風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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 神子萌夏・第4詩集「雪待ちの庭」を読み了える。
 受贈は、先の12月27日の記事、
「届いた5冊」の内にアップした。
概要
 2018年12月10日、澪標・刊。3章に28編を収める。
 詩人の倉橋健一、たかとう匤子、2氏が帯文を寄せている。
感想
 彼女は、僕たちの小さな同人詩誌、「群青」の同人だった時期がある。人工透析を週3回受けるという事で、会合はその曜日を避けた。
 夫より生体腎移植を受けて、成功した。詩の会合などで会うと、顔艶も良くなり、活発に活動していて、僕は嬉しく思っている。
 その移植をうたった「移植を待つ」、「無菌室で」があり、2年後の「如月」には「ひとつの腎臓 あなたから/もうすぐ二年になる…今ならもっと優しくなれた/すべてのことに」とある。
 お孫さんをうたった「ゆらゆら」、「おしまいッ」がある。
 体調の回復ゆえか、猫にからめて夫をからかい、またからかわれるという、幸せのシンボルのような夫婦暮らしが「猫との日々」で描かれる。
 僕は人の幸福を妬むほど不幸ではない。



 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)の詩集「死んだ鼠」より、第4章、第5章を読み了える。
 今月21日の記事、
同・第3章までを読む、に次ぐ。リンクより、これまでの「関根弘詩集」の記事へ遡り得る。
 なお章の数字は、原本ではⅠ、Ⅱ、Ⅲ等、ローマ字表記になっている。環境依存文字なので、1部のサイトでクエスチョンマーク(?)になるので、ここではアラビア数字の表記とする。
 これで詩集「死んだ鼠」を読み了えた事になる。
概要
 概要は、これまでの記事の概要に、少しだが書いたので参照されたい。
 最後のアンソロジー詩集は、生前ながら1990年(没したのは1994年)、土曜美術社の日本現代詩文庫「関根弘詩集」であり、Amazonのマーケットプレイスで現在、1万円を越えるプレミアムが付いている。
感想
 彼の全集も全詩集さえ、出版されていないらしい事が惜しい。今の時代に、学ぶ事は多い。
 第4章 銀の針金
 「赤痢退治」では、役所の盥回しと、マスコミ・根回しに弱い点を突いている。
 「信頼」の末では、「ぼくらにたいするかれらの信頼が/バスを走らせていたのだ」と、やや教条的内容である。シネ・ポエム、シュール・リアリズムの手法を取り入れているようだ。
 「交通妨害事件」は、列車妨害事件を寓意しているようだが、警察を批判するに、正面からしない理由がわからない。
 第5章 ピアニストの夢
 この本で、10ページに渉る散文詩、「ピアニストの夢」のみを収める。
 言葉の話せるネズミが、無名の作曲家を励まして合唱曲を完成させ、その曲は評判になり広まる、しかしその後ネズミの死が確認される、というストーリーである。
 昔話の恩返し話のような、伝統を活かした作品だと思う。長い作品だが、散文になってはいない。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





 今月12日の記事の通り、思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)より詩集「絵の宿題」を読み了えたので、次の詩集「死んだ鼠」に読み入り、全5章の内、第3章までを読み了えた。

概要
 詩集「死んだ鼠」の原著は、1957年、飯塚書店・刊。
 全5章に分かれ、第1章「死んだネズミ」4編、第2章「娘の手紙」8編、第3章「城」5編まで読み進む。
 関根弘(せきね・ひろし、1920年~1994年)は、詩だけでなく、小説、ルポルタージュ、評論などで活躍した。
感想
 第1章「死んだネズミ」より。
 詩集表題作「死んだネズミ」では「死んだネズミは/目をさまさない/それでも/ネズミはネズミ」と書く。この本の「あとがき」で、、わたしの詩は死の感情ばかりをとりあげてきた、と書くから、ネズミは彼自身の比喩か、「一つの社会の死」を指すか。
 第2章「娘の手紙」より。
 「星のテープ」では、「フミコはひとに憎まれず/一人の亭主を憎んでいる。/俺はいろいろな奴を憎み/いろいろな奴から憎まれている。」と、庶民夫婦の愛憎を描く。
 「娘の手紙」では、「恋人は娘に詩を捧げた/しかしそれがなんになろう」と、詩人の無力と、詩人の恋人の不幸を描くようだ。
 「カラスは白い」では、「政府はカラスを黒にもどしたが/いったん白くなったカラスはもとにもどらぬ/白いカラスがとんでいるのを僕は見た」と、戦時中の洗脳の怖さだろうか。
 第3章「城」より。

 5節から成る「城」は、廃墟の鉄屑→屑鉄拾い→製鉄会社、と関心が移ったか、製鉄会社の事務、溶鉱炉の現場などを描く。見物の社長や銀行頭取を取り上げる所が、社会派の彼らしい。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。



野ゆきNo.9

 昨日に到着を報せた2冊の内、A・幸代さんの個人詩誌「野ゆき」vol.9を読み了える。
 同・vol.8の感想は、昨年12月20日の記事にアップした。
 県内には他に、個人詩誌を知らない。1年に1冊のペースだから、9年目になり、息の長い活動を続けている。
 誠実で、実務にもたけた方である。

 12行までの短い詩を、1ページ1編ずつ、5編を載せている。
 表情は明るく見せているが、口調は暗い。「三枚目」では「娘なのにとんだ三枚目だと」、「山道」では「山道はたのしい」と書く。
 しかし「まだ生きている」では「長い鎌を持った黒い影の/気配はいつもするが」と書き、「身代わり」では「身代わりになってくれたのは蛾」と書き、「髪」では「髪を切ると少し不安になる」と始まる。
 この口調の暗さは、彼女の老いや個人事情のみに因る事ではないと思う。
 戦後民主主義教育を受けた者は、今の社会情勢に、心苦しさを共有するだろう。

