風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

 筑摩書房の「ウンガレッティ全詩集」(河島英昭・訳、1988年・刊)より、詩集「最後の日々」(1919年)(フランス語詩篇)を読み了える。
 先行する「老人の手帳」の記事は、今月16日にアップした。


 「老人の手帳」は、年代順に最後の詩集であり、その後も亡くなるまで散発的に詩を発表したが、この全詩集には訳出されていない。

 「最後の日々」は初期フランス語詩集であり、フランスに留学(彼はエジプトから来たイタリア人である)後、1915年、第1次大戦に従軍し、塹壕の中で詩を書いた。
 「ギョーム・アポリネールに」以下数編では、青年詩人らしい感傷、ロマンチシズム、哀愁が読み取れる。「夏の夜」には、「花瓶と岩石とが砕けて火矢と火口に群れ飛ぶ/この暴虐に…」と戦闘を歌う。
 「黒の成就」は、シュールレアリスムの詩人、アンドレ・ブルトンに捧げられた。連作「ロマン・シネマ」6編は、エジプト時代の同級生で、パリの大学に共に通った親友、モハメッド・シェアブの自死を深く嘆いた作品である。
 このあとには「散逸詩篇」と、詩論「詩の必要」を収め、訳注・年譜・解説を付す。

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写真ACより、「秋の人物コレクション」のイラスト1枚。


 筑摩書房の「ウンガレッティ全詩集」(河島英昭・訳、1988年・刊)より、第6詩集「老人の手帳」を読み了える。
 第5詩集「叫び声と風景」は、今月8日の記事にアップした。




 「老人の手帳」は、1960年、モンダドーリ社・刊。J・ポーラン・序、L・ピッチョーニ・編。(1950ー60年)と題に付されている。
 「約束の地を求めて最後のコロス」は、27編の連作である。「日々は虚しい煙に過ぎないと。」「すべてが廃墟にすぎないことを。」「希望をすり減らすもの、それは希望だ、」等、とても虚無的になっている。
 過去への追憶ばかりを想い、未来を想わない生活は、虚しいだろう。
 「言葉を失った小曲」(1957年10月、ローマ)は、2編より成る。
 掉尾に対の2章「二重唱」を収める。「もはや何一つ彼の心から動かせないのか、//もはや何一つ彼の心から/追憶の苦い驚愕のほかには/擦り切れた肉体のなかでは?」と結ばれ未来がない。直訳調か和文調か、翻訳詩の語順という、どちらが理解されやすいか、スタイルの問題も問われる。

 この後に、「最後の日々」(1919年)(フランス語詩篇)と、「散逸詩篇」(1915年~1927年、未収録)、詩論「詩の必要」を残す。

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写真ACより、「秋の人物コレクション」のイラスト1枚。


 KIndle版「山之口貘全詩集 14篇併録」より、全詩集を読み了える。
 入手は、先の10月19日の記事にアップした。



山之口獏全詩集
 沖縄県出身の山之口貘(1903年~1963年)は、生涯に197編の詩を書いた。
 上京したが貧しく、借金を重ね、公園に寝泊まりしたり、汲み取り屋をしたりした。
 職業安定所に勤め、安定した時期もあった。
 貧困や欲求を描いたが、素直で1種の明るさがある。全詩集、選集、アンソロジー入集など数多い。
 思潮社より1975年~76年、4巻の全集が刊行された。また山之口貘賞が創設され、現在に至っている。





 僕の所属する同人詩誌、「青魚」のNo.93を読み了える。
 入手は今月2日の記事にアップした。これでその時頂いた3冊すべてを紹介する事になる。


 同・No.92の感想は、今年5月15日の記事にアップした。リンクより、関連過去記事へ遡れる。


「青魚」No.93
 今号では、僕のソネット4編が、巻頭を飾った。代表のT兄は、4、5番めに置きたかったが、ページの関係で、とぼやいていた。

 T・幸男さんは、「カステンポな母の傍らで」2ページを寄せた。2段組の内、上段に詩を、下段に父母を含むモノクロ写真を収めた。散文詩風で、世間への憤りは少ないようだが、末尾の1行は次のようである。「ー沸騰スル人間
(ヒト)ノ未来ヲ俯瞰ながらに」。
 T・晃弘さんの「死亡保険」では、死亡保険の勧誘と年下の隣人の死を描いて痛切であり、断ったという結末はユーモラスでさえある。
 孫可愛いや日常のトリヴィアルを描いた詩は、困ると思う。
 散文では、T・育夫さんの「演歌」8ページ、A・雨子さんの「詩友、友人」7ページが長文である。詩人の書いた散文は、本性が現れると思われる。



