風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

 筑摩書房「ウンガレッティ全詩集」より、詩集「喜び」を読み了える。
ウンガレッティ全詩集
 1988年・刊、河島英昭・訳。514ページ。函がヤケている。
 2011年12月に、所蔵している記録があるのみなので、ブログ「サスケの本棚」開始の2007年以前に古本を購入したものか。
 僕は購入より何10年かして、読み始める事がある。購入して1年で読まなければ処分する、という誰かの杓子定規な扱いができない。

 この度、読む気になったのは、職をリタイアして7年、古希にもなったので、外国の詩人も職無しのさまよい人と捉えたなら、読める気がして来たからだ。昔、詩誌「群青」の相棒・こぐま星座さんと「外国の詩は難しいね」と語り合ったが、その時はお互いに仕事があった。

 ウンガレッティは、クァジーモドと共に、戦後イタリアの大詩人である。(僕は「クァジーモド全詩集」も持っている)。エジプトでイタリア人の両親のもとに生まれ、1912年、24歳でイタリアに短期滞在し、パリへ移り、大学で学ぶ。1915年、第1次世界大戦にイタリア兵として従軍、1918年に除隊したらしい。


 「喜び」には、パリ時代、従軍時代の詩が収められている。詩「苦しみ」より、「だが嘆きを糧にしては生きるな/盲鶸のようには」とうたう。除隊直後には、「見出された女」で女性の豊穣を、「祈り」で神への祈りをうたって、詩集「喜び」は閉じられる。



 詩誌「水脈」68号を読み了える。
 到着は、今月14日の記事、届いた2冊を紹介する(16)で報せた。



 また同・67号の感想は、今年4月10日の記事にアップした。


水脈68号
 2020年7月28日、水脈の会・刊。
 A・比佐恵さんの詩「コロナ禍の日々に」に惹かれた。慣れない地に一人で、庭の草むしり、苔の植え付けに、コロナ禍の日々を勤しむ姿がある。
 S・周一さんの「コロナの夜」、「言葉とウイルス」、「仏事」3編には、1行の字数を揃える志向があるようだ。広部英一氏の晩年の試みに倣うようだが、この試みは広部氏の死と共に、打ち切りたい。広部氏がなぜ試みたのか、その理由も判らなくなった現在では。
 「神子萌夏さんを悼む」のページでは、N・千代子さんの「詩と暮らしを語り合った友」、I・冴子さんの「神子萌夏さんへ」、2編の追悼文を載せる。彼女はしばらく、僕が編集役をした同人詩誌「群青」の同人だった時期がある。反原発問題で内紛があって別れたが、個人的な恨みはなかった。腎臓移植で体調回復していた時期で、僕も喜んでいたところ、急逝が惜しまれる。


 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、7番めの「自然生死」全篇を読み了える。
 先行する「土偶(でこんぼ)」(抄)は、今月16日の記事にアップした。



 「自然生死」は、2019年、土語社・刊。31編と、あとがきを収める。
 第Ⅰ章では曾孫や食欲の話から、自分の葬儀の話に移る。
 「早稲田」では、「不可思議である 田んぼの力 奇怪千万/百姓の己
(うら)何をした なんもせなんだ」と、大地の恵みを歌う。
 第Ⅱ章では、原発事故から反原発を歌っている。「他人事に非ず」で、「命より金じゃ 金じゃ 金狂い/憲法なんか糞くらえ」と、恐ろしい世相を表す。
 第Ⅲ章では、戦時下体験から、反戦を歌う。「探し物-其の一」「同-其の二」では、捕虜虐殺の写真を見た体験から、戦争の残忍さを描いている。
 なお「自然生死」は「じねんしょうじ」と、読むと思われる。
 この後のエッセイ3編、3氏の解説5編の感想は、省略する。
原発
写真ACより、「原発」のイラスト1枚。

 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、6番目の「土偶(でこんぼ)」(抄)を読み了える。
 先行する「だんだんたんぼ」(抄)は、今月6日の記事にアップした。



