風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。


俳句

 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、19番目の句集、古舘曹人「能登の蛙」を読み了える。
 今月11日の記事、
飴山実・句集「少長集」に次ぐ。
概要
 原著は、1971年、竹頭社・刊。山口青邨・序、448句、著者・後記を収める。
 古舘曹人(ふるたち・そうじん、1920年~2010年)は、東京大学法学部・卒(東大ホトトギス会で山口青邨に師事)、後に会社・副社長、俳人協会・理事を務める。
感想
 東大卒・副社長というだけで、ルサンチマンの僕など反感を持ってしまう。(規模は違うかも知れないが、僕はゲーテのように、栄誉の峯を渡った人に信頼感を置かない)。
 第3句集の「能登の蛙」には、1読して意の通じない句が多い。意を察せよ、という態度だろうか。
 僕はこれより、山頭火、放哉の句を好む。
 74歳で俳句を捨て、評論・小説に走ったのは、俳句に救いを見出せなかったのだろうか。
 90歳で老衰死している。疲れた魂に安らぎを、という思いは僕にもある。
引用
 以下に5句を引く。
悼むとき西日の色を分ち合ふ(家内の母逝去)
燈台の亀裂無人の菫濃し
蝸牛わが薄情の四十面(づら)
栗買つてより刑場へ道絞る
蓮の露しづかに今日をしまひたし
0-100
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




 

高浜虚子 六百句
読み了えるまで
 Amazonのkindleより、高浜虚子「六百句」(底本・1947年・刊)を先の7月20日にタブレットにダウンロードし、読み了える。kindle unlimited版ではなく、無料kindle版で、kindleを読めるアプリが入っていれば、どの端末でも読める。
 五百句、五百五十句もあったが、それらは読んでいて、六百句のみを読んでいないと思っていた。

確認すると
 しかし既読の2集の根拠を確かめようと蔵書を探すと、筑摩書房版・現代日本文学全集・66・高浜虚子集(1957年・刊)であるらしい。しかしその本の内容の題を読んで驚いた。五百句、五百五十句どころか、六百句、更に六百五十句まで入っている。「ホトトギス」の発行号数記念ごとの発行である。六百五十句まで読んだ記憶はないが、小説集を読み了えた記憶があり、俳句集も残した記憶はない。すでに1度、読んでいたのかも知れない。

 でも後悔の念はない。日本文学全集では3段組みだったのが、今回は1段組みで余裕があった。戦時中に、翼賛句を創らず、優れた俳業を成している(組織的、散文面は知らない)。


感想
 また僕の目に、それらの俳句が新鮮に映る。僕の目指す新しさが、それ位のものかと落胆するくらいである。短歌と違う面はあるかも知れない。危機の時代に沈潜して文学に執しようとすると、このような見方になるのだろうか。

引用と寸感
 ハイライトとメモの機能のある本だったので、マーカー線(紙本で言う)を引き、メモを残しており、以下に引用と寸感を書く。
在りし日の如くに集ひ余花の庵
 追悼の意と、現在の和み(遺徳であろう)が共に、吟じられている。
活潑にがたぴしといふ音すずし
 閑けさや、の句の現代版だろうか。
片づけて福寿草のみ置かれあり
 日本の余白の美感を、世相の家庭の中でも尊んだようである。
北嵯峨の祭の人出見に行かん
 花見客を少し蔑した、俳人の洒落であろう。
木々の霧柔かに延びちぢみかな(1945年11月)
 敗戦後の長閑さと、すでに戦後句の詩性という方向が現われている。



 

