、レトリックを散りばめて描く。末尾3首が、未来へ向けた期待だろう。選考委員4名の内、男性歌人2名に2点(1人1回)を投票されている点も問題だろう。
 この穏健さは、昨年の
同賞・受賞作、川野芽生「Lilith」30首と比べれば、明らかに状況の方向性は違う。川野芽生には、男性原理へ捻じ曲げられているとはいえ、反権力の意志は明らかだった。
大松達知「八百屋舞台」20首より、冒頭歌。
みぞおちのなかなる鳩が羽搏けり そういう時代だからと聞けば
 そういう時代(今の時代)だからという、抑圧の言葉に、平和の象徴・鳩が彼のみぞおちで羽搏つ幻覚が生まれるのだろう。
久我田鶴子「陽だまり」12首より。
定職をもたぬおとうと借りだされ今日はトマトの出荷に励む
 定職を持たない生も重いだろうが、村びとと同じく、彼女も明るく対応している。





読書三昧
 昨年12月9日の記事「入手した4冊(3)」で報せた内、大山賢太郎「電子書籍で読書三昧」を読み了える。
 僕のAmazon Kindleには他に、何冊かのkindle unlimited本がある。kindle unlimited本ではまだ、内容の優れた本は多くないようだ。
 「電子書籍で読書三昧」は、これまでの大山賢太郎の本と重複する内容が多い。紙の本と電子本のメリット、デメリットの比較など。彼の本にあるように、文学書ではないので、初めから終わりまでずっと読むのではなく、気になる個所のみ立ち止まって読んだ。
 今回に得た結果は、読書報告サイトには、僕の参加しているブクログ、読書メーター以外にも多くあること(今はこれ以上、参加しようと思わない)。それと
ブクログの本棚を、ブログに挙げられるらしいことがわかった。
 今、仮にこれを挙げてみる。画像は直接には挙げられないので、リンクを張って置いた。サイドバーのブログパーツに挙げられないようなので、タイトル下のメニューバーに納めた。これでいつでも、誰でも観られる。
 昨年8月より、レビューした90冊(読んでいる本を含む)のすべてである、全歌集、アンソロジー詩集等は、1巻まとめて1冊の扱いになっている。またほぼAmazonにある本のみ、表紙写真を挙げられる。



ReRe短歌
 千原こはぎさんの編集した短歌集、「Re:Re:歌集」を読み了える。
概要
 元々はツイッターの発信で知ったが、コンビニでのネットプリント版の他に、彼女のブログ
「こはぎうた」へ行けば、閲覧用版・PDF(印刷用)版がある事を知った。
 コンビニへ行き、費用を払うのも面倒なので、12月31日更新のページより、PDF版をダウンロードし、指示に従って、プリント、製本した。
 A4判2つ折り両面(4面)7枚で28面(表紙、目次、カット、奥付け、裏表紙を含む)、1ページ2段組みの構成である。44組(1組8首)88名による、返歌をテーマとした短歌集、352首である。
感想
 352首といえば、少な目の歌集1冊にあたる。皆さん、バーチャルに慣れているのか、仮想恋愛歌に秀で(とくに冒頭の「星歴20××年 異星間交友のススメ」8首)、また古えの宮廷和歌の贈答を想わせる1連(とくに「2LDK」)がある。
 なかなか二人の息があわなくて、しまいまで行く連もあり、正直だとこれも感心した。
 連のしまいに「人知れず君に最後のくちづけをショコラの雨が止まないうちに」のシュールとか、また別連の2首目の下句「貘も悪夢を食べ飽きた頃」の暗喩など、優れている。返歌を受けて咄嗟にできるのか、前以ってアイデアを温めていたのかと思う程である。
 同じく千原こはぎさんの編集した
短歌集「獅子座同盟 6」は、昨年8月22日の記事にアップした。


 

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 石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、第3歌集「玄」(前)をアップする。672首と多めの収録なので、前後に分け、今回は初め155ページ~「林道」195ページまでを読み了える。
 先行する、
同・「風の中の声」を読む(後)は、先の12月10日の記事にアップした。
概要
 原著は、1980年10月17日、石川書房・刊。1962年~1968年の作品を収める。
 同じ日に、同じ出版社から刊行された、「又玄」「又々玄」との3部作が、第32回読売文学賞を受賞した。
 収録の1962年~1968年は、60年安保後の所得倍増計画といった経済成長から、学生運動に示されるその終焉の時代だろう。僕の少年時代(田舎の)にあたり、示される時代と、続く作品にとても興味がある。
引用と感想

