風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケ(ハンドル名)が、この10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

詩誌
 今月1日の記事「贈られた2冊と届いた1冊」で、到着を報せた3冊の内、2番目の同人詩誌「角(つの)」第44号を紹介する。
追悼特集
 前記の記事で書いたように、今号は、先の6月10日に亡くなった、同人・岡崎純さんの追悼特集である。
 詩集「寂光」にて日本詩人クラブ賞、他、日本現代詩人会・先達詩人顕彰、1985年より「福井県詩人懇話会」初代会長を25年に渉って務めるなど、詩と活動は、敬愛をもって遇された。
 「詩抄」として5編、日本現代詩人会会長と、同誌の発行人K・久璋さんの弔辞を載せる。同人をおもに、15名16編の追悼文を載せる。岡崎純さんの「全詩集」の発行の近い事が救いである。
詩編・他
 それに続いて、8名8編の詩を発表する。
 N・としこさんの「今日一日(ひとひ)の」は、芝生の草ぬきの唄である。多くの闘いと苦難を越えて、詩境は明るい。最終第5連より、1部を紹介する。

よみましょか
うたいましょうか
それとも
ちょっとおどりましょうか
草たちの 青っぽい誘いにのって

 同誌の発行人で、弔辞も述べた、K・久璋さんが、研究2編のみで、詩を寄せていない。岡崎さんの逝去の衝撃か、続けて詩集を刊行した疲れか、僕にはわからない。


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 先の9月29日の記事「贈られた2冊」で紹介した内、文学総誌「縄文」創刊号を読み了える。
概要
 2017年5月31日・刊。発行者「縄文の会」(代表)前川幸雄(号・華原)。B5判、2段組み、22ペ-ジ。
 寄稿者は、福井県内をおもに、全国より参加している。
感想
 <地域研究>「作曲家今川節と勝山とのつながりに迫る」M・惠子。
 しっかりした紹介である。しかし末尾近く「(文章は、平井英治氏の今川節作品鑑賞の手引きよりの抜粋引用です)」とあり、そうならば文頭でそう断るのが、読者への親切だろう。末尾に「実践報告の原稿にまとめたいと思っています。」とあるので、期待したい。
 <漢詩>「越前打刃物初打」Y・絹江。
 七言絶句である。訓み下し文、通釈文を付す。作者は、代表の漢詩講座受講生(福井カルチャーセンター)で、代表の目も通っているだろうから、韻、平仄は大丈夫だろう。刃物打ちの、モノクロ写真を添える。ビジュアル化の時代である。

 <詩>「奄美大島からの「タンカン」」前川幸雄。徹底したリアリズムの日常詩は、社会への抵抗詩となるだろう。
 <短歌>「老いを生きる」10首・I・コヨリ、「義母の思いで」8首・M・大次。「老いを生きる」にはぎこちなさがあり、「義母の思いで」には気負いがある。短歌の安楽と苦労を、知って行くだろう。
 <一般研究>「九州のカッパ」Y・信保(福岡)。文献渉猟も実地探査も多い、労作である。「カッパの手」と伝わるものなど、モノクロ写真を付す。
 <一般研究>「橘曙覧の短歌への白居易の作品の影響」前川幸雄。
 白居易の娘(幼くして亡くなった)を詠んだ詩・5編の原文、訓み下し文、通釈文を挙げる。橘曙覧の娘を亡くした時の2首(前詞付き)を挙げて、3つの類似性は、偶然の一致か、白居易の影響かは、見解の分かれるところとし、「皆様のご感想、ご意見をお伺いしたいと思います」と述べている。
 研究の基礎文献が整った事は、重要である。
 「縄文」誌の発展を願っている。


 

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 福井県内にお住まいの詩人、N・としこさんが、短い手紙を添えて、同人詩誌「角(つの)」第42号、43号を贈って下さった。
 
