風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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短歌

 近藤芳美の歌集「岐路」を読み了える。
 近藤芳美(こんどう・よしみ、男性、1913年・韓国生まれ~2006年)は、歌人・建築家として活躍した。戦後、「アララギ」を離れ、「未来」を創刊、戦後短歌をリードした1人である。
 僕は生前・刊の「近藤芳美集」全10巻の内、歌集編を読み(散文編は居間に床積みしてある)、没後・刊の「岐路以後」も読んでいた。残る生前・最後の歌集「岐路」は、古本にプレミアが付いて買えなかった。それがAmazonマーケットプレイスで比較的廉価で出ているのを知り、5月29日に購入した。



 「岐路以後」を読んだ記録は、前ブログ「サスケの本棚」の2016年3月25日の記事にある。

 リンクより、旧歌集の感想へ遡れる。

岐路―近藤芳美歌集
近藤 芳美
砂子屋書房
2004-09-07


 「岐路」には、2000年~2003年、80歳代後半の作品を収める。
 当時、近藤夫妻は介護付きマンションに移ったが、近藤芳美は2度の入院をし、夫人も病んだ。
 アフガニスタン、イラクの戦争を視つつ、絶望せず希望を保とうとする。やや感傷に流れる作品もある。
 戦時中より恋人だった夫人(歌人)を詠んで、あくまでも優しい。彼の短歌の読みにくさは、新かな・古典文法、主語述語の完結していない場合がある点にも、理由があるだろう。
 これで僕は、彼の全ての歌集を読み了えた。

 以下に7首を引く。
生きて負う未熟は老いの今さえを互みにひとつ生の忽ち
生けるがに王女を埋めて眠らしめ礫土に消えし王朝のこと
静けさにめぐる八月妻を誘う千鳥ヶ淵墓苑相励ませば
世の隅にすでに老ゆとしてかく過ぐる感情を怒りと絶望とせず
始まれる戦争にして静けさにバグダッドの未明の窓の閃光
よろこびの笑みはあるまま童女のもの共に過ぐる日ことば少なく
プラタナスの落葉うながすこがらしに吹かれむとする車椅子ごと


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イラストACより、「スポーツ用具」の1枚。


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 所属する結社歌誌「覇王樹」の、2011年8月号をほぼ読み了える。
 到着は、先の7月30日の記事、届いた2冊を紹介する(24)にアップした。

 同・7月号の感想へ、リンクを貼ってある。

 結社のホームページ「短歌の会 覇王樹」は、既に8月号の仕様である。


 また僕の「逆転の」6首は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、7月30日の記事より、、2回に分載した。横書きながら、ご覧ください。


 通常の短歌作品、散文の他、今月号には「覇王樹賞」(新作20首)の発表がある。受賞は、財前順士「時空に花笑む」と、高間照子「ひとりごと」、2編だった。次席、候補作、選評を含め、8ページに渉る。また年間の1首「花薔薇賞」は、小笠原朝子さんの1首が受賞した。慶事なので、姓名を挙げた。
 T・次郎さんの「イチョウ葉」7首が、「短歌研究」5月号より転載された。また佐田公子代表の「残んの椿」10首が、「うた新聞」4月号より転載された。
 受贈歌誌抄3誌、受贈歌集紹介が2ページ6冊と、常ながら手厚い。

 以下に強く共感した2首を挙げる。
それぞれの内なる闇を広げつつ競い伸びゆく薮の若竹(K・恵美)
鯛焼は子等四人の楽しみに笑顔みたさに買い求めし日々(O・雅子)

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 イラストACより、「自然」の1枚。





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 短歌結社「コスモス」内の若手歌人による季刊同人歌誌、「COCOON」Issue20をほぼ読み了える。
 到着は、今月7日の記事、届いた3冊を紹介する(14)にアップした。

