風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年2月20日で以って、Kindle本・短編小説「底流」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「柴田哲夫 底流」と検索すれば、すぐに出て来ます。柴田哲夫は、Kindle版・詩集「詩集 日々のソネット」、「改訂版ソネット詩集 光る波」と同じく、僕のペンネームです。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。Kindle版の無料キャンペーンも随時行ないます。多くの方のご購読を願っております。

 N・としこさんに贈られた、同人詩誌「角(つの)」第52号を読み了える。
 入手は、今月10日の記事、入手した2冊を紹介する(8)で報せた。リンクより、関連過去記事へ遡り得る。



「角」第52号
 2020年1月30日、角の会・刊。52ページ。
 B5判、詩は1段組みと贅沢な詩誌である。県内の他の詩誌では、A5判2段、B5判2段の場合が多い。
 また同人は、若狭から始まって、県内、東京都に及んでいる。
 K・悦子さんの「手をつなぐ」では、「手」を媒介として、目に見えない関係を描いた。
 T・尚計さんの「ゆきち」は、ペットのハムスターの悲劇から、末尾の諧謔に希望が見られる。
 T・常光さんの「デシベルの風」は、誰も詠わなくなった福島原発事故を、想像によって(恐らく正しく)詩化し続けている。
 関章人さんの詩集「在所」の評を、N・としこさんが2段組み4ページに渉って、明晰に展開した。
 映画評論・演劇を手掛けるY・勝さんが、仲間二人とのフランス・イタリア旅行の報告を、3段10ページに渉って述べている。昔日の外国映画の舞台を初めて実視できて、満足そうである。



 笠原仙一さんの第6詩集、「命の火」を読み了える。
 入手は、先の1月31日の記事、届いた2冊を紹介する(10)で報せた。



笠原仙一 命の火
 2019年12月28日、竹林館・刊。500部・限定。
 この500部というのは、僕の周囲の自費出版・詩集としては多めで、組織を通して配られるのだろうか。
 45編の詩とあとがきを収め、159ページ。

 仲間から「笠原節」と呼ばれる、ラッパの詩は、僕は苦手である。僕は藤村、白秋、朔太郎の抒情詩から戦後「荒地」派の詩を読んで来たので、プロレタリア文学系の詩になじまない。

 ただ「日の本が滅んでいく」には、題名とは別な仏壇仕舞いの内容で、身につまされた。僕は廃棄物処理の事業所に勤めた時期があって、仏壇屋が仏壇を廃棄物として持ち込むのには閉口した。仏壇屋の仏壇は産業廃棄物だから駄目だと言っても受け付けを通って来る。お精抜き(この字を宛てるのだろう。僧の誦経で仏壇の仏性を抜くこと)をしてあるのかと問うても、無言である。無信心といっても、人々の念の籠もったものを、ゴミとして破砕する事には抵抗があった。
 また「雪よ」には、雪国に住んで、大雪に難儀する庶民の心情を描いて、共感する。




IMG_20191209_0001
 所属する同人詩誌の、「青魚」No.91を読み了える。
 到着は、今月10日の記事、届いた3冊を紹介する(7)で報せた。リンクより、過去号の記事へ遡り得る。

 

 僕が載せて貰った6編のソネットは、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の「青魚」の詩テーマより、「遅刻」からの作品をお読みください。
 

 長く詩を離れていたK・和夫さんが戻って来て、「神無し月」で「詩なんか書くんじゃなかった」のボヤキのリフレインを挟みながら、1編を成した。
 先達のT・幸男さんは、「ある群像との出合」で少青年期の画家・詩人との出会いを、「おとぎ噺の真中(まんなか)で」でマルティン・ハイデッガーの思想を引きながら、現代の「総かりたて体制(ゲシュテル)」への批判を、寄せた。ハイデッガーを少ししか読んでいないが、僕には異見がある。
 代表のT・晃弘さんの「晴海ビュウタワー10階」は、遠くに住む友を、時間的に行き来しながら描いて、友情の深さを滲ませる。
 A・朝子さんの「なんぼでも生きるよ」は難病の娘を、K・文子さんの「夫のひとこと」は夫の後押しを、T・育夫さんの「いのち」では鬼神となっても守りたい孫たちを、それぞれ取り上げて家族の深さを示す。

 A・雨子さんの6ページに渉る散文「ぐれた同級生たち」は、少女時代の同級生や家族を描く。幸福とは呼べない、人生の出発期を解きほぐすことで、彼女のトラウマを癒そうとするようだ。原子力発電のように、苦の核を抑制しながら表現することで、苦しみを逃れられるなら、彼女の連載は大きな意義がある。


 A・幸代さんの個人詩誌「野ゆき」vol.10を読み了える。
 入手は、今月15日の記事、入手した4冊を紹介する(6)にアップした。リンクより、当ブログを開始した2016年の、同・vol.7まで遡り得る。




IMG_20191214_0002
 詩誌「野ゆき」は年刊を守って、10年になる。粘り強い着実な歩みである。その間に詩集の発行を挟んでいる。

 「野ゆき」は毎号、5編の短めの詩を載せるようだ。今号には、「でんわ」「ある時」「ひきだし」「空から」「尻尾」を収める。
 職業上の児童との関わりから生まれた、「でんわ」「ある時」は、児童の心を思い遣り、自省している。
 「ひきだし」は、終活?でひきだし1つの整理も進まない様を、「思い出の海におぼれて沈みそうだ」と嘆く。
 「尻尾」では、人間に尻尾があったなら、心を装っていても尻尾が正直に示すだろうかと、内省的である。
 「空から」では、50数年前の旧友を思い遣っている。僕も二十歳頃までの旧友や恩師を偲ぶ時がある。以下に全編を引く。作者のご諒解を得てある。


