風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケ(ハンドル名)が、この10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

俳句

 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、12番目の句集、飯田蛇笏「椿花集」を読み了える。
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香西照雄「対話」は、先の10月20日の記事にアップした。
概要
 原著は、1966年、角川書店・刊。
 蛇笏の没後、飯田龍太の編集に成る。最晩年の462句、龍太の「あとがき」を付す。
 飯田蛇笏(いいだ・だこつ、1885年~1962年)は、初め高浜虚子・門、のちに俳誌「雲母」(うんも)主宰。
 家は豪農地主で、山梨県の田園にあって俳句活動を続けた。
感想
 俳句に、心の琴線に触れるものが少ない。老いか、農地解放のせいか、後継者・飯田龍太の選が良くなかったのか。
 短歌の場合、老耄の歌も1境地と評価されるようだが、句界ではどうだろう。亡くなる近くまで、吟じた作を家族が清書したと書くが。
 本・大系の出版社・角川書店、また俳人でもあった角川源義とも関わって、疑わしい所が残る。
引用

 以下に5句を引く。
大仰に夜汽車のけむり月の冷え
いちじるく冬翳を身に花売女
蟬しぐれもろ手を揚げて措きどなし
野にあれば聖地の花を炉辺に挿す
ただひとり落葉を踏みて楤つみに
0-46
写真ACの「童話キャラクター」の「桃太郎」より、雉子のイラスト1枚。


 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、11番目の句集、香西照雄「対話」を読み了える。
 今月15日の記事、
稲垣きくの「榧の実」に次ぐ。
概要
 原著は、1964年、星書房・刊。中村草田男の長文の序、646句(1282句より、本書のため自選)、年譜、あとがきを収める。
 1938年~1963年の句を、第1部(1938年~1945年)、第2部(1946年~1955年)、第3部(1956年~1963年)の3部に分ける。
 香西照雄(こうざい・てるお、1917年~1987年)は、東大「成層圏」時代より中村草田男に師事し、1946年の「万緑」創刊に参加。
 中村草田男を補佐し、(没後の選者として)後継した。また「竹下しづの女句文集」の編集・発行等も業績とされる。

感想
 中村草田男の「人間探求派」であり、桑原武夫「第二芸術論」の時代を経て、現代俳句の道を行った。
 ただ二物衝突どころか三物衝突(例えば「祭り笛獅子頭めきバスが来る」)と思われる句がある。1句に多くを詰めこみ過ぎて、難解、字余りの句もある。
 現代の総合的な句風に至る過程だったのか。
引用
 以下に5句を引用する。
あせるまじ冬木を切れば芯の紅
母の咳妻の歯ぎしり寒夜の底
鬼百合や妻が少女となりし家
紫雲英道幾筋断ちて基地始まる(伊丹基地にて)
遠のけば白鳥まぶし稼ぐ妻よ
0-41
写真ACの「童話キャラクター」より、「桃太郎」のイラスト1枚。





 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、10番目の句集、稲垣きくの「榧の実」を読み了える。
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村越化石「独眼」は、今月5日の記事にアップした。
概要
 原著は、1963年、琅玕洞・刊。久保田万太郎の序句1句、253句、安住敦の跋文、著者あとがきを収める。
 稲垣きくの(いながき・きくの、1906年~1987年)は、若い頃に女優、戦後は茶道師範。
 1937年、大場白水郎「春蘭」に入る。1946年、久保田万太郎・主宰の「春燈」が創刊され、参加。
感想
 久保田万太郎の言う「余業」ほどの本業を持たず、専門俳人でもなかった。俳壇の社会性俳句・根源俳句の波からも逸れ、60年安保の波からも逸れ、僕には物足りない句集だった。
 1966年、牧羊社・刊の「冬濤」(第6回 俳人協会賞 受賞)が、優れていたかも知れない。
 この「大系」元版は第12巻(1959年~1968年)が最終巻で、増補版は第13巻(1964年~1971年)と、やや混乱している。第13巻以降を読んでみないと、わからないけれども。
引用

 以下に5句を引用する。
秋風や汽笛に耳を立つる山羊
秋の風天丼たべて別れけり
野火消ゆる如くに想ひ熄(や)む日あり
さばかれてゐるとも知らず柳の芽
秋風や石とてもかく踏みへらし(八丈島)
0-95
写真ACの「童話キャラクター」より、「浦島太郎」のイラスト1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、9番目の句集、村越化石「独眼」を読み了える。
 先の9月24日の記事、
小杉余子「余子句抄」に次ぐ。
概要
 原著は、1962年、琅玕洞・刊。大野林火・序、499句、山本よ志郎・跋、著者あとがき、を収める。
 村越化石(むらこし・かせき、1922年~2014年)は、1941年に栗生楽泉園に入園し、癩病の治療を受けた。
 大野林火に師事し、「浜」に参加。1950年より年1度、林火の来園指導を受ける。1958年、角川俳句賞・受賞。
 癩病は、戦後の日本に入った特効薬プロミンによって治る病となり、社会復帰する者があった。村越化石のように、後遺症、事情によって園に残る者もあった。
感想
 癩病者の文学として、戦前の北条民雄「命の初夜」の凄惨さはなく、それは新薬プロミンによって命をまっとうできる時代だからだろう。村越化石は、91歳、老衰により園で亡くなった。
 外の社会の俳人の句と比べると、物足りない句もある。
 彼は長生きして、このあと8句集を刊行し、角川俳句賞・以後も多くの賞を得ている。Amazonで調べると、全句集はなく、各句集も品切れか超プレミアムが付いた句集が多く、まとめて読み得ない。彼の発展を想って、残念である。

引用
 以下に5句を引用する。
顔にまざと柿食ふ癩児負けるなよ
降る雪に白湯すする父の忌も過ぎつ
湯豆腐に命儲けの涙かも(新薬プロミンの恩恵に浴し数年を経たれば)
腰に熱き湯婆あてて無財なり
雉子提げて雨に黒ずみ猟夫来る
0-91
写真ACの「童話キャラクター」より、「浦島太郎」のイラスト1枚。



 

 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、8番目の句集、小杉余子「余子句抄」を読み了える。
 今月7日の記事、
西東三鬼「変身」に次ぐ。
概要
 小杉余子(こすぎ・よし、1888年~1961年)は、1935年、松根東洋城・主宰の「渋柿」を離れ、「あら野」に拠る。戦後、復刊するが長続きせず、俳壇と没交渉となった。
 原著は、1962年、ヒゲタ・なぎさ句会・刊。ヒゲタ・なぎさ句会は、ヒゲタ醤油の社員の句会で、彼が指導していた。
 尾崎迷堂・序、1025句、川越蒼生・跋を収める。
 先行する「余子句集」、「余子句選」がある。
感想
 1025句は多い。先行する萩原麦草「麦嵐」の千に余るらしい句集、西東三鬼「変身」の1073句と、俳壇の風潮であったか、読む者の身になってもらいたい。
 内面には強靭な精神の緊張を持しつつ、その表現においては平明を守ろうとした、とされる。
 「ホトトギス」より戦後の社会性俳句、根源俳句への流れから、逸れた句境にあった。
 没後の「余子句抄」を含め、3句集をもって、生涯の句業を俯瞰できる事は、いたく優れた事である。

引用
 以下に5句を引用する。季節立てより1句ずつ。
門松の片寄り立つやビルの前
早春やまだ立つ波の斧に似て
返り梅雨して灯台の霧笛かな
月光をわたしはじめぬ波の皺
小十戸を海辺に並めて冬野かな
0-88
写真ACの「童話キャラクター」より、「一寸法師」のイラスト1枚。





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