 リンクより、旧号の感想へ遡れる。

COCOON Issue20
 感想として、皆が大人しくなったなあ、という印象がある。オリンピック以後という、嵐の前の静けさなのか。同人が大人になったのか。1965年以降生まれの仲間を同人としており、代表のO・達知さんは57歳になる。
 異端の(これは褒め言葉である)S・ちひろさんは、「約十年続いた過食嘔吐だがこの半年はぱたりと止まる」と、心理的にも身体的にも、安定したようだ。
 この大人しさが、短歌による自己救済であれば良いのだが。

 特集「この頃気になる歌/ずっと気になっていた歌」では、29名が2首ずつを上げ、気になる理由を短く(1人1ページ)述べている。若い歌人が関心を向ける短歌がわかる。その他、散文を含め、バラエティある構成である。
 121ページ、上質紙という、僕の所属する「覇王樹」よりも、ページ数多く、贅沢な造りである。月刊結社誌以外に、発表の場を持つのは好いことだ。人間関係に疲れるので、僕はある誘いに乗らず、ブログ「新サスケと短歌と詩」で(読者は少ないが)短歌の公開を続けている。

 「COCOON」では、若い歌人の入会もあり、隆盛なようである。古希過ぎのおじさんは、発展を見守ってゆきたい。





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 僕の所属する結社「覇王樹」の顧問、渡辺茂子さんより、第3歌集「アネモネの風」を贈られていた。到着は、先の6月5日の記事にアップした。

 リンクより、第2歌集「湖と青花」の感想へ遡れる。

渡辺茂子「アネモネの風」
 第3歌集「アネモネの風」は、2021年5月31日、不識書院・刊。427首、著者・あとがきを収める。新輯覇王樹叢書第231篇。
 初読の時には、良さがよく分からなかったが、最近読んでみると、付箋を貼った歌だけで無慮24枚。感慨の深い歌ばかりだった。
 「歌は自照の文学、即ち、人生如何に生きるかの追求である」との師の言葉を胸に、歌作に励む日々、とあとがきにある。「老照の歌」「残照日記」の句の所以だろう。
 「詩歌の覚悟」とまた「自負も悔悟も」とも詠む。しかし夫と確執のあった息子は和解し、孫にクッキーを焼くを楽しみとする。猫を飼い、毛糸編み、ビーズ編み、裁縫等に没頭する1面も持つ。
 旅に出る事もあり、旅行詠をよくする。
 僕は「歌は自照の文学」と思わず、「短歌は自己救済の文学である」との言い伝えを信じ、生活詠を続けて来たのみである。

 以下に、上に上げた以外の歌から、7首を引く。
自画像も月日と共に変はり来て見えざる己の闇にをののく
海渡る蝶のいのちに立ちつくす伊良子岬の白き渚に
立葵ひたに伸びゆき廃帝を守りし裔の額
(ぬか)清かりき
四万十の沈下橋ひとり渡りゆく風となり水のことば聴きつつ
駅までを抜きてゆきたる幾人か皆美しき背
(せな)そよがする
ふるさとの夕焼空が恋しきと心弱りを姉よ語るな
夫に焼く一匹の鮎ぬめぬめと係恋はすでに遠くなりたり






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 先の6月28日の記事で到着を報せた、結社歌誌「覇王樹」2021年7月号を、ほぼ読み了える。

 リンクには、6月号の感想と、僕の7月号の「葉が見えくれば」6首・他への、リンクが貼ってある。
 また結社のホームページ「短歌の会 覇王樹」も7月号仕様となった。


「覇王樹」7月号
 7月号では、前代表の「佐田毅追悼特集」が組まれる。編集後記の佐田公子・現代表は、100周年の年が明けてから、追悼号を出す予定だったと、明かしている。アルバムとして見開き2ページ11葉、略歴3ページ、社外追悼文1名、社内追悼文4名、当時の紙誌よりの転載5名、歌抄を含めて7ページとなっている。僕の入会時には、佐田毅・代表は病臥中で、巻頭言以外には謦咳に接することはなかった。僕は少ない追悼歌を詠んだのみである。
 これで「覇王樹」代表を継いだ夫人、佐田公子さんも、肩の荷が降りたというか、胸の痞えが降りた心境と察する。「覇王樹」代表・編集発行人の重責を負いつつも。

