風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

読書

 2015年4月28日発行、2016年9月19日購入のkindle本、かん吉「人気ブログの作り方」を3読する。
 今年1月7日に、
再読の記事をアップしている。
 3読もしたのは、ヒントがよくわからなく(付箋を貼る訳にもいかない)、解説本の電子本は頭に入りにくい。
 巻末近く、「ブログ運営論」の芯の部分として、6ヶ条を挙げている。それに従ったと見られるブログも散見するが、大きなブレイクは収めていないようだ。
 nanapiや増田の扱いなど、信用を置けない部分もあり、どこまで信用して良いかわからない。
 彼には次のブログ運営論「ブログ運営×集客×マネタイズ」もあるが、お金儲けの本のようで、これまで買わなかった。しかしこの本の書評に「お金儲けについては、わずかしか書いていない」という1文があった。
 ブログ運営×集客、に焦点を当てた本なら、買ってみたい。紙本が、kindle本より、それ程高価でなく出ている。
 こうしてハマルのか、重要なヒントを見つけられるのか、わからない。今月は本など、買い物をし過ぎているので、来月に購入を考えてみたい。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラストの1枚。


 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊)より、「「詩と詩論」より」の2回目の紹介をする。
 
同・(1)は、今月12日の記事にアップした。
 「詩と詩論」は、春山行夫が編集長になって、厚生閣から1928年より発行された、モダニズム誌である。
 年4冊で、全20冊を発行したが、第14冊から「文学」と改題され、春山行夫も同時に厚生閣を退社した。「「詩と詩論」より」には、第14冊に発表の3編の詩を以って終いとする。
 「POESIE」と題する、シュールでオートマチズムの作品(散文詩型)は、この本で15ページにわたる長編だけれども、僕はポエジーを感じない。
 「牡牛と葡萄と梨と家屋と野兎はテラスより見ることができる牧場に落ちた若干の利益である」は、ほとんど同語反復で成されている。「百合の花は百合の花に百合の花で…普通の思考の思考を思考する思考の思考を…」と続く1連の、同語反復と共に、無意味である。
 「キャリコの花」は、「イイ時候ニナッテ/大キナ花ガサイフオンノ中ニ咲ク/葡萄ノ蔓ハワルク伸ビ…」と続く。次の「キイプセイク(注・意味不明)」では「コンソメの匂ヒガ/亜麻色ノオ昼ヲ告ゲル/傍観者ノ態度デ/ヨオロツパ行ノ汽船ノ汽笛ガ鳴ル/…」と続く。中産階級の最後のハイクラス感だろう。
 1932年の年譜には、「毎月数誌に詩、訳詩、書評、評論を執筆」とあり、春山行夫の最も活動旺盛な時期だったろう。
 しかし僕は、これらの無意味な詩に、詩情を感じない。指示表現が無く、自己表現を感じない。
 無用の詩である事に拠る、時代への抵抗だったかも知れないが、後の敗北は明らかだった。
  (注:引用の中に、正字を新字に替えた所があります)。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラストの1枚。



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 今月13日の記事で紹介した「永田和宏作品集 Ⅰ」より、栞と第1歌集「メビウスの地平」を読み了える。
 同・集は、これまでの11歌集と、年譜、初句索引を収めて、821ページの大冊である。
 栞には、馬場あき子が先輩として、高野公彦、小池光が同輩として、三枝昂之、大辻隆弘が後輩として、励ましの言葉を寄せている。
 第1歌集「メビウスの地平」は、1975年、茱萸書房・刊。
 永田和宏は1947年に生まれ、母が結核発病のため別居、4歳で母の死に遭い、母の面影が無いという。
 1967年・「塔」に参加、河野裕子に出会い、また第5次「京大短歌」創刊。1972年・河野裕子と結婚、1975年の「メビウスの地平」発刊、現代歌人集会賞・受賞に至る。
 僕より3歳の年上である。この業績の違いは何だろう。僕は僕なりに、苦闘して来たと思うのだが。
 「自分の1首を以って、短歌史を一変させてみせる、…と意気込んでいました。」とかつて述べた(「新版 作歌のヒント」)が、それらの劇しい歌と共に、河野裕子との相聞の優しい歌がある。
 以下に7首を引く。名作、傑作として、人口に膾炙する作品はできるだけ避けた。
かくれんぼ・恋慕のはじめ 花群に難民のごとひそみてあれば
言うなかれ! 瞠る柘榴の複眼に百の落暉を閉じこめきたる
惑星の冷たき道を吹かれくるあざみ色なる羞しさの耳
あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまで俺の少年
昏睡の真際のあれは湖(うみ)の雪 宥(ゆる)せざりしはわれの何なる
鏡の中いまはしずかに燃えている青貝の火か妻みごもれり
見抜かれていたることすらさわやかにかなかなの鳴く夕暮れなりき





 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、2番目の句集、岩田昌寿「地の塩」を読み了える。
 今月10日の記事、
米沢吾亦紅「童顔」に次ぐ。
 「地の塩」は、1959年、竹頭社・刊。石田波郷・序、372句、後記を収める。
 岩田昌寿(いわた・しょうじゅ、1920年~1965年)は、9歳の時に母と死別(それ以前に父と生別していたらしい)。
 1938年に肺結核で清瀬の療養所に入り、俳句を投句、1940年より石田波郷の「鶴」に投句し頭角を現す。
 1949年に喀血、療養所に入るも精神錯乱状態になり桜ヶ丘保養院に移る。このとき連作「秋夜変」を成す。
 退院後、日雇い労務者となり、1959年に本句集を出版するも作句少なくなり、1965年、某精神病院で孤独死。ノートやメモは、残っていなかった。
 以下に5句を引く。
夕風の枇杷もぐ蹠仰ぎけり
合歓を見て残す言葉は何時言はむ
本売つて燕くるまで食ひつなぐ
囀や生涯日雇かも知れず
日雇のひと日父の忌夏痩せぬ
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



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 今月16日の記事、「購入した5冊」で入手を報せた、綜合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2017年8月号を、ざっと読み了えた。
 
同・7月号の感想は、今月4日の記事にアップした。
 巻頭の岩田正「竹踏み」20首は、老いの意気と嘆きと、床屋政談である。崩れやすい危険性を感じる。
 大口玲子「夕焼けを見たか」20首は、クリスチャンの立場から、共謀罪反対のサイレントデモに参加し、かつ詠む。痛ましい気がする。
 魚村晋太郎「累卵の、」12首の11首目「脚ほそき木椅子はきしむ内心といふゆふぐれの部屋におかれて」は、初句2句で写実かと思わせて、3句目以降で比喩の歌に転換させている。
 林田恒浩「ひたになつかし」12首の3首目、「待ち受けにうつる曾孫を死の床の母に見せやりき それより換えず」の初句がわからなかったが、スマホかケイタイの壁紙とわかった。「待ち受け画面」くらいにして貰わないと、すぐにはわからない。
 1冊1ページの歌書紹介欄が貴重である。


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