 冒頭の詩「まだ生きている」より、初めの2連を引用する。
  まだ生きている
    A・幸代


つらいときにはつらいと
うんとじたばたしたから
いま生きている

愚痴を聞いてくれる友がいて
うなずきあって
いま生きている
  (後略)


 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)の詩集「絵の宿題」より、「カメラ・アイ」の章を読み了える。
 先行する
同・「絵の宿題」の章は、今月7日の記事にアップした。
 これで4章に渉る詩集「絵の宿題」を読み了えた事になる。
概要
 「カメラ・アイ」の章は、9編の散文詩を含む12編より成る。
 「カメラ・アイ」と題されながら、カメラ・アイを感じる作品はなかった。モノクロ写真と、カラー・デジタル写真の、感覚の差だろうか。
感想
 散文詩「花火」は、幼時の花火(両国の川開き)の、年に1度の楽しい思い出を描いて哀切である。しかも「思い出はすでに取片付けられているのだ」と、過去に執着せず、未来を視る決意を見せる。彼は個人的な事を描いた作品で、意外と優れているようだ。社会と大衆を描く詩人、とされながら。
 散文詩「焼跡」では、敗戦後の再建を夢見ながら、焼跡の残る現実を描いて、庶民の日のあたらない生活を示す。
 自由詩「挽歌」では、「名前を盗まれた僕を哀れむのは/僕です。/貧しい男と女の骨を抱いて/どこにも行くまい。」と名文句で見得を切っている。全体を読んでほしい1編である。
 自由詩「兵隊」では、国の再保守化をうたう(彼はレッドパージに遭っている)のだろうか。「この生きかえった兵隊は/やはり兵隊だった//しばらくおとなしかったが/やがて命令をとり戻した。…」と、日本の再軍備化を批判するようだ。
 しかし絵本風な語りなどで、リアリズムとアヴァンギャルドの統一、と称してほしくない。
 事情はあっただろうが、もっと編数を少なくして、大衆に読みやすい詩集にするべきではなかったか。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)より詩集「絵の宿題」より、「絵の宿題」の章を読み了える。
 今月4日の記事、同・詩集より
「実験」の章に次ぐ。
概要
 原著は、1953年、建民社・刊。
 1920年生まれながら、戦時中、「軍事工業新聞社」に勤めていたせいか、従軍を免れた。
 戦後、「全国工業新聞社」に勤め、組合運動に携わり日本共産党に入党(後に脱党)するがレッドパージで離職。後は文化活動に従事したようだ。
感想
 「絵の宿題」の章は、表題の章ながら、5編を収めるのみである。
 「背中の目」は、戦後再建の時代の、新聞報道や緑の羽根の欺瞞、野球放送・観戦、競輪等の賭博、等の娯楽に由って、生活と向き合う心を逸らさせる、風潮を描いた。
 詩集の表題作でもある「絵の宿題」は、語り風な文体と4行/2行の繰り返しに由って、絵本風な作風を取り入れている。末尾近く「ところが/ゼイキンはボク達が払っていた。//ここに描いてください。ゼイキンを払っているボク達を。…世界(ニホン)は僕たちのもの。/ボク達がボク達のものになるとき」は、納税者の誤りと、スローガン的な面がある。
 「燃えている家」は、「燃えている家」を初めに置いた3行を繰り返すレトリックはありながら、ドグマ的である。
 「靴の歌」では、電車、汽車、自動車、飛行機に反し、靴を賛美している。今から見ると、アナクロニスティックでもある。
 リアリズムとアヴァンギャルドの統一という目標は、達成されていない。
 彼はサークル詩運動を唱導したが、戦後庶民が感情表白の場を得た喜びが想像される。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





 思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)の詩集「絵の宿題」より、2番目の章「実験」を読み了える。この詩集は4章に分かれているが、数字は冠していない。
 初めの章
「沙漠の木」は、先の11月23日の記事にアップした。
概要
 関根弘、「絵の宿題」については、わずかだがリンク記事で書いたので、参照されたい。
 この「関根弘詩集」には、第4詩集「約束したひと」まで(と膨大な「未刊詩篇」)が収められているに過ぎず、三省堂「現代詩大事典」(2008年・刊)に拠ると、あと5詩集がある。
感想
 「実験」の章には、10編の詩を収める。中でも「なんでも一番」が(初期の?)代表作のように、詩の手引き書に引かれる。僕も三一書房の高校生新書「現代の詩 新しい詩への招待」(小海永二・著、1965年・刊)で、高校生の時に読んだ。「…アメリカはなんでも一番/霧もロンドンより深い…紐育では/霧を/シャベルで/運んでいる!」と結ばれる。シャベルとはショベルカーの事だと思うが、あり得ない事である(詩では許される)。しかしここには、産業への憎悪はなく、非理的な機智による、トボケたユーモアがあるのみだ。まだ「荒地」の詩が、社会と自己に批判的だった。
 「犬」では、「…それから犬が僕をくわえて走っていた。…僕は声をだした。犬の鳴声だった。…そこには僕の仲間がいる。おそかれ早かれ犬になることをしらないで。…」と述べられる。仕事は厳しく、生活は貧しく、人間的に生きられない人々を描く。彼は仕事・著作でその域を脱したとしても、代弁者として思いを紡いでいる。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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