 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、18番目の句集、飴山実「少長集」を読む。
 今月1日の記事、
林翔・句集「和紙」に次ぐ。
概要
 原著は、1971年、自然社・刊。119句、著者・あとがきを収める。
 飴山実(あめやま・みのる(實とも書く)、1926年~2000年)は、1946年、沢木欣一・主宰の「風」創刊につれ投句、1951年・同人。5年近く不出稿後、26歳で逝いた芝不器男の研究より、再び投稿。1976年、「風」出稿を止めるも、句集を続刊した。「飴山實全句集」(花神社・刊)がある。
感想
 10年間の119句を、4季別に収録する。あまりに少ない。著者に思う所があったのだろう。
 社会性俳句、前衛俳句の盛んな中で、自覚的に伝統俳句の良さを取り込む句を目指したらしい。
 戦後俳句らしい詩性をまとっているが。
 今となっては、総合俳句らしい、明澄さと情がある。
引用
 以下に5句を引く。
寒凪やなかなか消えぬ汽車の尻
どの椿にも日のくれの風こもる
釘箱から夕がほの種出してくる
紫蘇畑ひそかにくらき森をなす
灰に埋め墨干すといふ露の町
0-99
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、17番目の句集、林翔「和紙」を読み了える。
 先の7月26日の記事、
野沢節子・句集「鳳蝶」に次ぐ。
概要
 原著は、1970年、竹頭社・刊。水原秋桜子・序、697句、著者・後記を収める。第1句集。
 林翔(はやし・しょう、1914年~2009年)は、1940年に水原秋桜子「馬酔木」に参加、1950年・同人。
 盟友の能村登四郎が1970年に創刊した「沖」に参加した。
感想
 この大系・13巻の月報に、林翔の1文「『和紙』の裏側」があり、同時期に出発した能村登四郎・第3句集「枯野の沖」にわずか遅れて、師・石田波郷の死に遭って急いで稿をまとめた実情、賞争い、など赤裸に語られている。
 句集には、1947年~1969年の、22年間の作品を、年次順に収める。
 有季定型の句に、戦後らしい詩性を現わす。
 慎ましい教師生活から生まれた句である。
引用
 以下に5句を引く。
草萌や並び坐るに足らぬほど
永き日ぞ勤めの母に待てる子に
羊肥ゆ尻辺腹辺の秋蝶に
夏痩も子自慢も似て貧教師
さくら咲き心足る日の遠まはり
0-98
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、16番目の句集、野沢節子「鳳蝶」を読み了える。
 今月17日の記事、
能村登四郎・句集「枯野の沖」に次ぐ。
概要
 原著は、1970年、牧羊社・刊。444句、著者・あとがきを収め、安東次男の月報を付す。
 野沢節子(のざわ・せつこ、1920年~1995年)は、敗戦前より俳句を発表し、1946年の大野林火「濱」創刊に参加、1971年「蘭」創刊・主宰した。
 第4句集「鳳蝶」により、読売文学賞・受賞。
 1932年、脊椎カリエスと診断され、1957年の完治まで、長い闘病生活を送った。
感想
 それまでの3句集、これからの句集を全く読んでいないので、既に「完成度が高まり、円熟した安定期に入っている」(同「大系」解説より)とされる句に、何の感想もない。師の大野林火がかつて「清純、清冽と讃えた」(三省堂「現代俳句大事典」、2005年・刊、「野沢節子」の項より)と読めば、そうかとも思う。
 牧羊社の「現代俳句15人集」の1巻。 1966年~1969年の句を収める。
引用
 以下に5句を引く。
ひとり身の九月草樹は雲に富み
師のまへの一語々々よ萩こぼれ
初音いま青空ひらく逢ひてのち
昼は人に言葉尽して夜の秋
言ふも悔言はざるも科(とが)寒の鵙
0-85
 写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、15番目の句集、能村登四郎「枯野の沖」を読み了える。
 今月13日の記事、
有働亨・句集「汐路」に次ぐ。
 また能村登四郎の第2句集
「合掌部落」は、同・大系・第11巻より昨年3月9日の記事にアップした。
概要
 原著は、1970年、牧羊社・刊。585句、著者・あとがきを収める。
 能村登四郎の略歴については、上記「合掌部落」の記事にアップしたので、ご参照ください。
感想
 「合掌部落」より、社会性俳句にも背を向け、次第に寡作となった。1961年、現代俳句協会より別れた伝統派(水原秋桜子の「馬酔木」同人だった)の「俳人協会」に属しながら、俳句の新しい可能性を模索追求しようとする立場(同・大系・解説に拠る)の相剋に苦しんで、13年ぶりの第3句集となった。
 俳人組織の分裂、「馬酔木」への忠節に苦しんだなら、まさに組織悪と呼ぶべきだろう。
 「枯野の沖」には、「死貝あまた捨てし夜にはか花ひらく」のような、助詞の省略にさえ苦しんだ吟がある。
 もっとも能村登四郎は、老年に差しかかるに連れ、発表作品を増やしたというから、悲観する事はない。
引用

 以下に5句を引用する。
種子蒔くや半農教師腰およぐ
血の音のしづまるを待つ単衣着て
枯るる色一瞬すさる母焼く火(同居の義母逝く)
廃船を焼く火が赤し梅雨晴間(勝浦)
四月炉に鮒を焙らむ火が育つ
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。


 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、14番目の句集、有働亨「汐路」を読み了える。
 今月5日の記事、
藤田湘子・句集「白面」に次ぐ。
概要
 「汐路(しをぢ)」は、有働亨(うどう・とおる、1920年~2010年)の第1句集。
 原著は、1970年、琅玕洞・刊。水原秋桜子・序、562句、沢田緑生・「汐路の航跡」を収める。
感想
 カナダ大使館、ロンドン大使館に在勤中の、海外吟が貴重である。カナダ、イギリスだけでなく、ヨーロッパ各地を巡っての句がある。
 海外吟でも、季節のある地であったためか、季語を守った。
 何回かの欠詠期を含め、「馬酔木」で活躍し、生涯5冊の句集を刊行し、後年は後輩の指導に当たった。
 俳句には厳しかったが、家族思いであるらしく、句集の題名に娘さんの名を採った「汐路」、「冬美」、それに「妻燦々」がある。
 レトリックに苦心した句があり、成功すると目覚ましい作となった。
引用
 以下に5句を引く。
病妻に街夏めくを告ぐるのみ
樹氷照りロッキーの冬揺ぎなし
ふるさとの川の浅さの水草生ふ
麦秋の野を容れたたむコンパクト
廃墟なりささやき降りて春の雨(ポムペイにて。1968年・69年の章)
0-93
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。


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