  空から

空からくるもの
みんな好き
そう豪語する友がいた
雨が降り出すと
傘も持たずにとびだしてゆく
あたりを歩き回って
濡れた制服で戻ってくる
みんなの呆れ顔など気にもしない
雪も大好き
雷も窓辺で空を見上げる

私も空はよく見上げるが
彼女の真似はしなかった
あれから五十数年
今どうしているのだろう




 水脈の会より贈られた、詩誌「水脈」66号を読み了える。
 到着は、先の11月24日の記事、贈られた3冊にアップした。

 

 同・65号の拙い感想は、今年7月10日の記事にアップした。
 

IMG_20191123_0002
 「水脈」66号は、2019年11月6日・刊。67ページ。
 12名16編の詩、N・えりさんの小説2編、他に批評・随筆・報告など。

 H・はつえさんの詩「長閑な午後」では、害を与える猪に車を追突させた小父さんを描き、終連3行が「結局 トラックの前車体を随分凹ませただけだった/小父さんは泣く泣く家に帰りつくと/待っていた妻にひどく文句を言われたそうだ」と、民話風でユーモラスである。
 I・冴子さんの「半分しか」では、国政選挙の低投票率を嘆き、「投票が当たり前ではない時代があったのだよ/女性が参政権を得たのは/たった七十三年前なのだよ」と警鐘を鳴らす。
 政治路線的には、グループに困難な時代だろう。S・周一さんの詩「奇妙な日々」では、「そんな日がかならず来ると/白昼夢に酔い痴れる中」、「ここは「どこ」/いまは「いつ」」と、混迷の世に埋没する理想を描くようだ。



 思潮社・現代詩文庫242「続続 荒川洋治詩集」より、「未刊詩篇<炭素>」7編を読み了える。
 先行する「詩集<北山十八間戸>全篇」を読む、は今月5日の記事にアップした。



 彼が「文学も出世の手段としか考えない」と、本音か、フィクション混じりにか、書いたことに就いて一言。日本の近代以降の文学者は、世のあぶれ者から出発しながら、芸術家のプライドを保って来た。その流れからすると、彼の1行は許せないかも知れない。しかしヨーロッパの近代文学が多くブルジョアの慰みごとであった事は措き、古代中国の詩人たちが、詩文に依って出世を計った事を考えると、彼の考えも納得できる。しかし現代日本は、古代中国とは違う。

 「伏見」より。「いめひとの伏見/の特徴だ」は、「伏見のいめひと(夢人を連想させる)」を、引っくり返しただけのようだ。「その日から私は変わったと/その日から 日本は変わったと/突然の美しい声で叫ぶ」の楽観には、むしろ危うさを感じる。
 「蔚山」より。戦前の親日作家「白鉄」が病気(肺結核?)の身で、「とてもよく してもらったので」住むことを決め、諦めない希望を「いまでもいちばん人はきれいだ」と、現代詩作家は讃える。
 「プラトン」は、「ソクラテスの弁明」とトルストイ「戦争と平和」を、混ぜ合わせたような作品だ。
 「炭素」は、16歳まで30年間、旺盛な活動をした(年代測定がくるっている)四国の四人の話が、四国生まれの目を治療する少女たちの話にすり替わる。
 「民報」では、「悪化した胸」の作家野川(島に帰った)を、四つ年下の東京の作家が、偲ぶ話である。旧友が村人と交わりを持てていることに、東京の作家は「ひそかに胸をなでおろし」ている。現代詩作家も、多くの旧友(恵まれた境涯にいない)を偲ぶのだろう。
 恩賜賞・芸術院賞を受けた荒川洋治氏の、これからの活動に僕は関心深い。
0-91
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 D・H・ロレンスの「愛と死の詩集」Kindle Unlmited版を、タブレットで読み了える。
 Amazonよりのダウンロードは、今年3月15日の記事、歌集3冊と詩集1冊をダウンロード、で紹介した。




D・H・ロレンス 愛と死の詩集
 安東一郎・訳。(有)グーテンベルク21・刊。Kindle版は、2014年7月4日・刊。432円。
 訳者がD・H・ロレンスの全詩業から、59編を選んで訳出した詩集である。
 読んだ小説「息子と恋人」、「チャタレイ夫人の恋人」(旧訳)が合わなかったとリンクに書いたけれども、結局、この詩集も僕を満足させるものでなかった。読了に月日が掛かったのは、そのせいである。
 ホイットマンの影響を受けたという、説教臭さ、デリカシーの無さだと思う。僕は北原白秋や、戦後「荒地」派の詩を好んで読んだ。
 D・H・ロレンスは生涯、性愛の哲学を叫び続けたと翻訳者は書くけれども、性愛は人生の最大部分ではないと、僕は考える。
 旧いイギリスで、炭鉱夫の息子に生まれた彼が、抑圧と貧困から脱出するために、世に反抗した事は、わかる気がする。



↑このページのトップヘ