風の庫

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読書

 砂子屋書房・現代短歌文庫(104)「続 藤原龍一郎歌集」より、巻末の「歌論・エッセイ、解説」を読む。
 今月8日の記事、
同より「『ノイズ』抄」を読む、に次ぐ。

 エッセイとして、「ゲバラ書簡集にぞ黴―私のライバル・私の歌友―」、「家族の些細な歴史」が挙げられる。ライバルとして西王燦を挙げている。「家族の些細な歴史」では、母方の祖母、叔母3人、叔父1人、それに父母の、それぞれの戦争体験の無限の影響を述べた。
 歌論のうち、自分の短歌に就いて論じたものとして、「時代の中の<私>―<私>を詠うということ」がある。自分の各3時代の作品に、感慨深く考えを述べている。
 他の8編は皆、他の歌人の短歌を挙げて論じている。総じて称揚しており、余裕が見られる。
 「韻文の精華―小中英之の短歌―」では、全歌集の刊行とともに、小中英之の短歌を「韻文の極致」と称揚している。「フラットな口語が無制限に短歌形式に乱入し」ている事態を批判すると共に。
 僕は例の俵万智以降に歌を詠み始めており、また詩も書き、ブログ記事を書き、それぞれでガス抜きをしており、テンションの高い歌を詠めないのだろうか。この方法の利点もあるだろう。
 栗木京子、香川ヒサ、西王燦の、短い藤原龍一郎論を収めている。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





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 江國香織の短編小説集、「号泣する準備はできていた」を読み了える。
 長く文庫本棚にあったのだが、題名に少し引いていた。
 彼女の小説は、先の9月8日の記事、
同「きらきらひかる」を読む、に次ぐ。
概要
 新潮文庫。2007年、10刷。233ページ。12編の短編小説を収める。
 この短編集に由り、2004年、直木賞を受賞した。
感想
 初めの2編、「前進、もしくは前進のように思われるもの」、「じゃこじゃこのビスケット」は、男女の心の擦れ違いから生まれる、カップルの違和感を描く。
 この短編集に登場する男女は、どうしてこう不倫をするのだろう。夫が、妻が、あるいは双方が不倫をしている。標題作「号泣する準備はできていた」では、別れて出て行った男が、「ときどきやってきて、またでていく」という状態だ。
 だから最後の「そこなう」で、不倫相手の男が離婚して、「これからはずっと一緒だから」と言っても、満足感を持てない。
 一夫一婦制に無理があるとか、性の解放だとか言っても、今の社会では無理だろう。登場人物は、フリーランスか中産階級で、そのような放恣があり得るのだろう。
 「きらきらひかる」でも、ホモの夫の睦月は医師、妻の笑子は翻訳家、の設定だった。




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 服部真里子・第2歌集「遠くの敵や硝子を」を読み了える。
 なお表紙写真は、トリミングの都合で、上下端が少し切れている。
 今月7日の記事
「入手した4冊(2)」の初めで、入手を報せた。
 (なお同・記事の幸田玲「再会」は、既に読んだ小説だった)。
概要
 上のリンク記事で、前ブログ「サスケの本棚」に載せた、第1歌集「行け広野へと」の感想のリンクを挙げないと書いたけれども、名前を訂正の上、ここに引いて置く。購入記事へのリンクもある。2015年4月6日の記事、
服部真里子「行け広野へと」である。
 4年ぶりの第2歌集は、2018年10月17日、書肆侃侃房・刊。
 普通より縦長の本で、171ページ、291首を収める(1ページ2首)。
感想
 論争の発端となったという、「水仙と盗聴」の歌など、よくわかると思う。
「歌壇」2017年5月号の感想の冒頭部で、僕の理解を述べた。むしろ男性に少し媚びていると思う。
 若者にとって厳しい社会で、歌壇のヒロインとして、彼女は生き抜く決意をしたようだ。
 芸術を取るか生活を取るかの岐路で、彼女は若くして芸術を取ったようだ。
 彼女が将来、不幸に成らない事と、新しい歌を生み続ける事を、今の僕は願うばかりだ。
 なお彼女は、今年10月10日のツイートで、治療に入る旨を告げている。

引用

 以下に7首を引く。
夕顔が輪唱のようにひらいても声を合わせるのはいやだった
見る者をみな剝製にするような真冬の星を君と見ていつ
水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水
父を殺し声を殺してわたくしは一生(ひとよ)言葉の穂として戦ぐ
言葉は数かぎりない旗だからあなたの内にはためかせておいて
地下鉄のホームに風を浴びながら遠くの敵や硝子を愛す
もう行くよ 弔旗とキリン愛しあう昼の光に君を残して



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 砂子屋書房・現代短歌文庫(104)「続 藤原龍一郎歌集」より、未刊歌集「『ノイズ』抄」を読み了える。
 今月5日の記事、
同より「切断」を読む、に次ぐ。
概要
 この短歌文庫・当時、未刊歌集だったが、後に歌集に収められたか、はっきりしない。
 「切断」の後の刊行歌集は「東京式」(1999年、北冬舎・刊)である。検索すると、半年の日録と短歌を収めた本らしいので、違う気もする。ただし「抄」とあるので、日録だけを除いた歌集かとも思ったが、引用歌などからは、違うようだ。
感想
 新刊2冊本を買った楽しみ、ITシステムの全容を誰も知らずに使っている危うさ(今に続く)、下町の実景などを詠む。
 今の天候異変を予見したような歌、当時のセルフサービス食堂(僕は夜勤の頃に利用した)なども詠まれる。
 実景が幻想へ直に繋がるような作風である。
 現代短歌文庫(正)(続)に、初めより連続の6歌集を完本で収録した、彼の優しさに感謝する。また口語調・新仮名の短歌の先駆者として尊敬する。
引用