 気になる歌に付箋を貼り、メモを書いて行ったので、それに沿って7首の感想を書く。
低所得層を飢餓感の中に追ひ込める消費は遂に寂しきものか
 経済成長に取り残された人々への、配慮が見える。
岸沿ひに清盛塚まで来て戻り過去(すぎゆき)既に埋むるすべなし
 過去の生き方に、後悔があるようだ。あるいは会社側に立っての言動を指すのかも知れない。
俯瞰(ふかん)せる旧火口の底日は照りて黄の粘土層しづかに光る
 俯瞰からズームインするような詠みぶりだ。白秋の幽玄と茂吉の写生を止揚しようとする歌だと言ったら、大げさだろうか。
既にして時の風化に従へり羊歯生ひ茂る堀井戸の中
 風化しないものの側に、短歌はある、という自負を感じるのは、深読みだろうか。
晒す人も流せる布も春の日にしじにきらめく川波のなか
 言葉遣いが巧みである。時代に流される危険性がある。
海底岩盤発破の時を知りて待つ鷗群れたり雑魚(ざこ)(くら)ふべく
 動植物の生きる知恵を表わした歌は、僕の好みである。
雨のあと濁りつつ行く谷川の流ひまなく木(こ)の葉(は)を運ぶ
 何気ない、ある人は汚れを感じるかも知れない景に、美を見出している。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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 結社歌誌「覇王樹」の同人でもある古城いつもさんが贈ってくださった、季刊文学誌「コールサック」の95号、96号より、古城さんの短歌と詩、他少々を読む。
 受贈は、先の12月27日の記事
「届いた5冊」に報せた。その5冊の内、「富永太郎詩集」はしばらくお蔵入りの予定なので、感想を述べられる4冊は今回で了いとしたい。
95号より。
 圧倒的に詩の掲載が多い。384ページの内、短歌連作は6編、9ページを占めるのみである。
 表紙裏の「詩人のギャラリー」にCG画像と、詩を載せている。CGを扱える彼女だとは知らなかった。
 古城さんは、短歌では「ハロウィン・リース」20首を寄せている。女性の性をテーマとするようだ。しかし「ミスティ・アイ」の語意がわからない。広辞苑にもWikipedeiaにもない。「ミスティック」のネイティブ発音だろうか。
 IT関係、コミック関係の言葉が進み、僕にはわからない語が短歌にも出て来るようだ。辞書にある言葉だけで詩歌を書けとは言わない。先駆けであった、と言われる自信は持ってほしい。
 詩では小詩集「ビジネス・セッティング」の5編を寄せている。母親に愛されなかったという思いがあるのか、生活への異和感があるようだ。
96号より。
 古城さんは、短歌連作「3分セクレタリー」20首を載せている。2018年「覇王樹賞」受賞作である。キーワードの「セクレタリー」がよく判らない。カタカナ語辞典では「秘書、官庁の事務官」等とある。「郵便局職員は3分セクレタリー我の封書を通し微笑む」では、3分間だけの秘書だという比喩だろうか。1語ずつ理解して、連作、歌集を理解しようとする僕が、すでに古いのだろうか。悩ましい事である。

 付け加えるなら、希望にも終末観にも、慎重になってほしい。希望を持つ事は良いが、果されない場合があり、果されるとして1山も2山も越えなければならないのだ。
 終末による救済はない。個人でも、100歳前後まで生きねばならないのだ。


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 神子萌夏・第4詩集「雪待ちの庭」を読み了える。
 受贈は、先の12月27日の記事、
「届いた5冊」の内にアップした。
概要
 2018年12月10日、澪標・刊。3章に28編を収める。
 詩人の倉橋健一、たかとう匤子、2氏が帯文を寄せている。
感想
 彼女は、僕たちの小さな同人詩誌、「群青」の同人だった時期がある。人工透析を週3回受けるという事で、会合はその曜日を避けた。
 夫より生体腎移植を受けて、成功した。詩の会合などで会うと、顔艶も良くなり、活発に活動していて、僕は嬉しく思っている。
 その移植をうたった「移植を待つ」、「無菌室で」があり、2年後の「如月」には「ひとつの腎臓 あなたから/もうすぐ二年になる…今ならもっと優しくなれた/すべてのことに」とある。
 お孫さんをうたった「ゆらゆら」、「おしまいッ」がある。
 体調の回復ゆえか、猫にからめて夫をからかい、またからかわれるという、幸せのシンボルのような夫婦暮らしが「猫との日々」で描かれる。
 僕は人の幸福を妬むほど不幸ではない。



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