風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。

その他

 先の7月22日の記事、「雨樋掃除(その後)」の、結果を報告する。
 今日(7月24日)の午前、延ばしたホースをリールに巻き取った。
 その途中、古いエアコンの室外機上に、狸か白鼻心かのウンチがあり、水で洗い流してきれいにした。
 当地では、午後5時頃より6時半頃まで、強い雨が降った。
 雨樋掃除の結果の確認のため、その雨樋を眺めると、雨はこれまでと違って、溢れていなかった。
 排水パイプも通じたらしい。
 しかしまだ他の個所で、雨が溢れており、近い内に雨樋掃除をしなければならない。
 雨樋掃除の話は一旦、お休みにして、今日の深夜より、読書日記に戻るので、ご安心ください。

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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 昨日の記事「雨樋掃除」の(その後)を報告する。
 今日(土曜日)の昼食後、雨樋の排水パイプ通しをするため、リールのホースを引く。
 ホースは届いた。しかし排水パイプは継手を通って、地下へ入っていた。継手は外せない。
 これでは排水口より、ホースの水を逆流させながら押し込み、パイプを通す事はできない。
 入口より、ホースの水を注ぐ事を考え、ホースはそのままに引き上げた。
 しかし水の出るホースを引きながら、梯子を昇るのは危険である。それに雨水が流れ入るのと、効果は違わない。
 それで明日にか、ホースを戻し、作業を撤退する事にした。下見が不十分な、失敗である。
 他にも雨樋にゴミ(土?)の溜まっている個所があるので、その掃除をしたい。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 今日午後、一念発起して、雨樋の掃除をした。家の北西側である。
 家の反対側の軒下で雨晒しになっている木の梯子(外れるどころか、弛んでもいない)を持って来て、ぎりぎりの高さで屋根に掛ける。できるだけ斜度を緩くしたいからである。
 皐月の繁る中、梯子を移動し、樋の泥を除く。放って置いたので、草が生えている。
 排水パイプ部分まで来て、溜まった泥が取れにくい。
 明日にでも、地面近い排水口からホースを差し入れて(水を出したまま)、泥を溶かしながら、排水パイプを通してみよう。ホースリールはあるが、届くだろうか。
 その作業のため、今日はとても疲れ、今も腿の痛む状態で、読書日記は書けない。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



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 BRILLIANT CLASSICS版の廉価版「ヴィヴァルディ作品集」(全66CD)より、9回目、44枚目の紹介をする。写真は、紙ジャケットの表。
 前回、
同・8回目、37枚目の紹介は、6月12日の記事にアップした。
 この44枚目と次の45枚目で「完全版 チェロソナタ集」と称するらしい。
 しかしWikipediaに当たってみると、RV38~RV47の全10曲のチェロソナタの内、RV38を除く9曲を収録するのみである。作曲年代はほとんど不明である。なおRVは、ヴィヴァルディの作品の頭に付ける記号である。
 RV47変ロ長調は、重々しい曲であり、第4章でわずかに軽やかになる、
 RV43イ短調は、それほど悲しげではない。
 RV40ヘ長調は、叙情的である。CD収録順に拠る。
 クラシック音楽に詳しくない僕なので、読者は何かの方法で、ヴィヴァルディの曲を聴くことをお奨めする。





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 7月17日(第3月曜日、「海の日」祭日)の、午後2時より4時までの予定で、福井県立図書館・多目的ホールにて、現代詩作家・荒川洋治氏の講演が行われた。演題は「第8回鮎川信夫賞受賞記念講演 書く事は読むこと ―詩作50年の風景」。
 荒川洋治氏の関連として、6月19日の記事、「現代詩作家・荒川洋治氏・講演」に次ぐ。
 ここで写真について言っておく。ホール内は、撮影禁止だった。事前にもらっていたパンフの写真を挙げてみたが、不鮮明なので、プリンタ複合機を使って初めてのスキャンをしてみた。それも怪我の功名的にうまく行ったものを用いた。
 講演のホールは満員(予約制)で、約100名の聴衆だった。映写カメラを回しており、別室で視聴できるようだった。
 講演前に、福井県知事の西川氏より荒川氏に、受賞を祝う記念品が贈られた。皆の拍手の中で。西川氏は、講演の仕舞いまで、最前列の席で聴いていた。
 講演の初めに、副題の「詩作50年の風景」は宜しくなかった、詩人同士の対談などでは自分の詩作史を語りもするが、一般聴衆の前では語っていない、と述べた。自分の作品を、良くも悪くも言えないから、と。
 そこで荒川氏の読書の中で、名作と推す作品を、A3紙両面に挙げて配布し、語っていく形になった。
 大野晋「日本語の源流を求めて」(2007年、岩波新書)では、日本語の起源を、スリランカなどのタミル語にある、とする。「あはれ」「さび」などに当たる語が、発音も似て、同じ意味であるとする。数百語の対照表もあるらしい。
 丸山真男は復員してすぐ市民に向け、「なぜ戦争が起こったか」を語り始め、「超国家主義の論理と心理」(1946年・岩波文庫)を発行した。
 網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(1991年・ちくま学芸文庫)では、この歴史書が総50万部売れ、日本の中世・近世の見方を変えた。
 小説では、NHK文芸劇場で、横光利一「紋章」、梅崎春生「幻化」を観た事が大きい、と述べた。

 また尾崎紅葉は、「金色夜叉」で挫折したした人は、口語体、である・調で書かれた「多情多恨」(1896(ママ)年・岩波文庫)を読むよう薦めた。
 歌句では、「名歌名句事典」に人名別作品欄がない。季節、人事、などに分けられ、初句索引はあっても。また収める作品は、編集者の好みが偏り、よく知られた名作が載っていない、と批判した。
 詩では石原吉郎「位置」をあげながら、彼の言葉が壊れている、論理が外れている、脈絡がない。しかしシベリア抑留から復員した石原吉郎は、自分の体の中から生まれる言葉で書き、自分の真実を打ち出して書いた。わからないものだらけの世界(私たちにとっても)を大事にするために、と述べた。
 ここで自作の詩「美代子、石を投げなさい」を朗読した。
 最後に、海外文学に就いて。スタインベック「ハツカネズミと人間」(1937年・新潮文庫)では、人の情を、生き死にに到るまで描いた、とストーリーを語って感銘を与えた。
 アーサー・ミラー「テレビン油蒸留所」(2004年・早川書房「存在感のある人」)では、初期の戯曲以来ヒットの無かったアーサー・ミラーが、晩年に落ち着いて、戯曲の方法も取り入れて描いた、名短編だと推した。
 定刻を過ぎ、4時20分頃に講演を収めた。
 論旨に洩れている所も多いと思われるが、ご容赦を願う。





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