風の庫

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俳句

 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」より、6回めの紹介をする。
 同(5)は、今月5日の記事にアップした。

 リンクより、旧記事へ遡れる。

 今回は鯖丹地区(鯖江市、越前町、池田町)の、129ページ~145ページ、17ページの34名、340句を読んだことになる。3市町からの出吟とされるが、越前町から1名の出吟、池田町からはなく、残りはすべて鯖江市からの参加である。
 鯖江市は、眼鏡枠、打ち刃物などの産業が盛んであり、市の財政に余裕があった。平成の大合併の時、隣の福井市からの誘いを断り、合併しなかった。
 活気があるのか、若い俳人が多いのか、新しい俳句が多い。老人の孫・曾孫にしてやれることは、お年玉を渡すことくらい、と嘆くがの句もある。

 以下に5句を引く。
ややの手に幸多かれとお年玉(S・麗子)
青葡萄アダムとイヴの知らぬ味(H・やす香)
就中代筆とある年賀状(K・和典)
梅雨晴れや気まぐれにパン焼いてみる(M・日登美)
秋風や席はソーシャルデスタンス(N・なるみ)

04 (2)
 イラストACより、「自然」の1枚。





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 福井県俳句作家協会・刊の「年刊句集 福井県 第59集」より、5回めの紹介をする。
 同(4)は、先の7月26日の記事にアップした。



 今回は奥越地区(勝山市・大野市)の、111ページ~127ページの17ページ、33名の330句を読んだことになる。
 奥越地区は清水に恵まれ、酒造業が盛んである。旦那衆が俳句に興じることもあっただろう(これは僕のイメージである)。今は庶民に広がり、大衆詩の一つとして、幾つもの俳句会が隆盛である。
 他と変わらず高齢化が進み、独居老人の嘆きもある。高齢者の励みの場として、句座が必要だろう。また継承のために、若い人、壮年の人の参加を、集める努力がなされているだろう。

 以下に5句を引く。
語らねば言葉やせゆく春霞(K・恵美子)
どんど火へ投げたい胸のわだかまり(M・定子)
年新た老いの手習い筆を持つ(M・美穂子)
鉢植えのみかん花つけ小虫呼ぶ(I・章子)
ひたすらに生きて今日あり寒椿(K・絹代)

02 (9)
 イラストACより、鉢植えの1枚。



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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」より、4回めの紹介をする。表紙に「令和二年版」の文字があるが、令和2年に吟じられた句より自選したアンソロジーという意味で、令和3年(2021年)3月20日・刊行である。
 同(3)は、先の6月29日の記事にアップした。



 今回は、坂井地区(坂井市、あわら市)の、101ページ~109ページ、9ページ18名180句を読んだ。坂井市は福井市に続いて発展しているようであり、あわら市は芦原温泉旅館街を中心として最近の観光変化に追い付いていないようである。周辺部には田園地帯が広がる。福井地区(福井市、吉田郡)と比べて、ずいぶん差があるようだ。女性の出吟も少ない。坂井地区出身の文学者は多く、文学の土壌はあると思うのだけれども。
 「国破れて山河在り」と言うけれども、自然でさえ変化して山河の変わる世に、人情はあまり変わらない、と思う。家族の足音を聞き分ける心は、太古から変わらない、というような。
 雪国、昔からの風習、人生訓、逆説的な孫誉め、などそれで良いと思われる。表現の新と真を目指しているならば。来年の第60集記念号の刊行を期待する。
 以下に5句を引く。
目かくしをつけられそつと雛納め(O・幸江)
雪起こしついにくるかと身構へる(K・敏子)
決断は急ぐべからず穴惑い(S・潤子)
恵方向き黙々食す子の真顔(M・甚四郎)
秋の日や孫から無理を諭される(N・進)





02 (2)
写真ACより、鉢植えのイラスト1枚。
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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」より、3回めの紹介をする。
 同(2)は、先の5月21日の記事にアップした。


 今回は、福井地区(福井市、吉田郡)の後半、59ページ~99ページ、41ページ分の82名820句を読んだ事になる。
 福井県は田舎であり、県都どうの言っても、田舎都市である。コロナ禍でなおひっそりとした過疎の村を温かく吟じ、洗車のピアス娘に希望を託す。信仰なきに祈りてマスクを縫い、父を戦争で失い顔を知らぬと数百字に優る嘆きを吟じ戦後は終わらない。賑やかだった家族が、独居となる侘しさも句材である。福井は宗教熱心な風土であり、政治的保守性にも繋がるかと思われ、そういう句も多い。