 「土偶(でこんぼ)」は、2013年、紫陽社・刊。この詩集で、農民文学賞を受賞した。5章32編を収める。
 第Ⅰ章より「坪庭」では、「生まれは百姓じゃが//会社の社長に祭り上げられ/その会社が倒産/田畑家屋敷を売り払って/…」と、変化した農民を嘆く。
 「己(うら)」では、「この心も己のものではない/借りもの借りもの……/」と書かれるが、僕は心は個人のものと思いたい。
 「べと(土)」では、旧・満州に開拓入植した人の帰還を描いて、「仏壇の抽出し」では、兄の出征式の挨拶の下書きを書いて、反戦を訴える。
 第Ⅱ章の「土偶(でこんぼ)」連作は、本詩集の眼目だろうが、僕はあまり評価しない。
 第Ⅲ章の、チベット巡礼の信仰は、彼の土に生き土に還るという信念と繋がっているのだろう。
 その信仰と繋がって、第Ⅳ章の「メルトダウン」では反原発に繋がり、「海 3・11」では大震災を描く。
 第Ⅴ章では、農業の衰えの中で、「面打ち」の木彫等と共に、老い先を見遣っている。

土偶
写真ACより、「土偶」のイラスト1枚。


 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、5番めの「だんだんたんぼ」(抄)を読み了える。
 先行する同「田んぼ」全篇は、今月3日の記事にアップした。



 「だんだんたんぼ」は、2004年、紫陽社・刊。27編を抄出する。
 「あのとき」は、軍靴に踏みにじられた女性、戦後パンパンとなった女性を、半世紀を過ぎながら、詩に化することによって、幻想的に昇華することで魂鎮めしている。
 「ちょっとまて」は、父親を亡くした孫たちに、米を運ぼうとして、警察に捕まる媼を描く。「でものう 天子様にあげた命二ツ/息子二人をここに連れて来てくださらんか/そうすれぁこの米でも/己
(うら)の命でも置いていきますげの」と、媼に成り代わって方言で歌うことで、戦争の悲惨と、戦後も相変わらずの官憲の愚をあばいて、絶唱である。
 「人間であることが嫌になる今日此の頃」では、自衛隊によって憲法第九条を空文化し、海外派遣に至る頃を描いて、スローガン的ながら痛烈である。
 自分の葬儀を想定した作品は、これまでの詩集と同じく混ざっている。
 「雨の中の稲刈り」「足踏み脱穀機」「百姓の手」が、農民の苦しみを訥々と作品化した。

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写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。


 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、4番めの「田んぼ」全篇を読み了える。
 先行する「藁小屋」(抄)は、先の7月22日の記事にアップした。



 詩集「田んぼ」は、2001年11月、町田ジャーナル社・刊。21編を収める。
 「無題」では、風水害に因るのか、冬になっても刈り取られない稲を描いて、農民の悔しさを表す。「足折れて 手ちぎれて 首折れて/初雪に覆われて/野垂れ死んだ稲」と比喩する。
 「貌」では、戦場の息子を想い、一人(稲の禾に悩まされながら)田の草取りをする母の姿が描かれる。
 「はんたいこら」では、「息子の嫁が己の先に死んで/ただでさえ心がてきんなっているのに/孫等もみんなで己を大事にしすぎる」と、老媼の心境を描くに、方言を使う。
 「仕事師
(しごとせ)」では、シベリア抑留から帰って農に励み、鍬の柄は擦り減ってくびれていた、という1つの生き方を示す。
 「春さきに」では、トラクター事故で亡くなる老翁を表す。
 「あんさん」では、「あのあんさんはよう働きなった」と、働き者の老人の死を、詩人・岡崎純へのリスペクトか、「ごえしたのう」と似る方言で結んでいる。
 この詩集「田んぼ」は、亡くなった農の先達と共に、孫にも伝わる農の血を描いた、農の曼荼羅といえる。
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写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。



 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫150「山田清吉詩集」より、3番目の「藁小屋」(抄)を読み了える。
 先行する「土時計」(抄)は、今月13日の記事にアップした。


 「藁小屋」は、1994年、木立ちの会・刊。このアンソロジーには3章30編を収める。
 題名は県の故・詩人、岡崎純の詩集「藁」(1966年・刊)をリスペクトしたものだろう。

 第1章では、母の死を描く「お盆の十五日」「母が産湯を使う時」「年忌」が、近所らしい農婦の死を描いた「十兵衛どんのおばはん」と共に感銘深い。「癌におかされ/床に臥して/やっと軀を休めると言った母」、「ハハッと笑う/カラカラと笑う/もう食べたくないという/静かに眠る」と具体的で、農家の女の忍従・忍苦の生涯を表す。

 第2章では、ネパール、インドを訪れた体験を描いて、心の転機となったようだ。
 第3章は、彼の詩によく現れる、自分の葬儀というテーマで、ほとんどを占められている。

 彼は卒寿を越えてお元気で、詩の催しにもほとんど欠かさず参加している。ますますのご活躍を願う。
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写真ACより、「カーメンテナンス」のイラスト1枚。


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