風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

読書

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 先の1月28日の記事「届いた2冊(5)」で報せた内、詩誌「水脈」64号を、ほぼ読み了える。
 
同・63号の感想は、昨年9月24日の記事にアップした。
特集 日本国憲法を想う
 「想う」などと、遠い恋人を想うように題して、良いのだろうか。
 僕は今、日本は堕ちるところまで堕ちきらないと、再生しないと思う。
 国民を愚弄する政府と、株価などに愚弄される国民に、期待は持てない。(幸いというか、わが家には1枚の株券もない)。
 選挙権を得てより、棄権した事はあっても、自民党にも共産党にも、投票した事はない。

 K・通夫の「晩秋」では、「家族の情に包まれて/至福の今を過している」と、幸せな老いを描いている。
 H・はつえ「紅葉の四国巡礼」にも、M・祐子の「晩秋」にも、自然な感情の流露がある。



同人詩誌「角」第48号
 若狭地方を主として、県内、県外の詩人を同人とする詩誌、「角」第48号を、ほぼ読み了える。
 到着は、今月6日の記事
「入手した2冊(4)」で報せた。発行日次、判型などについて書いたので、ご参照ください。
 また
同・第47号の感想は、昨年9月26日の記事にアップした。
概要と感想
 15名15編の詩、7名7編の散文を収める。
 巻頭、H・信和さんの「どんな空も 他」は、同時に創作している、俳句に余った作品だろうか。「2 つゆ草」の「グレーチングの隙間からでも/空は見える」は不運である。
 M・りょうこさんの「カラス」、Y・万喜さんの「小さな境涯」、共にリアリズムに似せながら、虚構が混じる。
 K・久璋さんの「鯉」に、「一日を生きるための/わずかな飢えを満たす/我欲我執が救いとなりますように」と書く。我欲我執が生きるわずかな支えとなる事は認めるけれども、因業を作品に吐き尽くして、欲のない心境で逝きたいと思う。
 N・としこさんの「つゆくさ」は、露草を「ととめ(魚の目)の花」と呼んでいる。<父さんが/よく これを切って/としこに 持たせていた>と、彼女自身には記憶がないかも知れないエピソードを描く。幼い時に、戦死した父を、70余年も偲び続けている。
 詩誌に散文が重きを置くのは、如何なものか。散文の方が、書きやすい時代だろうか。


 

 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)より、当時・既刊のしまいの詩集「約束したひと」を読み了える。
 先の1月22日の記事、
同「イカとハンカチ」を読む、に次ぐ。
概要
 原著は、1963年(日本共産党・除名後)、思潮社・刊。このコレクション詩集には、年譜がなく、Wikipediaにも載っていない。
 後に買った土曜美術社出版販売・日本現代詩文庫「関根弘詩集」の年譜と、三省堂「現代詩大事典」(2008年・刊)の書誌には、詩集「約束したひと」が載っている。
感想
 冒頭の「寓話」は、4編の昔話のパロディである。童話類のパロディでは、複雑苛烈な現代は解明できないように思える。
 「ケッコン行進曲」では、「カキクケッコン/サシスセンソウ」のフレーズが繰り返されるが、スローガンでもなくユーモアもない。
 「コンサート」の1節「寝床の中で/雨をきいている幸福もある」には、読書とネットに籠もりがちな僕は、同感する。
 「部屋を出てゆく」の、「大型トラックを頼んでも/運べない思い出を/いっぱい残してゆくからだ」には、引っ越しの悲しみが、よく表わされている。
 掉尾の「約束したひと」は、待てども現れない革命への未練だろうか。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。




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 先の1月28日の記事「届いた2冊(5)」で報せた内、結社歌誌「覇王樹」2019年2月号を読み了える。リンクより、「覇王樹」関係の過去記事へ遡り得る。
 ここしばらく、茫然と日を過している。早い春愁だろうか。
 「覇王樹」代表・発行人の佐田毅氏のご逝去を知ったからだろうか。
 先日、僕はめったに書かない詫び状を(非は僕にある)、メールで送ったせいだろうか。
 2月14日に新パソコンが届くという、マタニティ・ブルーのようなものだろうか。

 僕は負の感情を引きずりやすい。環境の変化にも、適応が遅い(付いて行けない場合がある)。
 僕は歌壇で有名になろうとも、偉くなろうとも思わない。「自己救済の文学としての短歌」に、縋るばかりである。ただし1人前にはなりたい。「覇王樹」誌では同人になるとか。「覇王樹」に入会したのは、創刊者・初代主宰の橋田東聲が、「妻が弟子とともに出奔したが、妻を憎めなかった」という、弱さにただ惹かれたからである。
 アマチュア文学者として、作品を遺す欲もあるから、電子版でなりと歌集を1、2冊、生涯で上梓したい。

