風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

俳句

 福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第57集」より、2回目の紹介をする。
 同・(1)は、今月10日の記事にアップした。
 2019年3月20日・刊。2018年中の句より成る。
概要
 年刊句集の中心の「作品集」は、会長以下の役員順、名誉会員・参与、会員順、となっている。
 会員順は、福井地区、坂井地区、奥越地区、鯖丹地区、南越地区、敦賀地区、若狭東地区、若狭西地区の、大きく8地区に分かれている。各地区内の市・郡・町については、各地区の紹介内で述べたい。

感想
 今回は、会員順の初め「福井地区」(福井市、吉田郡)の前半である。会員数が多いので、約半分を読んだ。
 35ページ~65ページの31ページ、620句を読んだ事になる。
 短い詩型だから、手練の腕が要るようになる。「焼鯖の手際を褒めて半夏生」(F・照子)、「田植機とたつた二人の田植謡」(N・明徳)等の、土俗性も、題材として感慨深い。
 一方で、新しい語彙(ボキャブラリィ)を取り入れる方法も、俳句を新しくする手法である。時代は移るから、俳人年齢が上がっているようでも、時代に付いて行く必要はある。
 以下に引用の5句は、新しい語を取り入れた作品のみ、引いてみた。
引用

 以下に5句を引く。
山吹の花にママ友ベビーカー(T・京子)
母子してパソコン論議盆の月(S・和雄)
啓蟄や踵に測る骨密度(H・一枝)
自撮棒かざしてポーズ風光る(K・敏子)
参道に積もる落葉はミルフィーユ(I・貴夫)
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




年刊句集「福井県 第57集」
 「年刊句集 福井県 第57集」に読み入る。
 本の受領は、先の3月31日の記事にアップした。
 リンクより、昨年・刊「同 第56集」、1昨年・刊「同 55集」の感想記事へ遡り得る。
概要
 福井県俳句作家協会・発行、2019年3月20日・刊。
 1ページ2段組み、1段1名10句を、新年・四季順に掲載する。
 会長のY・世詩明氏の序文「先師に続け」のあと、作品集、俳句の各種大会の入賞句、各支部の報告等、索引、編集後記へ続く。
 作品集は、2018年(平成30年)に吟じられた句をもって成る。
感想

 今回は初めの1ページ~32ページ、役員、名誉会員・参与の61名、610句を読んだ事になる。
 大家の作品であって、初心者の乱れはない。
 おもに宗教信仰に近く、土俗性も残されている。
 農林漁業に働く老いを吟じた句があって、目を惹かれる。
 技法的に、比喩は少なく、短い詩型ながら対句を取り入れた作品が、散見される。
引用
 以下に5句を引く。
地に木遣天に見得切る梯子乗り(I・道夫)
小鳥来る庭に水琴窟ありて(F・フジ子)
春浅し焦げつき癖のフライパン(I・千恵子)
湧き水に浮かぶ西瓜の自転して(S・健吉)
鮎を焼く簗場小町と呼ばれゐて(I・野武男)



 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、20番目の句集、赤尾兜子「歳華集」を読み了える。
 先の3月28日の記事、中村苑子・句集「水妖詞館」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、角川書店・刊。第3句集。
 司馬遼太郎の序文「焦げたにおい」、500句、大岡信の跋文「赤尾兜子の世界」、著者・後記を収める。塚本邦雄の1文「神茶吟遊」を別刷添付。
 赤尾兜子(あかお・とうし、1925年~1981年)は、戦後に京大入学後、「太陽系」の同人となる。1970年、俳誌「渦」を創刊・主宰した。
 句集「蛇」、「虚像」で、前衛俳句の旗手と見なされる。「歳華集」は、伝統回帰の作風と言われる。
感想

 句集として、司馬遼太郎、大岡信、塚本邦雄の護衛に守られた母艦のようである。
 伝統回帰と言っても、有季、古典文法、新かなながら、575音の定型に収まる句は少ない。
 例えば「霧の屋上庭園 しきりに卵割れあふれ」、「つぶやく小動物のあいさつ消えて水匂う」など、初句が大幅な字余りで、中句7音、結句5音と取ると、読みやすい句が多い。他のどこかで切ろうとすると、無理が生じる。
 「妖しき祭怺う水栓も雪のなか」は、怺えるのが自分なのか、水栓なのか判然しないように、難解な句も多い。定型の「プール秋綿菓子色の水で陥つ」など、いっそう難解である。
引用

 以下に5句を引く。
さびしき鳥と釣りあう雨の野韮群
縫合の国軽外套もほころびて
兎さげし猟夫と暁(あけ)をゆきちがう
花壺におさななじみの雲は散る
木犀の夜雨まじりに匂う方
(かた)
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



句集 柿の葉8ページめ、スキャン
 今日2回目の記事更新です。
 3月18日(月曜日)に宮本印刷へ依頼した、義母(妻の母)の句集「柿の葉」が、10日後の28日(木曜日)に、約束通り成った。事前に電話をして、確認のあと伺った。
 上の写真の初め(左側)が表紙、後(右側)が8ページめである。
 句集といっても、B6判の冊子判で、全24ページ(表紙、奥付け、裏表紙を含めて)、56句を収める。
 義母が老人ホームへ入ってより、「NHK俳句」などで学びながら、回想をおもに吟じた句の、ほぼすべてである。


