風の庫

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俳句

 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、5番目の句集、鈴木六林男「桜島」を読み了える。
 先の8月23日の記事、松村蒼石・句集「雁」を読む、に次ぐ。

 原著は、1975年、アド・ライフ社:刊。13年間の602句、長文の著者・後記を収める。
 鈴木六林男(すずき・むりお、1919年~2004年)は、戦前の新興俳句運動に関わった。戦場より負傷帰還、戦後の前衛俳句運動に関わったようだ。

 「桜島」の初めでは、字余りの句が多いが、師・西東三鬼の没後は少なくなる。社会的に実践する中で、吟じて来たようで、難解な句がある。例えば「父を逃れ母を逃れて墓標と撮られ」。
 あとがきに「ノートにある作品はすべて収録した」とある。それにしては句数が少なく、寡作と言える。


 以下に5句を引く。
病めば自愛の冬日さえぎり機関車過ぐ
戦争が戻つてきたのか夜の雪
なが雨の車窓から振り消えない手
三鬼なし夜寒の山が汽笛出す
稲輓く馬何の化身として憩う
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、4番目の句集・松村蒼石「雁」を読み了える。
 今月5日の記事、角川源義・句集「西行の日」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、永田書房・刊。1971年~1975年の331句を、年別に、章題を付して収める。著者・あとがきを付す。第5句集。
 松村蒼石(まつむら・そうせき、1887年~1982年)は、幼くして丁稚奉公に出、飯田蛇笏「雲母」に入って活躍した。
 戦前に家族の死に次々と遭いながら、不幸に負けない精神を持ったとされる。
 1970年代初めの社会状況には、ほとんど影響されていない。中島みゆきの「時代」の歌さえ、僕は「早くも再起してしてしまうんだ」と、遠く聞いていたものだが。
引用

 4句を引き、寸感を付す。
童が目守る大き頭りの寝釈迦さま
 上句の「こがまもる」は読めたけれども、「つむり」に気づくには時間が掛かった。
白鳥引き朝あけの湖疲れけり
 比喩の句である。擬人法とは言えないだろう。
寒や白けて雨忘じゐる野川
 句跨りが2つある。ここに違和感を表わす他になかったのだろう。
もう鳴かぬ虫白壁は日を溜めて
 中句に句割れがある。こういった所にしか、良心を表わせなかった苦衷を偲ぶ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、3番めの句集、角川源義「西行の日」を読み了える。
 先の7月26日の記事、松崎鉄之介「鉄線」に次ぐ。
 同・大系に所収の句集として、2016年11月17日の記事、第11巻の第1句集「ロダンの首」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、牧羊社・刊。594句、長めの「あとがき」を付す。
 没後の第5句集で、遺句集と見られがちだが、その後の数10句が遺り、優れているとされる(大系・解説より)。
 娘・真理の17歳での自死や、自身の結核病の入院を経て、句は巧みになったと評される。ただし結核病は抗生物質の薬により治りやすくなり、3ヶ月余で退院した。
感想

 言うまでもなく、戦後に角川源義(かどかわ・げんよし、1917年~1975年)は角川書店を興し、1代で大企業に育てた、英雄である。しかし英雄らしく、社内で、家庭で厳しかったらしい。また漁色家でもあった(Wikipediaより)。約しく暮らしている僕には、マイナス点に思える。
 修羅の生涯で、句作は心の休まる場だったかも知れない。
引用
 入院中の作品ばかりより、5句を引く。
瑠璃やなぎ咲く家出でていつ帰る
日々に見る朝焼ゆやけ波郷の地
露草にかくれ煙草のうまきかな
将棋弟子句弟子をふやし秋ざくら
病者痩せ野良猫ふとり冬日享く

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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。





 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、2番めの句集、松崎鉄之介「鉄線」を読み了える。
 今月17日の記事、石原八束「黒凍みの道」に次ぐ。
概要
 1954年・刊の「歩行者」に次ぐ第2句集。
 1975年、「濱」発行所・刊。1954年~1974年の648句、あとがきを収める。
 松崎鉄之介(まつざき・てつのすけ、1918年~2014年)は、1947年に復員、大野林火「濱」同人、1982年に林火・死去により主宰・継承。同年、俳人協会会長となる。
感想
 朴訥とされるが、「鉄線」では創作の新と真が少ない。わずかに旅の句に新と、帰郷した友への吟に真実味がある。松崎鉄之介の句には帰郷して暮らす者への信頼がある。
 1970年、役所勤めを辞し、自営業となってより、句風も自由となったようだ。
 句集を重ね、数度の中国訪問等によって、力を発揮したようだが、僕には後を追う余裕がない。
引用