 同人詩誌「果実」83号を読み了える。
 入手は、今月2日の記事、文学フェスタで頂いた3冊を紹介する、にアップした。



 同・82号の感想は、今年5月21日の記事にアップした。リンクより、過去号の感想へ遡り得る。


「果実」83号
 83号では、9名18編の詩と、5名5編の随筆を収める。2020年11月、果実の会・刊。47ページ。
 巻頭のO・雅彦さん「鳥たちの居場所」は、人類絶滅直後の世界を描くが、コロナ禍で人類絶滅はなく(気候変化等によってはありうる)、そうパニックを起こす事もないと僕は思う。
 平凡な日常生活を描いた作品(重要な真実は隠して)、幼少時代の回想の詩(痛い思い出は隠して)が多い。
 N・昌弘さんの「秋の一日」は童謡めいて、5音句7音句が多用される。
 T・篤夫さんの「山椒の木」「深夜の電信柱」は、共に物憂い心境を描いて、「無為の私の前で」、「無意味な電信柱数えを…」と、明言してはいないが、コロナ禍での憂鬱だろうか。
 W・本爾さんの「物語」では、「時代が大きく傾いて/人の世が歪んで見える…続きの物語は始まるか/新しい物語は始まるか…」と歌って、時代を批判し、危機感を示す。
 N・明徳さんの「つめ」には、慣用句が多いようだ。
 上記のうち僕が批判した事は、詩人の資質によるのではなく、時代の歪みが、言葉を歪ませようとするからである。


 筑摩書房の「ウンガレッティ全詩集」(河島英昭・訳、1988年・刊)より、第5詩集「叫び声と風景」(1939―52年)を読み了える。
 第4詩集「約束の地」は、先の10月27日の記事にアップした。



 「叫び声と風景」の初めの長詩「独白」は、戦争から解放された詩人の喜びのようだ。「早くも命の気配が甦る、」「二月の色、希望の色だ」のフレーズがある。ただし錯乱に似せて歌われているので、意味の筋は追いにくい。
 2編めの「おまえは叫んでいた、苦しいと……」は、9歳で亡くなった長男を悼む作品である。第3詩集「悲しみ」の17連作「来る日も来る日も」でも歌われたが、年月を重ねて深みを増している。
 散文詩「気晴らし」3部作は、ギリシア詞華集にお気に入りの定型を見つける過程を描くようだ。その成果か「韻律の習作」「意味を追って」がある。
 3編の短詩「飛んでいた」(1933年)、「後ろには」(1933年)、「跳びはねている」(1952年)は、異都での発想で、主にのどかな景色である。
 以上で紹介した詩がすべてで、短めの詩集である。
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写真ACより、「秋の人物コレクション」のイラスト1枚。


 福井県詩人懇話会・編のアンソロジー、正式名称「年刊 詩集ふくい2020 第35集」より、詩集編を読み了える。
 入手は、先の10月28日の記事、入手した4冊を紹介する(10)にアップした。
 その4冊の内、読み了えたけれども記事アップする気のない「ふくい風花随筆文学賞入賞作品集」を除いて、他の3冊をすべて取り上げる事になる。



 リンクには、「詩集ふくい」過去号の感想へ辿れるリンクを、貼ってある。

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 作品は物故者、高校生を含めて、47名52編である。

 K・不二夫さんの「背景」では、散歩しながら「コレダケ生キレバ モウ死ンデモイイカ」「おぼろな背景ゆえに くっきりと自分本来が浮かびあがる」と、老齢に入った自分を凝視している。
 K・強さんの「無花果」は、無花果に寄せた、寄物陳思である。
 会員の老齢化に伴って、老境の詩が多い。M・りょうこさんの「ベッドをくっつけて」は孫歌だが、コロナ禍で会えないかも知れない事で結んで、素直である。
 昨年末に亡くなった恋坂通夫さんの「鶴」、今年2月に亡くなった神子萌夏さんの「けやき」2編が、遺稿として収められる。

 「’19ふくい詩祭in三国」の記録は、57ページに渉る。僕も参加したので、記事を読むと当日の熱気が甦る。モノクロになった写真の内、幾枚かは僕の撮ったものである。






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