風の庫

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俳句

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 沖積舎「車谷長吉句集」改訂増補版を読みおえる。
 
三月書房よりの取り寄せは、今月22日の記事にアップした。
 なおその時、彼の小説集「鹽壺の匙」を捜したが見付からなかったと書いたけれども、1月24日の内にその新潮文庫を見付けた。
 句集は、2005年・刊。約300句。自筆署名あり。
 車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ、1945年~2015年)の俳句を、筑紫磐井は解説で、遊俳(やや余技めいた、浮世離れした句作)とし、業俳(専門俳人の句作)と異なるとする。車谷長吉の小説の素材から成っている、とするが彼の業は小説かと述べており、僕の読後感にも、因業な句は少なかった。
 以下に5句を引く。
大葬のしゞまを破れ寒鴉
名月や石を蹴り蹴りあの世まで
秋の蠅忘れたきこと思ひ出す
大根を洗ふ手赤し母は後家
風さかる二百十日の隅の蜘蛛



 

 角川書店「増補 現代俳句大系」第11巻(1982年・刊)より、6番めの句集、相馬遷子「山国」を読みおえる。
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柴田白葉女「遠い橋」は、先の1月17日の記事にアップした。
 原著は、1956年、近藤書店・刊。水原秋桜子・序、413句、石田波郷・跋、後記を収める。
 第1句集「草枕」より112句を採って「草枕抄」とし、その後の戦後の句を「山国」と章立てする。
 何回も述べるが、戦前の句と戦後の句を、並べて載せる心境がわからない。彼らの心情は、敗戦に激変しなかったのか。
 東大医学部の俳句会「卯月会」で水原秋桜子の指導を受け、軍医見習士官として出征し、戦後は故郷・長野県に開業医となった。
 秋桜子(本・大系の監修者の1人)の俳誌「馬酔木」(石田波郷も1948年に復帰)の、「高原俳句」グループとして、相馬遷子(そうま・せんし、1908年~1976年)は活躍した。優れた師兄、仲間を持つと、活動が大きくなるようだ。
 すべて「山国」の章より、5句を引く。
山峡に字一つづゝ秋晴るゝ
風邪の身を夜の往診に引きおこす
霧荒れてたゞ囀りを春となす
牛去りし泉に赤し九輪草
夕凍みに青ざめならぶ雪の嶺
白鳥2
「Pixabay」より、白鳥の1枚。





 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)より、第11巻(1982年・刊)の5番めの句集、柴田白葉女「遠い橋」を読みおえる。
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目迫秩父「雪無限」は、今月5日の記事にアップした。
 原著は、1956年、近藤書店・刊。
 飯田蛇笏・序、410句、西島麦南・跋、「あとがき」を収める。
 第2句集であり、第1句集「冬椿」(1932年~1947年の作品)より、100句を採っている。なぜ戦前の句を採るのか、わからない。
 柴田白葉女(しばた・はくようじょ、1906年~1984年)は、父・白嶺の期待を受け、共に飯田蛇笏「雲母」で活動した。1954年、「女性俳句」創刊に参加、1962年「俳句女園」創刊・主宰。
 父から娘に文学が継がれることは、幸田文、萩原葉子、井上荒野(共に小説家)などの、例がある事だ。
 妻、母の思いを、自然に表した句がある。
 すべて「冬椿以後」より、5句を引く。
冬ばらのしたたる紅に心飢う
風の中ゆくセルの手に新刊書
春の日のさしてすぐ消ゆ鏡うら
よそながら歓楽の灯にふれて秋
打水や妻子待つ灯へみないそぐ
焚き火3
「写真AC」より、焚き火の1枚。