 以下に5句を引く。
島枯れて寸土あまさぬ製錬所
登呂暮色へだたりし人すぐ霧らふ
薔薇咲かせ遊学の外故郷出ず(幼なじみの友へ)
夕青嶺澄むを故郷として友は(青於君と別る)
銀座にも底抜けの空盆休
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の最終巻・第15巻(1981年・刊)に入り、感慨がある。
 初めの句集、石原八束「黒凍みの道」を読み了える。第14巻の最終句集、先の6月14日の記事にアップした、宇佐美魚目「秋集冬蔵」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、牧羊社・刊。380句、あとがき「巻末に」を収める。
 石原八束(いしはら・やつか、1919年~1998年)は、初期に俳誌「雲母」に拠り、1961年・俳誌「秋」を共同創刊。
 1960年より5年間、三好達治を囲む「文章会」を毎月開催。1962年「定本 三好達治全詩集」(筑摩書房・刊)編集で、三好達治の戦争詩をすべて省いたように、三好達治の戦中を隠したかったようで、戦中よりの後輩、福井の詩人・則武三雄に彼はずいぶん冷たく当たったと聞く。
感想

 「内観造型」を唱え、後に詩的宇宙を構成する方向をたどる(三省堂「現代俳句大事典」2005年・刊の「石原八束」の項に拠る)とされる。
 「黒凍みの道」を僕が読んでも、詩的表現が多いと感じる。詩を書けば良いとは言わないが、俳句的発展とは、別の道のようである。国際俳句に貢献した事も頷ける。
引用
 以下に5句を引く。
口裏を合せかねゐる年忘れ
白芥子の吹かれたつとき海となる
いつまでも咲いてさびしゑ寒ざくら
雪ふれよふれ塋(おくつき)の花の母
好き嫌ひ顔に出てゐる秋団扇



 ネットプリント俳紙「セレネッラ 第19号・夏の章」を紹介する。
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 昨年12月22日の記事、同・第17号以来のプリントである。

 メンバー3人の内の1人、金子敦さんの、6月15日・発の以下のツイートを、偶然見つけた。



 6月17日(第3月曜日)の用の途中に、ローソンへ寄って、多機能コピー機より引き出して来た。カラー、A4判、60円。ネットプリントの手順がややこしくて、途中2回戻ったけれども、無事にプリントできた。

 金子敦、中山奈々、中島葱男の3名が、それぞれ6句を出句し、写真俳句として1枚の写真より、エッセイに1句を付して出稿している。写真俳句も趣きがある。

 3名の6句ずつより、1句を引く。
海月 金子敦
 緑陰に憩ふ白衣の実習生
海 中山奈々
 ポテサラに塊のなき昼寝かな
夏空 中島葱男
 英国数早弁体育若葉風


 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、最終22番めの句集、宇佐美魚目「秋収冬蔵」を読み了える。
 今月1日の記事で、福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第57集」を読み了えたからである。
 同・第14巻からでは、4月4日の記事、赤尾兜子「歳華集」以来である。
 同・第14巻には、「歳華集」と「秋収冬蔵」の間に、伊丹三樹彦・句集「仏恋(ほとけごい)」(1975年・刊)があるが、戦時下の句であり、宗教に傾き過ぎているので、今は飛ばした。
 次は「増補 現代俳句大系」の最終、第15巻に入る。
概要
 「秋集冬蔵」の原著は、1975年、永田書房・刊。1960年~1974年の360句、著者・あとがきを収める。「崖」(1959年、近藤書店・刊)に次ぐ、第2句集である。
 宇佐美魚目(うさみ・ぎょもく、1926年~2018年)は、「ホトトギス」より出発し、現代俳句とも関わりを持ったようである。
感想

 なぜ16年も間をおいて、第2句集を出版したのだろう。60年安保以降の世の風潮が合わず、再び保守化した1975年となって、出版したのか。
 あるいは伝統派と現代派の間で、作句が揺れたのか。
 松尾芭蕉や高浜虚子を吟じた句は、黄門様の印籠みたいなもので、反発の仕様もない。
引用
 以下に5句を引く。
籾殻を根雪に三戸馬を飼ふ
睡後の目あかし雪ふる柿の中
ひるの灯に読みさしの書や括り菊
箱橇の曲つて消えし一位籬(木曾)
春暖の赤子のこぶし雨意の松
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。





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