風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケは、2017年10月17日付けでのAmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)の発行に続き、第5詩集「改訂版 ソネット詩集 光る波」(縦書き)を、2018年5月31日、Kindleストアにて発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 2011年10月1日・刊の紙本「ソネット詩集 光る波」に、数十ヶ所の加筆をし、編集しました。
 販売ページは、Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 ソネット 光る波」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。右サイドバーのバナーよりも着けます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。

読書

いつも空をみて
 浅羽佐和子・歌集「いつも空をみて」kindle unlimited版を、タブレットで読み了える。
 ダウンロードは今月16日の記事、
「入手した3冊(3)」にアップした。
概要
 シリーズ名、各版の出版時期、価格は、上記のリンクに書いたので、ご参照ください。
 浅羽佐和子(あさば・さわこ)は、1972年・生。2001年・未来短歌会入会。2009年・未来年間賞受賞。
 「いつも空をみて」には歌集編に、加藤治郎・解説「空を見上げる」、後記「短歌とわたし」を収める。
感想
 Ⅲ章に別れ、第Ⅰ章ではありがちな、危うげな恋が描かれる。若い女性の短歌は、悲恋ものが多い、と思ってしまう。
 第Ⅱ章では、いきなり長女出産後の子育てが描かれる。優しい母親だけでは、いられないようだ。
 仕事はSEのそれもマネジメント役として、キャリアを積んでいる。
 生活の違和感を、字余りの多い歌で訴えている。
 「男は気づかない振りをしている」か「ほんとうに気づかない」と断罪される。気づいて子育てに参加しても、男は仕事が100%うまく行かなかったり、昇進に響いては、1家で困ると思うのだろうか。
 第Ⅲ章では、次女誕生の出産場面から、2人の子育てとなる。女性に不利な社会の仕組みだと思うけれども、僕には提言の言葉がない。
 彼女が短歌を続けて、良い家族関係となり、仕事で奮励する、日が来る事を願うのみである。
引用

 以下に7首を引く。
返事せぬままのメールがそれぞれの表情をして私を見てる
恋人が雨の匂いを消してゆく 花の図鑑はもう開かない
眠いのに眠れない子にいなりずしみたいな足でほっぺを蹴られ
暗闇の全件削除した指に煙のようなにおいが残る
予定日がこわい、私の愛情がなにものかにまた試されるようで
真夜中に何度も私の手をさがす見つけてなでてそしてまた寝る
この鍵をグルッとまわして母親に戻らなきゃいけないんだ、さあ



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 先の9月9日の記事
「届いた2冊」で、到着を報せた砂子屋書房・現代短歌文庫「藤原龍一郎歌集」(正)(続)より、(続)に入る。
 内容的には(正)編の
「エッセイ・解説」に次ぐ。
  「続 藤原龍一郎歌集」には、3冊の歌集(各・完本)と、1冊の未刊歌集「ノイズ」を収める。
 まず初めの「嘆きの花園」を読み了える。
概要
 原著は、1997年、ジャテック出版・刊。
 首数不明、「あとがき」を収める。
感想
 たいていの語彙はわかるけれども、中に「セバスチャン・ジャプリゾ」「紅夜叉」などの僕には不明な語が混じる。(後に2つ(2名)共、Wikipediaで概要が判明した)。
 AMラジオ・ディレクターとして、ヒット番組を育てたとされる。
 バブル景気の波も被り、生活に、短歌に、相対的安定は至ったようだ。その中で、作歌への情念を昂ぶらせようと、当時先端だったらしい「コンビニ」に「文学の素」を求めようとしたりする。
 都市詠の歌集としては、僕がほとんど田舎住まいなので、あまり反応しなかった。
引用