 ホームページ
「短歌の会 覇王樹」も既に、2月号の体裁になっている。大きな励みになる。
 とりとめのない事を書いた。ご容赦を乞う。



 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊、7編)より、4番目の「夜話」を読み了える。
 今月3日の記事、
同「からかさ譚」に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。
概要
 16ページの短編ながら、4章(無題)に別れている。
 飼い犬のブルドッグ「ボス」の老いて、死に至り、遺骨を八ヶ岳山荘の近くに埋めての、異変譚までを描く。
 作家の親族、家族への情愛は、飼い犬にまで及び、冷静ながら親しく書かれている。
感想
 詩人・鮎川信夫は「(戦死者の)遺言執行人」を名乗ったが、三浦哲郎もまた1族の成り行きを小説に遺したといえるだろう。もっともその他のフィクション、伝記的な作品もある。僕が読み進められなかったからかも知れないが、「夜の哀しみ」(新潮文庫、上・下巻)など、なぜ不倫のストーリーを描いたのか分からない。
 エピソードの1つに、フィラリア予防は気慰めくらいにしか効かない、というのがある。僕は2代の犬を飼ったが、2匹目はフィラリアで死んだ。知識がなく、外飼いの犬は9割くらいフィラリアに罹ると知らなくて、予防をしなかった。エピソードにわずか、慰められる。しかし医学の発展があるから、20年くらい前の事ながら、あるいは救えた命かも知れない。それ以来、ペットを飼わせてもらえない。
 山荘の犬の墓や写真の異変譚に、霊魂の存在を信じているような所がある。神仏は信じていなかったようだが、神なき信仰というものはあったかも知れない。
 家族に可愛がられて生き死にした、ペットの物語である。
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写真ACより、「キッチングッズ」のイラスト1枚。




つむじ風
 木下龍也・歌集「つむじ風、ここにあります」kindle unlimited版を読み了える。
 昨年12月9日の記事、
入手した4冊(3)の内の1冊である。
 その4冊の内、3冊を読み了え、三浦哲郎「愛しい女」は長編小説なのでいったんお蔵入りし、この4冊の話題は仕舞いとしたい。
概要
 各版の発行日、価格などはリンクに書いたので、ご参照ください。
 木下龍也(きのした・たつや)は、1988年、山口県生まれ、山口県在住。
 結社に属していない。
 この歌集では、短歌のあと、東直子・跋「辺境からの変化球」、詩に似た「あとがき」を収める。
感想
 静謐な文体である。草食系青年が、心で静かに耐えているようだ。
 ナンセンスな歌が混じるが、痛くてユーモアにならない。
 家族には素直である。
 女性にはウブで、純粋である。あるいは恋人を病気で失った風の、歌がある。
引用

 以下に7首を引用する。
じっとしているのではない全方位から押されてて動けないのだ
触れなくていいものに触れ火傷する癖があります遺伝でしょうね
そういえばいろいろ捨ててあきらめて私を生んでくれてありがとう
疑問符のような形をした祖母がバックミラーで手を振っている
コンビニのバックヤードでミサイルを補充しているような感覚
アイロンの形に焦げたシャツを見て笑ってくれるあなたがいない
からっぽの病室 君はここにいた まぶしいくらいここにいたのだ








 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊)より、3番目の「からかさ譚」を読み了える。
 先の1月29日の記事、
同「ヒカダの記憶」を読む、に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。

 作家が探しあぐねたあと、浅草の仲見世で、和傘屋で音のよいからかさを、刃物屋で鉈を買う所から始まる。
 2つ共、八ヶ岳山麓にある小屋(別荘とは、決して書かない)に持って行くためである。鉈は山荘で薪を作るため、からかさは郷里で一人住む姉(色素が欠けていて、目がわるく、琴の師匠をしながら、独身を通している)を、誘うためである。
 母の3周忌で姉が、位牌もお仏壇も、持って行って貰ってよい、と投げ遣りな言葉を吐いたのを、気にしている。姉を慰めようと、晩秋の山小屋へ誘うが、いったん約束しながら、話は不首尾におわる。
 父母を亡くし、4人の兄姉は不遇な宿命を辿っており、2人生き残った姉弟である。姉弟、兄妹の関係は、兄弟(父の死で縁が薄まる)、姉妹(結婚で縁が薄まる)よりも、縁が深いとある思想家は書いた。
 郷里で母の世話をした姉への、労わりでもあっただろう。
 ただし姉は作家の優しい思い遣りよりも現実的で、琴の弾き始め会の準備に忙しがっている。作家の繰り返し描いた、家族譚の後期の1編である。
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写真ACより、「乗り物」のイラストの、しまいの1枚。



 

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