 僕はかつてより、句稿を預かり、ワードでベタ打ちして、義母と句稿の遣り取りが何度かあったが、本にするに至らなかった。
 それが20日ほど前、義母が脳梗塞で倒れ、S病院の集中治療室へ入った。左半身不随、嚥下障害のため鼻よりのチューブで栄養を送っているという。
 僕は思い立って、見開きB5判、1ページ3首組の句集稿(下端を揃えていない)を、表紙(カラーのカットを入れればよかった)と奥付けと共にワードで作成し、宮本印刷へ持ち込み、20部(両家の分)を作成して貰った。表紙より、プライバシー保護のため、姓を消してある。

 句は、新かな、季語はない作も交じり、初心の作と思われる。自己嚥下能力の回復は難しいと医師に言われ、命の細る義母に捧げる。娘婿の僕は、まだ見舞いに行っていない。近日中に、この句集を持って、見舞いに行く予定である。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、19番目の句集、中村苑子「水妖詞館」を読み了える。
 今月21日の記事、細見綾子・句集「技藝天」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、俳句評論社・刊。高屋窓秋・序、139句、著者・あとがきを収める。第1句集。
 中村苑子(なかむら・そのこ、1913年~2001年)は、結核病により大学国文科・中退、1932年に結婚した夫が、1944年に戦死した。その後、作句を始め、石田波郷の「鶴」、水原秋桜子の「馬酔木」、日野草城の「青玄」、久保田万太郎の「春燈」と移った。
 1957年、高柳重信(細見綾子・句集「技藝天」で、読まずに飛ばしたと書いた俳人)の招請によって「俳句評論」の創刊に参加、高柳重信・死去(1983年)後に終刊、以後・無所属。
感想

 「水妖詞館」は、無季ながら定型を守ろうとしている。旧かな、古典文法であり、「や」「かな」の切れ字も使う。
 どんなに写生や直叙から離れても、定型を守る1行詩である。語の組み立てが外れていない。僕の読書のストライクゾーン内である。女性の心情も読み取れるようだ。
 非定型、分かち書きの俳句に、僕はトラウマがあるようだ。高校文芸部員の時、短期留学のアメリカ人高校生が部室に来て、作った俳句を読んでくれと言った。半世紀以上、前の事である。3行詩だったと記憶する。その中の1語が難しく、英和辞典にもなくて、とうとうその句を読み解けなかったのだ。
引用
 以下に5句を引く。
跫音や水底は鐘鳴りひびき
撃たれても愛のかたちに翅ひらく
逢へばいま口中の棘疼き出す
若き蛇芦叢を往き誰か泣く
山に立つ誰彼の忌や黒き馬
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、18番目の句集、細見綾子「技藝天」を読み了える。
 今月8日の記事、小池文子・句集「巴里蕭条」に次ぐ。
 実は2冊の句集の間に、17番目の句集、高柳重信「青彌撒」があるが、読まなかった。数行の分かち書きがきであり、定型も守られていない。俳句が外国で盛んになり、翻訳、また外国語の俳句など、逆輸入された影響かも知れない。
概要
 細見綾子(ほそみ・あやこ、1907年~1997年)は、結婚後2年で夫を亡くす(結核で病没)など、22歳までに両親、夫を失い、病臥した。戦前の1942年、句集「桃は八重」がある。
 1947年、社会性俳句の旗手、沢木欣一(1960年以降、志向を変える)と結婚、俳誌「風」を助け、1子を得る。ただし社会性俳句へは傾かなかった。
 原著は、1974年、角川書店・刊。519句、著者・あとがきを収める。第5句集。
感想

 生活実感の籠った句風である。社会性俳句、前衛俳句に傾かなかった。
 旧師・青々には、「つらい冬の時代である現在を気長に耐えていればいつか春がやってくる」という教えがあり、彼女もそれを守り、後に旺盛に句集を刊行した。
 定型、季語、旧仮名、古典文法を守っての、達成である。
引用
 以下に5句を引く。
一人旅すすきの許(もと)の休み石
故郷の粟餅を焼き老いんとす
春雪のはげしさをもて死を惜しむ(深田久弥さん急逝)

雪嶺へわさび根分けの目を上ぐる
青梅に紅さすはつか東慶寺
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、16番目の句集、小池文子「巴里蕭条」を読み了える。
 先の1月30日の記事、横山白虹・句集「空港」に次ぐ。
概要
 原著は、1974年、角川書店・刊。パリ在住の16年間の450句を、年代別順に収め、長い後書を付す。
 小池文子(こいけ・ふみこ、1920年~2001年)は、東京都に生まれ、画家の夫を追って渡仏、現地の人と再婚、パリに没した。
 石田波郷「鶴」同人、波郷・没後、森澄雄「杉」同人。
感想

 数少ない帰国を含め、フランス在住、外国旅行の句を成している。在外で季語を守り、鋭くとらえ、具体的な句風である。
 モロッコ、カサブランカを訪いて39句、またリビヤにしばらく住み、帰国した際には療養所・病床の石田波郷を訪ね、多くの句を成した。
 後書で「言葉は挨拶のために生まれたのではないだろうか。」と述べて、師、連衆、自身の地への挨拶として、句を作り続けた。
引用
 以下に5句を引く。
春寒やセエヌのかもめ目ぞ荒き
薄雪やカルチエ・ラタンに切手買ふ
初時雨いのちの灯りそめし身に
黄葉の冷えゆき霧の遊びそむ
夏萩や美濃への水にこぼれつぐ
(木曽路)
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



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