 以下に7首を引用する。
アナログの思考回路がデジタルに蝕まれつつ軋む月夜だ
夜を灯すコンビニエンス・ストアーに文学の素あらば買わんよ
マンションに帰り着きたる肉体はさぶしえ『大辞林』に躓く
散文のまさに散文的あわれイベント実施マニュアル読めば
もてあそぶ言葉、肉体異ならず何を断念せし来し方か
ジュリアナ東京今宵テクノに綺羅めきて「諧調は偽り」なればこそ
二十世紀後半を生きわれにさえ白熱と呼ぶ日月はあり



 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、6番目の句集、広瀬直人「帰路」を読み了える。
 今月14日の記事、
皆吉爽雨・句集「泉声」に次ぐ。
概要
 原著は、1972年、雲母社・刊。飯田龍太・序「真竹のいろ」、445句、著者・後記を収める。
 広瀬直人(ひろせ・なおと、1929年~2018年)は、1948年「雲母」入会、(1992年「雲母」終刊のあと)1993年、俳誌「白露」を創刊・主宰した。
引用と感想
 付箋にメモを残したので、それに従って書いてみる。句集は、昭和35年以前と~昭和46年まで、ほぼ年別に載せられている。
岩を離れて青々と微風の田
 大胆な句跨りの1句。1963年の作。60年安保には全く触れていないが、政治的平和の時代に、新しい手法を取り入れている。「芸術的前衛は政治的後衛である」と語った人もいるから、少数者を除いて正鵠を得ているのは、致し方ないか。
麦を蒔くひとりひとりに茜の田

 2毛作に麦を育てるのだろう。生活の基盤を描く。作者は農家の子で、高校の教師だった。
 季語に凡な所があり、「盆」「秋深む」「晩夏」「秋の山」と、続いたりする。
田を越えて鳥の隠るる枯葎
 1968年の作。句調が整っている。盛んだった学生運動から、目を背けるかの如くである。
白樺の幼き枝に驟雨来る
 同じ1968年の句。季語に深みが出るようだ。
風走らせる眼前の白つつじ
 1970年の句。学生運動が終末に向かう頃、再び句割れ、句跨りの作が見られる。心理の深部に鬱屈があって、句集名等に現れたか。
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写真ACより、「フード&ドリンク」のイラスト1枚。



 砂子屋書房・現代短歌文庫(27)「藤原龍一郎歌集」より、エッセイ2編、解説(他からの批評)4編を読む。
 同書の第2歌集
「東京哀傷歌」は、今月18日に記事アップした。
エッセイ2編
 「一回性の輝き―初代タイガー・マスク」は、1980年代初めに活躍したプロレスラー、初代タイガー・マスクへのオマージュである。
 当時はテレビのプロレス放送が盛んだったから、その空中戦法に僕も惹かれた。しかしプロレス・マニアではなかったから、それまでだった。藤原龍一郎は、自身の鬱屈の持って行き場として、後のロマン・ポルノと共に、熱中したらしい。
 「短歌とミステリーとロマンポルノ」は、早稲田短歌会に入りたいのみに慶応大学から早稲田大学に移った彼が、熱い政治の時代に遅れた70年代の情念を、短歌、ミステリ(ワセダ・ミステリ・クラブにも属した)、「にっかつロマンポルノ」に、注ぎ込んだ様を描く。
解説4編
 歌人の小池光「<ああ>の激突」も、三枝昂之「感傷的で周到な物語」も、当時の藤原龍一郎の鬱屈した情念を充分に受け取っていないように思える。世代差、経験の差が、そうさせるのか。
 武田素晴「東京は悲しき器」は、東京に生活を決めた彼の、時代の影と共に、その心情に迫っている。
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写真ACより、「フード&ドリンク」のイラスト1枚。



