風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

俳句

 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、8番目の句集、小杉余子「余子句抄」を読み了える。
 今月7日の記事、
西東三鬼「変身」に次ぐ。
概要
 小杉余子(こすぎ・よし、1888年~1961年)は、1935年、松根東洋城・主宰の「渋柿」を離れ、「あら野」に拠る。戦後、復刊するが長続きせず、俳壇と没交渉となった。
 原著は、1962年、ヒゲタ・なぎさ句会・刊。ヒゲタ・なぎさ句会は、ヒゲタ醤油の社員の句会で、彼が指導していた。
 尾崎迷堂・序、1025句、川越蒼生・跋を収める。
 先行する「余子句集」、「余子句選」がある。
感想
 1025句は多い。先行する萩原麦草「麦嵐」の千に余るらしい句集、西東三鬼「変身」の1073句と、俳壇の風潮であったか、読む者の身になってもらいたい。
 内面には強靭な精神の緊張を持しつつ、その表現においては平明を守ろうとした、とされる。
 「ホトトギス」より戦後の社会性俳句、根源俳句への流れから、逸れた句境にあった。
 没後の「余子句抄」を含め、3句集をもって、生涯の句業を俯瞰できる事は、いたく優れた事である。

引用
 以下に5句を引用する。季節立てより1句ずつ。
門松の片寄り立つやビルの前
早春やまだ立つ波の斧に似て
返り梅雨して灯台の霧笛かな
月光をわたしはじめぬ波の皺
小十戸を海辺に並めて冬野かな
0-88
写真ACの「童話キャラクター」より、「一寸法師」のイラスト1枚。





 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第12巻(1982年・刊)より、7番めの句集、西東三鬼「変身」を読み了える。
 先行する
阿波野青畝・句集「紅葉の賀」は、先の8月25日の記事にアップした。
概要
 西東三鬼(さいとう・さんき、1900年~1962年)は、1940年の治安維持法に拠る「京大俳句事件」で検挙された。
 戦後の1948年、山口誓子・代表の俳誌「天狼」の発刊に尽力する。
 原著は、1962年、角川書店・刊。1951年より10年間の、1,073句を収める。山口誓子・序、あとがきを付す。
感想
 創刊の「天狼」で、山口誓子の述べた「酷烈なる俳句精神」、「根源」(のちに根源俳句と呼ばれた)に拠る、烈しい句が並ぶ。時に酷薄となるようだ。字余りの破調、内容の盛り過ぎによる難解さ(例えば「遁走の蟬の行手に落ちゆく日」など)がある。

 当時の状況、文学運動の流れ、などもあったのだろうが、今となっては高く評価し得ない。
 1,073句を吟じ選句する身もたいへんだが、落語ではないが、読む者の身もたいへんである。
引用
 以下に5句を引く。
薄氷の裏を舐めては金魚沈む
秋風の屋根に生き身の猫一匹
眼そらさず枯かまきりと猫と人
膝にあてへし折る枯枝女学生
木の実添え犬の埋葬木に化(な)れと
0-20
写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」の1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)第12巻(1982年・刊)より、6番目の句集、阿波野青畝「紅葉の賀」を読み了える。
 先行する、
津田清子「礼拝」は、今月18日の記事にアップした。
概要
 阿波野青畝(あわの・せいほ、1899年~1992年)は、戦前「ホトトギス」の4Sと(水原秋桜子、高野素十、山口誓子と共に)呼ばれた。秋桜子、誓子が「ホトトギス」を離れたあとも、「ホトトギス」で活躍した。
 1929年、「かつらぎ」を創刊。1947年、カトリックを受洗。
 原著は、1962年、かつらぎ発行所・刊。自序、485句、収載句の季題別索引を収める。
感想
 1951年(52歳)~1955年(56歳)までの作品を収める、第4句集である。第3句集「春の鳶」(1952年・刊)の、敗戦直後の虚脱・窮乏・混乱の時代を脱したとされる。毎年に四季の句の他、大きな旅吟をまとめて置く。
 大作家であり、居直りもあるだろうが、穏やかなスケールの大きい句が多い。戦後の方向か、新味のある句も混じる。
引用
 以下に5句を引用する。
つつがなく浮巣に卵ならびをり
籐椅子に低くとびゆく雲を見よ
皆既食よみがへりゆく月暑し
苗売の結飯(むすび)とり出し食ひにけり
遠花火この家を出でし姉妹
0-53
写真ACの「童話キャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。



 

 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、5番目の句集、津田清子「礼拝」を読み了える。
 今月9日の記事、右城暮石「声と声」に継ぐ。
概要
 津田清子(つだ・きよこ、1920年~2015年)は、橋本多佳子に師事・「七曜」同人、多佳子の師・山口誓子の「天狼」に投句、のち同人。
 1971年、「沙羅」創刊・主宰、のち「圭」と改称。
 第1句集「礼拝」は、1959年、近藤書店・刊。山口誓子・序、450句、橋本多佳子・跋、後記を収める。
感想
 津田清子は、戦後に俳句を始めており、ここでは1948年~1958年の句を、年ごとに分けて順に収めている。戦前の句界から切り離された、清新な世界がある。
 しかし句集名からもわかるように、彼女はクリスチャンであり、僕は信仰に熱心な人をあまり信用しない。経験上、無信仰で苦しんでいる人に善い人が多い。僕は短歌を読み・詠む事で救われている。
 また山口誓子の「酷烈なる精神」、根源俳句の厳しさから来るのだろうが、破調(字余り、等)が多い。
 僕は俳句の素人だから、定型の、生活の中の調和・美を吟じた句が好ましい。大衆俳句は、その方向に向かっているようだ。最近の時事状況では、わからないけれども。
引用
 以下に5句を引用する。
うろこ雲うろこ粗しや眠り足る
曼珠沙華目的地まで暮るるなかれ
聖玻璃の五彩西日に強めらる
船出待つ他郷の雲の峯に向き
独奏や雷雨を厚き壁に絶ち
0-44
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。





 

 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、4番めの句集、右城暮石「声と声」を読み了える。
 今月3日の記事、
萩原麦草「麦嵐」に継ぐ。
 原著は、1959年、近藤書店・刊。山口誓子・序、496句、後記を収める。
 右城暮石(うしろ・ぼせき、1899年~1995年)は、仕事面では1954年、関西電力配電局長で定年を迎えており、順調だったようだ。
 俳句は松瀬青々・主宰「倦鳥」より始まり、戦後に沢木欣一・編集発行の「風」を経て、1949年に山口誓子・主宰の「天狼」に加わった。1956年、「運河」主宰となる。
 「声と声」の序文で山口誓子は暮石を、「倦鳥」を台木とし「天狼」を接いだ、接木作家だと述べている。沢木欣一は「作品解説」で、「俳句という窓を通して、対象の不条理を問い続けているのである。」と述べる。
 1925年~1959年の作品を、10の年次に分けて収め、人事を吟じて優れていると思われる。
 以下に5句を引く。
水かけて道の夜寒に紅葉売る
一筋の縄にて冬の子等遊ぶ
妻が呼ぶ声夕焼の中につよし
浮かぬ顔しつゝ氷室に働けり
甘藷を掘り運ぶラジオを鳴らしづめ
0-39
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。




 

↑このページのトップヘ