 「短歌往来」4月号よりY・美加代さんの「過去形ならず」8首、日本歌人クラブ「風」209号よりY・悦子さんの「雪の帽子」5首が転載された。「受贈歌誌抄」3冊(5首ずつ)、「受贈歌集紹介」6冊2ページ、他、内外に手厚い。一般の歌、散文に触れる余力がない。




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 本阿弥書店の月刊総合歌誌「歌壇」2021年7月号を、ほぼ読み了える。
 到着は、今月17日の記事、届いた2冊を紹介する(23)にアップした。

 リンクより、旧号の感想へ遡れる。

 特集は「太陽の歌」、特別企画は「星に願いをー歌にのせて」である。陽と星、呑気なテーマである。「太陽の歌」では、明治期の太陽暦導入、古典和歌、茂吉・白秋の歌など、無難に論じている。
 今は1見、穏やかな世相に見える。コロナのワクチン接種も始まった。しかし穏やかに見える時こそ、危機である。バブル期などで、十分、体験したではないか。編集部の案出したテーマなら、その見識を疑う。政界とのブローカー、ロビーストが、圧力を掛けたのかと妄想する。あるいは大歌人がゴネたのだろうか。
 付箋を貼ったのは、花山多佳子「二〇二一年五月」20首中の2首である。「薔薇園に薔薇の花咲く何ごとの不思議なければ飽いて出でゆく」。本歌取りだろう。薔薇の不思議に打たれなくて、何が歌人だろう。改良の営為、HTローズからオールド・ローズ、イングリッシュ・ローズへの流行の変化、美だけでなく歴史でさえ、尽きない関心が湧くものだ。もう1首は「助からないのではないか、と漠然と思ひたり何のことといふでもなくて」。日常を詠む連作の中で、具体的ではなく、芥川龍之介の「ぼんやりとした不安」に近い心情が湧くかと信頼を感じる。
 アフターコロナで、短歌も変わるだろうか。旧かな古典文法の短歌が、衰える予想をしている。

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写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。




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 所属する結社歌誌「覇王樹」2021年6月号を、ほぼ読み了える。
 到着は先の5月29日の記事にアップした。

 リンクには、同・5月号の感想、僕の掲載歌6首、結社のホームページ「短歌の会 覇王樹」、3つへリンクを貼ってある。

「覇王樹」6月号
 コロナ禍に慣れたか、リモートワークに慣れ、家族の団欒が増えたり、マスク着用の顔に親しみを感じたりする。この平穏は、嵐の前の静けさではないだろうか。東京オリンピック期間のあと日本がどうなるか、世界の趨勢がポピュリズムよりどう変わるか、見通せない。
 散文のH・俊明さんの「覇王樹人の歌碑(54)」、W・茂子さんのエッセイ「落とし文考(77)」、S・素子さんの評論「後水尾院時代の和歌(79)」も順調である。
 受贈歌誌抄3冊を紹介、受贈歌集紹介・6冊2ページ、先々月号の歌の批評・4つ4ページと、内外に手厚い。
 注目する同人の一人に、Y・美加代さんがいる。今月号に「宛先はペガサスにしようカサブランカの匂うカード あなたへの」他を載せる。ずいぶん奔放だが、覇王樹の掲げる、平明・自由に、合うのだろう。
 もう1首、付箋を貼ったのは、M・久子さんの「私の有休」10首より、次の1首。「先輩に三十年目に出会いたり話せば彼女あの頃のまま」。社会や自然さえ変わる世に、人情は永く変わらない、と思う。




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