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 青山雨子さんの詩集「冷麺」を読み了える。
 受贈は、
今月19日の記事にアップした。
概要
 2018年10月20日、書肆山田。刊。18編、あとがき、簡単な略歴を収める。
 81ページ。第8詩集である。
感想
 かつて喫茶店に牛を登場させて(詩集「暇な喫茶店」より同題詩編)先輩詩人たちを困惑させたが、喫茶店のマスターの背中に、牛を感じただけで、突飛ではない。
 彼女が落ち着いたというより、僕たちが(時代が)ようやく、彼女に追いついて来たのだろう。
 僕も、かつての同人詩誌「群青」の盟友・こぐま星座さんも、多感な高校生時代に実存主義(「投企せよ!」「参加せよ(アンガージュマン)!」)の洗礼を受けたが、約10歳若い彼女は構造主義やポスト・モダン等の旋風を浴びたらしい。
 生活から発想して、表現の飛躍を、楽しんでいるようだ。
引用

 「長い廊下」より、第2連以降の1部を引用する。

  長い廊下
  (前略)

もっと大きく口をあけてください
はい。もっとです
あーん

かあさーんと呼んでみてください

廊下の奥に仏壇が見えます

声は出ますか

回廊が見えます
  (後略)



タルト・タタンと炭酸水
 竹内亮・歌集「タルト・タタンと炭酸水」kindle unlimited版を、タブレットで読み了える。
 入手は、10月16日の記事、
入手した3冊(3)の初めにアップした。
概要
 各版の発刊日と価格は、上のリンクに記載したので、ご覧ください。
 竹内亮(たけうち・りょう)は1973年・生。東大法科大学院・修了。弁護士。
 223首、東直子・解説「命の色彩」、著者「あとがき」を収める。
感想
 静謐で透明な歌境は、今に珍しく、優れた特色である。
 明らかにフィクションとわかる歌がある。嘘を書くなら、嘘を現実っぽく思わせるか、現実を嘘っぽく思わせるかだが、この歌集では中途半端である。
 特色は翻って、生活と創作への反発・嫌悪が足りない感じがする。どのグループ(結社、同人誌)にも属さないからだろうか。
 今も健全に生活し、健詠している事を願う。
引用

 以下に7首を引く。
カーディガンの少女の横で少年は片足立ちで靴はき直す
雲が白い夏の初めの風の朝きみ柔かな瞼を開く
キッチンで知らない歌を口ずさみ君は螺旋のパスタを茹でる
長考の将棋のような間があって「それ、私も聞いたことある」
ひまわりの種を千粒買いました近所の道にそっとまきます
玄関のインターホンを押した後はにかみながら視線を下げる
絵の裏の最初のページ箴言は雲の小さい空に溶けゆく




 砂子屋書房・現代短歌文庫(27)「藤原龍一郎歌集」より、歌集「東京哀傷歌」を読み了える。
 今月13日の記事、
同「夢みる頃を過ぎても」に次ぐ。
概要
 この文庫には、歌集はこれら2冊しか収められていない(共に完本)。
 原著は1992年、砂子屋書房・刊。529首、後記を収める。
感想
 「日活ロマン・ポルノ」にもプロレスにも、思いの持って行きようがなかった僕は、一人でイデオロギーの自己解除を行っていた。持って行き場のあった者は、まして短歌に表現の場があった者は、幸いである。
 「東京哀傷歌」では、第1歌集の憂悶が弱まっている。いつまでも青春時代を引きずってもいられなかっただろう。
 「ああ」という端的な感嘆詞も少なくなったようだ。
 都市生活者の悲哀が身に沁みるようだ。僕は田舎へ帰ったけれども。
引用
 以下に7首を引く。
渋谷食堂チャプスイすする岸上の貧しき日々を眩みし夏を
躁鬱の鬱より躁へうつろえる薄明にして言葉愉しき
寒銀河いたましきまで冴えわたり明菜の難破船はも何処
立志に始まり屈志に終る平凡な私(わたくし)小説あらば読もうよ
感傷的傷痕として南沙織(シンシア)の「傷つく世代」「色づく街」を
業界の人なるゆえにスタジオで今日三度目の弁当食べる
遊戯的思考にすぎぬミッドナイト・レジスタンスはせつなき死語か
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



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