風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケが、2017年10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

読書

鈴を産むひばり
 光森裕樹・歌集「鈴を産むひばり」kindle unlimited版を読み了える。
 今月4日の記事、
「歌集5冊をダウンロード」で報せた内の、1冊である。
概要
 光森裕樹(みつもり・ゆうき)は、1979年・生。
 京都大学・卒業後は特定の組織に属さず歌作を続ける。
 歌集は、2010年、港の人・刊。2013年、電子書籍化。314首を収める。
 本・歌集にて「現代歌人協会賞」受賞。
引用と感想
 ハイライト、メモの利く本だったので、それに従って6首と感想を述べる。
鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふそれでもいいよねと云ふ
 「鈴を産む」が、雲雀の鳴き声の比喩だったとしても、それが逃げる、それでもいいよね、とは何の暗喩だろうか。

母と呼ぶひとふたりゐてそれぞれが説くやさしさの違ひくるしき
 事実だろうか。バックボーンたる母が、二人、異なる事を説くのは、苦しいだろう。
手を添へてくれるあなたの目の前で世界をぼくは数へまちがふ
 協力者がいながら成し遂げられない、社会不適応、世界への異和感を表わすか。
だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか
 レトリックだけの歌だと思った。しかし言い負かされた時の、負け惜しみかも知れない。
人を待つ吾はめぐりの街灯に暗き展開図を描かれて
 自分の幾つも映る影を、暗喩と句跨りで描く。
陽の色の抜けゆく草はら踏みわけて検索結果になき湖へ
 真実という湖は、検索結果で辿りつけない、の意だろうか。
 総じて、重い内容を、華やかなレトリックで、旧かな遣いの異化を以って、描いている。


角川「短歌」5月号
 先の4月26日の記事で、ダウンロードを報せた角川「短歌」5月号を、短歌作品中心に読み了える。
 「現代歌人特集シリーズ」の「馬場あき子」は、面白くなかった。新作50首は力作である。
 ただし総論、鼎談、2つの対談、「馬場あき子の言葉」8編なども、あまりに持ち上げすぎて、生前葬のようである。もっともこの特集で沈む、歌人ではないだろうが。
 巻頭作品では、道浦母都子「皇子と王子」28首が関心を惹いた。彼女の初期以外の作品を読んでいないので、ここへ至る道が偲ばれる。
 散文では、酒井順子「平安の女友達」が面白かった。菅原孝標女を、女友達のように扱って、紹介している。
 1首のみ引用する。小田裕侯の「冬青」7首より。
耐へ来しは吾より妻の多からんいつしか耳の疎くなりつつ
 なお今号で、角川「短歌」を離れようと思う。あまりの権威主義、守旧主義のせいである。電子版雑誌の読みにくさ故ではない。
 綜合歌誌を何冊も読むほど、資金も時間もない僕なので、本阿弥書店「歌壇」に戻るべく、既に同誌6月号をAmazonに予約した。


 福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第56集」より、6回目の紹介をする。
 今月2日の記事、
同(5)に次ぐ。
概要
 今回は、123ページ~159ページの36ページ(途中、扉が1ページある)、71名の710句を読んだ事になる。1ページ2段、1人1段10句の発表だから。
 奥越地区(勝山市、大野市)と、鯖丹地区(鯖江市、越前町、池田町)のすべてである。
感想
 俳歌の芸術性というと、戦後の「第二芸術論」に苦しみ、努力もあったという。
 しかし文学としての芸術性から観て、俳歌は詩に及ばないのでは、と僕は思う。ただし詩と言っても、現在の訳のわからない1部は除く。
 俳歌は、大衆芸術として、現在の隆盛に至っている。想いは短さと定型によって、1作品となり、多く創り多く捨てる事に由って、選ばれた率の少ない秀作が残る。
 俳句が世界的詩型として広まっている事は喜ばしい。
引用
 以下に3句を引く。
 故・M・としさんの「立葵」10句より。
風を着て陽を着て早苗根を張りぬ
 H・定子さんの「火の玉」10句より。
一度のみ着たる浴衣や子から孫
 U・一法さんの「蟻地獄」10句より。
初仕事うるし一滴膝に落つ
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「クリスマスと結婚式」を読み了える。
 今月6日の記事、
同・「正直な泥棒」に次ぐ。
概要
 初出は「正直な泥棒」と同じく、1848年の「祖国雑誌」である。副題は「無名氏の手記」。
 「私」の手記という形である。5年前の大晦日の、子供の舞踏会へ場違いながら呼ばれるが、知名の実業家の手蔓たちに疲れ、小さい客間へ引っ込む。実業家の幼い娘と、恵まれない少年が睦んでいる所へ、主賓のユリアン・マスターコヴィッチが現われ、娘の持参金・30万ルーブリが結婚できる5年後には50万ルーブリになるだろうと算段して、「私」に気づかず、娘にお愛想を使う。主人夫妻も、その結婚に賛成の様である。
 5年後「私」は、16歳になったその娘と、ユリアンの結婚式の場を見掛けるが、娘の眼は泣き腫らしている。
感想
 実業家が名士と手蔓がほしくて娘を結婚させ、名士は持参金ほしさに女性の気持ちを汲まずに結婚する。
 妻に嫌われて、大金があっても、豊かに暮らせるものだろうか。
 また本当に強欲な者は、弱者に愛想もせず、自分が正しいと信じて強奪する、というのが僕の感想である。
 ドストエフスキーが本当に批判しているにしては、描写が客観的で、「私」に「それにしても胸算用が鮮やかに行ったもんだな!」との感慨を持たせた。発表時の検閲を恐れたのだろうか。

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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、9番目の歌集「運河」を読み了える。
 先行する
歌集「風」は、先の4月6日の記事にアップした。
概要
 原著は、1949年、新協出版社・刊。277首、著者・巻末小記を収める。
 教育を受けたある恩師、竹馬の友である新協出版社・社主、結社「青垣」の師・橋本徳壽、装丁の棟方志功らへの感謝の言葉が、巻末小記に満ちている。
感想
 1949年は、私の生まれる前である。それを思えば、これらの歌は新しかっただろう。
 「私の罪」という言葉が出る。兵役に取られなかったのは理由があるだろう。また米軍の空襲に遭わなかったのも幸いした。また食事に困るほど困窮しなかった。専売局員として、当時、専売品だった塩の運び屋などを摘発した。妻ならぬ女性との恋慕もあった。
 世が少し落ち着いて来ると、それらが歌人の良心の責めとなって来るのだろう。
 8歳で失った実母を偲ぶ歌もある。
 結局、心の拠り所を、妻との生活に求めている。
引用

 以下に7首を引く。
うつしみの骨にはあらぬ木片(もくへん)の遺骨を守(も)りて苦しきを経め
老ゆるものなべてかかれか昼さへや濁りに沈む大き独逸鯉
吾がねむり浅かりしかばをりをりに海上の雷(らい)の余響を聞けり
明日にくる何も信ぜずねむりつつ夜のあけがたの乳いろの砂
ひとときの虹なりしかど吾が母をしぬぶゆふべの海に立ちたり
私の罪を思へり冬雲のくれなゐも早やはつかになりて
連翹の黄に彩(いろ)ふ妻の掌をとるに寂しすぎたる過去とも思ふ

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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 

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