角川書店「増補 現代俳句大系」第11巻(1982年・刊)より、4番めの句集、目迫秩父「雪無限」を読みおえる。
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内藤吐天「鳴海抄」は、昨年12月7日の記事にアップした。
 原著は、1956年、琅玕洞・刊。
 大野林火の序文、432句(1946年~1956年の作品)、松崎鉄之助介の跋文、後記を収める。
 目迫秩父(めさく・ちちぶ、1917年~1963年、享年46.)は、敗戦直後に会社のスト犠牲者として退職、再就職するも結核を発病、再発を経て、若くして亡くなった。
 初期、赤子俳句で活躍した。「雪無限」は、1958年、現代俳句協会賞を受賞した。
 病気、貧窮と闘いながら作句を続けた。
 以下に5句を引く。
乳のむをやめて春日を眩しむや
せがまれしさかだち吾子と裸なり
雪降ればすぐさま濡れて童女なり
雪まみれなるおが屑も月下かな
若松や果つべきもなき喀血苦
焚き火4
フリー素材サイト「Pixabay」より、焚き火の1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)より、第11巻(1982年・刊)の3番めの句集、内藤吐天「鳴海抄」を紹介する。
 先行する角川源義「ロダンの首」は、先の11月17日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
  「鳴海抄(なるみしょう)」の原著は、1956年、近藤書店・刊。
 第4句集、1946年~1955年の632句に後記を付した。
 内藤吐天(ないとう・とてん、1900年~1976年)は、六高時代に詩の研究会を作ったりしたせいか、伝統俳句の大須賀乙字の門下にあったが、この「鳴海抄」の1951年、1952年頃から詩風味を加え、「やや自信のもてる作品が得られるようになった」と後記で述べる。
 敗戦を区切りとして句集を出版し、句集中に句風の変化があった事は、戦後文学の影響や、「第二芸術論」への反発があったのだろう。
 しかし俳句に素人の僕が俳句に求めるのは、江戸時代の最上の成分である俳味(伝統)と、現代風潮(現代性)の格闘であり、詩想へ逃れられては、興味が薄れる。
 以下に、おもに前期より5句を引く。
楽しき世来るか夏蜜柑子と頒ち
立ち去るや泉の音の背にさやか
風花の一ッ時はげし目をつぶる
蛙田に真昼の雨がつきささる
虹を見し森の子供等眠られず
ミカン6
フリー素材サイト「Pixabay」より、蜜柑の1枚。





 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第11巻(1982年・刊)より、2番めの句集、角川源義「ロダンの首」を紹介する。
 10月30日の
記事(←リンクしてあり)、沢木欣一「塩田」に継ぐ。
 角川源義(かどかわ・げんよし、1917年~1975年、享年58.)は、俳句に傾倒すると共に、角川書店・創立者である。
 句集の他の業績に、俳誌「俳句」、歌誌「短歌」の発行、各賞の設定、俳人協会の設立・俳句文学館の建設、他に貢献した。
 原著は、1956年、近藤書店・刊。480句に、石田波郷の跋文、著者のあとがきを付す。
 出版人らしく、章の立て方は複雑で、「ひとりの部屋」(1955年~1956年)、「末黒野」(1952年~1954年)、「わかれ路」(1945年~1951年)、「ななかまど」(1933年~1939年)の、4章立てとなっている。
 初期の句を後部に置き、1945年(敗戦)を区切りにした点は、評価できる。
 以下に5句を引く。
麦秋の駅を下りゆく土佐の貌
岩雲雀懺悔の坂を落ち行けり
まひまひや父なき我に何を描く
草ぼけの高原(たかはら)深くひつぎ行く(堀辰雄氏死す)
銀座びと生き愉しめり春の雷
ザクロ2
フリー素材サイト「Pixabay」より、柘榴の1枚。


 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)を読み進んで、第11巻(1982年・刊)の初めの句集、沢木欣一「塩田」を読みおえる。
 9月17日の
記事(←リンクしてあり)、同・第10巻の田川飛旅子「花文字」に継ぐ。
 原著は、1956年、風発行所・刊。1939年~1955年の675句を収める。
 沢木欣一(さわき・きんいち、1919年~2001年)は、戦後いちはやく俳誌「風」を創刊し、社会性俳句を提唱したとされる。
 「塩田」には、社会闘争の句といってはない。
 それよりも、戦前の句をなぜ、従軍体験もありながら、戦後の句と続けて並べるのだろう。彼には「敗戦革命」という経験はなかったのだろうか。
 60年安保以後、句風が移って行ったと解説される(三省堂「現代俳句大辞典」)から、今後の読書を楽しみとしたい。
 以下に5句を引く。
鳩の尾の扇なすとき別れかな
米借りて梅雨の晴れ間を東京へ
妻を恋う六月渚雲雀得て
行商の荷に油紙能登の雪
夜明けの戸茜飛びつく塩の山(「能登塩田」より)
apple9 - コピー
フリー素材サイト「Pixabay」より、りんごの1枚。

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