 以下に7首を引く。
ミステリの新刊上下二巻本購いあゆむ躁の梅雨闇
システムの詳細を知る誰もなくモバイルのその認識の欝
満員のバス通り過ぎそのあとを街宣車ゆくダウンタウンよ
熱波吹き寒波覆うを言祝ぐべし、そう、この街は兇暴につき
秋に咲く花の名前を憶えんと図鑑ひらけば紙魚死にいたり
寒風は突き刺さるとも真夜中の日比谷公園群れなすテント
歩み来てセルフサービス食堂にヌードルを食む救世主のごとく
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。






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詩集ふくい2018
 「年刊 詩集ふくい 2018 第34集」を読み了える。
 入手は、今月2日の記事
「県詩人懇話会より、2冊と1紙が届く」の初めで報せた。
 
「同 2017」の感想は、2017年11月6日の記事にアップした。
概要
 2018年10月30日、福井県詩人懇話会・刊。55名58編の詩、執筆者名簿、63ページに渉る「’17ふくい詩祭 記録」、他を収める。「高校生の部」として、2名2編の詩を収載する。
感想
 時代のせいなのか、観念語を多用する作品があり、詩の観念化に繋がらないか心配である。
 M・あずささんのソネット3編、N・良平さんのソネット「風のソネット」、T・恵子さん「遊歩断章」とM・まさおさん「頭が寒い」が1連3行の連を連ねるなど、定型への寄り付きはあるようだ。僕もソネット「おじや」を寄せた。
 N・益子さん「おーい、まー坊」、H・はつえさん「ピアノ売ります」が、長いスパンの回想を詩っているのも、年齢と時代の故か。
 詩人懇話会では「詩の教室」など、年少者への詩作の誘いかけを行っており、大きく育つとともに、会員の老齢化を補う事を期待している。


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 砂子屋書房・現代短歌文庫(104)「続 藤原龍一郎歌集」より、「切断」を読み了える。
 先の10月30日の記事、
同より「19☓☓」を読む、に次ぐ。
概要
 原著は、1997年、フーコー・刊。
 1997年の1年の内に、「嘆きの花園」、「19☓☓」、「切断」の3歌集が刊行された。「切断」は1998年1月・刊とする説もある。
感想
 「疲弊して」とあるように、ようやく歌に疲労が見られるようだ。年齢的、時代的な事のみでなく、「19☓☓」に示された、転回の故もあるだろう。
 藤原龍一郎は1952年、福岡県・生、大阪府の高校を卒業し、上京して大学入学した。卒業後も東京に生活し、「都会詠」と謳うけれども、今の僕には東京都への憧れはない。文化行事の多い事が羨ましいだけである。
 東京にサクセスが集中していたが、今のネットの時代、東京でなくともサクセスの機会はあるだろうと、僕は思う。
 短歌的抒情で東京を詠うのも良いが、かつての歌謡曲「東京砂漠」に、心揺さぶられた者である。
 都会の時代を、都会人の心情を詠んで、短歌的抒情を極限まで追い詰めた、優れた歌集ではある。
引用

 以下に7首を引く。
微量なるゆえ詩の毒は全身の神経系をめぐりて甘美
曖昧な日夜と言われ異論なき靴下を履く時脱ぐ時も
マンションの非常階段駆けおりる複数の足音の乱れが
「ひきしほ」と表記する時様式の美に溺れたき身を笞打てば
神経も肉体もかく疲弊して予後不良なる日没ぞ、これ
地下街をぬけてそのままオフィスへと入ってしまう予定調和の
なかんずく銀座通りの黄昏の甃路(ペーブメント)をモナミ、バッカス
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。


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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、8番目の句集、桜井博道「海上」を読み了える。
 先の10月29日の記事、
川崎展宏・句集「葛の葉」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。加藤楸邨・跋、431句、著者・後記、火村卓造「海上解説」を収める。
 句は1950年以前~1971年を、ほぼ年毎に年代順にまとめてある。
 桜井博道(さくらい・はくどう、1931年~1991年)は、1949年、加藤楸邨「寒雷」に入会。1970年、森澄雄の「杉」創刊に参加。大学商学部大学院修士課程・卒。家業の「桜井家具店」専務取締役(当時)。
感想
 字余りの句が多く、定型の句を探そうとすると苦労するくらいである。
 徒らに字余りが多く、工夫すれば定型に収まりそうである。助詞の省略も多い。
 師・加藤楸邨や周囲にそのような俳人が多かったのかも知れないが、「それで良い」という態度が嫌である。定型詩の意義を成さない。前衛俳句でもない。
 しかし後に長く病臥したとあるから、俳風の変化があったかも知れない。後に句集「文鎮」、「椅子」がある。
引用

 以下に定型句を主に5句を引く。
最上川乗りて夏帽小さく座す
頬白の空降りてくる草に臥て
花火終へ押しもどりくるもののあり
ひと夜経てなほ雨のなか信濃柿
まぶしめり蛇口をあるく天道虫
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





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