同・43号は既に読んでおり、今年5月3日の記事に感想をアップした。
 同・42号が未読だったので、ここで紹介する。
 同誌の同人であり、福井詩壇の善き長老であった岡崎純氏が先日に亡くなられ、惜しい事であった。
 10名10編の詩、3編の散文を収めている。2017年1月・刊。
 巻頭のK・久璋さんの「隠語論」は、老いての性の関心を描くようだ。彼特有の露悪も見える。
 N・としこさんの「クローバー」は、クローバーの花輪を作った幼時、3歳の自分にクローバーを摘んでくれて出征し亡くなった父、の記憶が蘇ったしばらくを描く。
 末2連を引用する。
幾才月の
甘ずっぱい記憶が
いちどに よみがえって
しばらくは わたしの宇宙は静止したまま

とおくで
お昼のぼーが鳴る
 H・信和さんの「亀の事情」は、「亀の言葉を/僕は知らないのだった」と締められるが、この落着きはある意味、特殊である。
 今号に載らなかった、S・章人さん、H・秋穂さんも、次の第43号には作品を寄せている。期待される詩誌である。

 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、最後の紹介をする。
 先行する
「砂漠の薔薇」(1)は、今月6日の記事にアップした。
概要
 「砂漠の薔薇」は、手書きで「1923年 春山行夫第七詩集」と記された、手書きと推測される未刊詩集である。
 1行~4行の短詩が中心とされる。
感想
 前回の(1)に続き、464ページの「屋根時計」より巻末493ページの「死」までを読み了える。
 短詩が中心とされるが、後半には10数行の作品や、散文詩が現われる。
 「墓碑銘」という5行の詩は、機智が効いている。死に関わる短詩ばかりが、なぜ感銘を与えるのだろう。以下に引く。
  墓碑銘
生れたのは家のなか
恋したのは苑(には)のなか
死んでからは土のなか
なんと人生は
にぶい下り坂!
 この本で4行の散文詩「象牙の塔」の後半は、次のようである。
…この世界は私のこころにたつた一つ
象牙の塔の鍵をくれました
だがそいつはすつかり錆びてゐた!
 庶民の真実に触れ得なかった、ハイブラウ詩人の嘆きのようである。

 巻末に近づくに連れて、物語風散文詩となって来る。
まとめ
 詩業的には、詩集「鳥類学」(1940年・刊)を頂点とし(その後に正式の詩集は刊行されていなかった)、西洋のモダニズムを移入した。
 また編集者として、モダニズム文化の大きな潮流を作った。
 しかし1942年の「日本文学報国会」の結成等に至る、戦時下の体制にあえなく敗れて行った。
 「春山行夫詩集」のこのあとには、懇切な「解題」と、詳細な年譜が付されている。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「ピノキオ」のイラスト1枚。


 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、最後の詩集「砂漠の薔薇」の1回目の紹介をする。
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「水の黄昏」(2)は、先の8月27日の記事にアップした。
概要
 著者の手書きの詩集である。標題の上に「短詩集」と名付けられ、初期作品の中でも、3行詩、4行詩を中心とする。「紙製の美学」の付題を付す。
 この本で414ページ~497ページの、84ページと長いので、2回に分けて紹介する。
 全体を幾つかの章に分け、その中に短詩を収めている。
 今回は、414ページ「童話の春」の章の「砂漠の薔薇」より、464ページ「都のプロメナード」の章の「牢獄」までを読み了える。
感想
 短詩は、ほぼ機智(ウィット)あるいは真情吐露を、楽しむものだが、多くの詩に感興が湧かない。視点の集中が足りないようだ。
 「カナリヤの雨」は「ちひさけれどもうれひこそ/かなしきものかカナリヤの/ちひさいたまごに雨がふる」の3行で、古型に拠り古い感情を詠っている。
 「一つの林檎」は、「けふも林檎一つ/つめたいこころに買ひに行く」の2行の詩である。忙しい心と、冷たい心が出会っても、感興は湧かないものだ。
 ルナールの「博物誌」に想を得た、「動物舎」にはいくらか興の湧く作品がある。「羊」の2行、「どっさり紙を食べよ/いつそ羊皮の表紙になれ」は、残酷な機智がある。
 次回の「砂漠の薔薇」(2)で以って、「春山行夫詩集」の紹介の、終いとしたい。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。


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