 以下に5句を引く。
巣ごもりの村静まりて麦の秋(I・倫子)
祈り込めマスク縫う日々花は葉に(T・恭子)
顔知らぬ父を追慕す終戦忌(U・恭子)
梅雨明ける新車を洗うピアスの娘(W・絹代)
九人家族ついに独りや神無月(T・和子)

1 (2)
写真ACより、「雨の日」のイラスト1枚。



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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」(2020年の句のアンソロジー)より、2回めの紹介をする。
 先行する1回めは、今月4日の記事にアップした。


 今回は福井地区(福井市、吉田郡)の初め(33ページ)~半ば(58ページ)の26ページ、52名520句を読んだ事になる。
 一般会員であり、役員等の句より、清新である。句会、俳誌での競争、被指導等によって、新と真を追求するのだろう。新といっても世事的題材の新のみでなく、新しい心情、新しい用語法(レトリック?)を、流行りを追うのではなく、見出さねばならない。
 境地の上達は、文学に携わる者の念願であるから、福井の俳句も上昇して行くであろう。旦那芸、女将芸に安楽する場ではない。

 以下に5句を引く。
秋草の野にあるこころ活けんとす(N・瀧三)
新年やひと息入れて生きていく(N・知子)
うららかにほやろほやつて昼さがり(K・洋治)
 
(ほやろ・ほやっては、そうだろう・そうだって、の意の福井方言)
木の実落つ沈んで浮いて流れゆく(T・利彦)
月光に心の縺れさらけ出す(D・清二)
4 (5)
 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。




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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」より、1回めの紹介をする。
 到着は、先の4月15日の記事、届いた2冊を紹介する(21)にアップした。


年刊句集、福井県
 今回は作品集の、役員順42名420句、顧問・名誉会員・参与の15名150句、計570句を読んだ事になる。
 協会の先達として、秀句揃いとは行かない。作句の最前線、競争や戦闘を離れるからだろうか。湧いた句を、素直に発表する訳にも行かないのだろう。
 修練のドキリとする句がある。

 以下に5句を引く。
サッシ戸は開かぬ仕組み後の月(S・洸石)
着流して八月大名父と母(N・すみ子)
フラメンコ月のデッキを踏み鳴らし(M・浩)
ドリップの一滴長し利休の忌(W・和子)
姉川の枯野に風の鳴るばかり(O・和子)




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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、10回めの紹介をする。
 同(9)は、今月16日の記事にアップした。


 今回で「七番日記」の紹介は了いである。表紙写真を再度、アップする。
一茶「七番日記」(下)
 今回は、文化15年7月~12月の半年分、425ページ~465ページ、41ページ分を読んだ。
 前回に書き忘れたが、長男・千太郎亡きあと、文化15年5月、長女・さとが生まれた。その児を可愛がる句が散見される。
 北信濃の寒さや大雪を嫌がる句、馬などへの愛着を吟じた句がある。惣計896句とあり、文化15年の句数だろう。
 このあと一茶は、さとを幼くて亡くし、2人の男児を得るが共に夭逝だった。妻・菊を文政6年5月に亡くした。武家の娘・雪と再婚するが、合わず離婚。3度めの妻・やをを迎える。
 一茶は文政10年、65歳で死去。その時に、妻・やをは身籠っており、生まれた次女・やたは健やかに育ち、血脈は危うく保たれた。
 句風を継ぐ俳人はなかったが、明治時代の自然主義文学の隆盛により、一茶の評価は高まって、芭蕉、蕪村と並び称されるに至った。

 「七番日記」(上)439ページ、(下)本文465ページ(あとは解説と初句索引)と、計904ページの大冊を読み了えられたのは、読者の方の様々な応援のお陰と、感謝している。

 以下に5句を引く。
ながらへば絞
(しぼり)(あさがほ)何のかのと
五六度やばか念入
(いれ)て初嵐
若い衆
(しゆ)に頼んで寝たる榾火(ほだび)
鬼打
(うち)の豆に辷(すべつ)て立(たつ)子哉
蓬莱を引
(ひつ)とらまへて立子哉



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