風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

読書

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 結社歌誌「覇王樹」2017年7月号が、6月25日に届き、ほぼ読み了える。
 
同・6月号は、今月3日の記事にアップした。
 「覇王樹」代表・発行人の佐田毅氏は、「橋田東聲の歌論と実作について」で、東聲の歌論として「(歌は)森に囀る小鳥の歌の如きもの、人間の「ひとり言」、何の手段でもない、それ自らが目的であると説く」と述べる。
 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。T・恵子さんの「想ひ出」15首より。
いつしかに手を離したる子の歩み後つけながら微笑みの湧く
 想い出の1景ながら、心理的な意味も、重ねられている。
 僕の6首は、アメブロ「新サスケと短歌と詩」の、
6月27日の記事より2回に分けてアップしたので、横書きながらご覧ください。


 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、「野分のやうに」を読み了える。
 先行する歌集
「灯よ海に」は、今月15日の記事にアップした。
 「野分のやうに」は、1979年、新星書房・刊。
 彼女は、観念や幻想の世界を詠うのではなく(能に題材を採った連作を除き)、日常詠、旅詠に観念語、抽象語を導入した功績がある。
 群馬県沼田の旧家に嫁いだ、閉塞感だけではない。生方たつゑ(1904年~2000年)はその前、1926年より東大哲学科聴講生として学んでおり、観念・抽象への志向があり、摂取した事もあったのだろう。
 この歌集は、夫への挽歌として賞揚されているが、挽歌は最後の「野分のやうに」の章の「喪」の節のみである。
 以下に7首を引く。
夜の潮に島も燈火もなきはよし過誤かたよせて吾もねむらむ
人恋ひて通ひし道か八重葎花火のやうに花爆ぜるみち
死後のことやすやすと言ふわれらなり亀裂入りたる壁の中の部屋
稀釈されて生きゆくことも切なしよ患みゐる夫も看取るわたしも
累層をなして棕櫚の花の黄が和解のごとく房垂りてゐる
雪しろが石突きくだすひとところ川も険しき貌をなさむか
半眼となりしまぶたを撫でながらいのち熄みゆくを知るてのひらか(喪)
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。






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 今月22日の記事「入手した2冊」で、頂いた事を報せた、同人詩誌「果実」76号を読み了える。
 
同・75号は、昨年10月22日の記事にアップした。
 今は政治家の強引な言動で、言葉に関わる者にとって、災難の時代である。詩を書く者にも、レトリックの美しさを誇る詩は、後退しつつあるようだ。
 「詩人は言葉の専門家ではなく、心の専門家でなけれなならない」という、僕の主張通り、「人の心」に執するものだけが、詩を書き続けられるだろう。
 N・昌弘さんの「黄色い世界」「マジシャン」は、背高泡立ち草、認知症患者に「成り代わる」方法で以って、辛うじてレトリックを成り立たせている。
 H・則行さんの「形見」は12歳で死に別れた父への思い、K・不二夫さんの「どちらがいいか」では妻との信念の齟齬が、W・本爾さんの「隣の空き地に」では、隣りの空き地に家を建て越して来る若い夫婦との、人間関係への期待が、詩を成り立たせている。
 T・篤朗さんは、東日本大震災「瓦礫のむこう」、核問題「人」と、困難なテーマに向かっている。「まんとひひ」の道化、「百日紅」の自然詩、「夕鶴」の民話も、失われて行く世界への予感が潜むようだ。


 河出書房新社「ドストエーフスキイ全集」第1巻(1958年・2刷)より、3作目の長編小説「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」(米川正夫・訳)を読み了える。5月26日の記事「分身」に次ぐ。
 3部に分かれると見られ、第1部は幼い娘・ネートチカの語りで、母(苦労の果てに亡くなる)と継父(自負を持つヴァイオリニストながら、自堕落の果てに亡くなる)との貧しい生活を描く。
 第2部では、みなし児となったネートチカが、公爵に救われ、公爵令嬢カーチャと幼い恋をする。
 第3部では、公爵の家族がペテルブルグからモスクワへ発ち、ネートチカは公爵夫人の長女、アレクサンドラ・ミハイロヴナとその夫の許に引き取られる。数年後、その夫の腹黒さを発いて、家を出る予感の中で、この小説は未完のまま終わる。
 1849年、ペトラシェフスキー事件によって逮捕され、銃殺直前に特赦、4年の流刑・5年の兵役のあと、ドストエフスキー(1821年~1881年)の関心が戻らなかったためである。
 なおドストエフスキーは、6歳頃に母を亡くし、18歳頃に父を亡くしている。
 この小説は、単行本、文庫本で刊行されていず、全集でしか読めないだろう。
 登場人物は、ネートチカを含め、激情型が多い。僕の生活が1時、波乱気味だったので、温和な生活を望み、共感はあまりない。
 しかし、みなし児が貴族に救われるストーリーのように、ドストエフスキーは文学による救いを信じ続けたようだ。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第11巻(1982年・刊)より、最後の句集、久保田万太郎「流寓抄」を読み了える。
 このブログでは、先の4月18日の記事にアップした、
星野立子「実生」に継ぐ。
 この第11巻には、2句集の間に、林原耒井(はやしばら・らいせい、1887年~1975年)の第1句集「蜩」が入る。しかし大正13年~昭和33年の1293句と、いきなり古稀までの半生を語られるようで、読みおおせられなかった。
 久保田万太郎(くぼた・まんたろう、1889年~1963年)の「流寓抄(るぐうしょう)」は、1958年、文芸春秋新社・刊。60ページにわたる自伝が付されたが、この本では採っていない。
 戦後の句集「春燈抄」「冬三日月」からの抄出に、その後の自選句、合わせて1089句を収める。
 生前最後の句集で、没後に「流寓抄以後」「青みどろ」がある。
 前書の多い、生活(作家としてを含めて)俳句であり、親しみやすい。また老境に入って、周囲の文人・俳優の訃を悼む句が、とても多い。
 数の多い句集なので、以下に7句を引く。
懐手あたまを刈つて来たばかり
短命のためしのこゝに春日かな(武田麟太郎を悼む。)
みゆるときみえわかぬとき星余寒
また人の惜まれて死ぬ寒さかな(横光利一の訃に接す)
さしかけの葭簀うれしき端居かな(三日ほどおちつきて鎌倉にあり。)
しぐるるやそれからそれと用のふえ
まゆ玉や一度こじれし夫婦仲
(昭和三十一年を迎ふ。)
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。





 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊)の第2章「詩集未収録作品」より、初めの「「青騎士(せいきし)」より」を紹介する。
 先行する第5詩集
「鳥類学」は、今月1日の記事にアップした。
 「青騎士」は、1922年9月より、春山行夫の編集で、名古屋より不定期に15冊刊行された詩誌である(「詩集」解題に拠る)。
 他の詩集(未刊詩集「水の黄昏」を含む)に収められた詩編を除く、7編の初期の詩がここに収められた。
 冒頭の「青い花火」など、シュールなイメージの、物語風作品がある。詩人・立原道造(1914年~1939年)の、数多い物語に先行するのだろうか。
 「憂鬱と黄昏を吹く私の容貌」では、「このまゝ、灰色の願望(のぞみ)の中に額を埋めて嘆く私の花辧であつたら、/凋落(おちい)るまへに 私は告げなければならない/(そこには もう、無言の黒い服の男が 待つてゐるのではないか)/…」等の、優れた詩句がある。
 「墓参の正午(ひるどき)」では、「あゝ 片手には死 片手には薔薇/剪られて 日晩れの 私の生命の一年の日暦も いづくかに撒かれ/…」と、詩に生死を賭けた作者の思いもあったのだろう。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。




 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、「灯よ海に」を読み了える。
 先行する歌集
「風化暦」は、今月8日の記事にアップした。
 歌集「灯よ海に」は、1976年、新星書房・刊。
 まず「鎮魂譜」の章の第1節「鎮魂 生方慶三への挽歌」で、一人娘の婿・生方慶三(癌で死去)への挽歌が詠われる。生方たつゑは、生方家を継ぐ者として、期待していたようである。
 本質とは逸れるが、娘・生方美智子のホームページ「サロン ド ウブカタ」には、「主婦として、子育てをしながら」の文があり、生方家の血脈は継がれている。
 「雪の窓に嘘のやうなる月そそぎ薄きかれひを焼く夕べなり」「放心の民の一人と生きてゐて嘘とも思ふ点(とぼ)す灯のもと」の歌があり、これまでの歌集にも嘘と見做す歌があった。現実に心理的に行き詰った時、「嘘のようだ」と逃避するのか。
 ともあれ彼女は老年を生き、さらに詠い続けてゆく。
 以下に7首を引く。
いく夜さもかかりて縫ひし帷子(かたびら)を今着するべしみ仏のため
泪ためて唐辛子きざむゆふぐれに顕つおもかげよ汝のおもかげ
(ひ)の舌のごときポピーを満たしめて終止符のなき楽譜をつづる
失ひやすきあはれは言はず夕潮が溶かしつつゐる虹に佇たむか
人恋ひて野に招(よ)びたりし歌よみてまぶしよ明るすぎる秋の日
賽の河原といふ谷をきて戒(いましめ)す生きて地獄の酸ふみながら
パン酵母こねつつ出口なき思惟をもちつつ吾は倦むことなきか
  注:引用の中に、正字を新字に替えた所があります。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



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