風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

小説

 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」(新潮文庫、1993年・刊)より、3番目の「からかさ譚」を読み了える。
 先の1月29日の記事、
同「ヒカダの記憶」を読む、に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。

 作家が探しあぐねたあと、浅草の仲見世で、和傘屋で音のよいからかさを、刃物屋で鉈を買う所から始まる。
 2つ共、八ヶ岳山麓にある小屋(別荘とは、決して書かない)に持って行くためである。鉈は山荘で薪を作るため、からかさは郷里で一人住む姉(色素が欠けていて、目がわるく、琴の師匠をしながら、独身を通している)を、誘うためである。
 母の3周忌で姉が、位牌もお仏壇も、持って行って貰ってよい、と投げ遣りな言葉を吐いたのを、気にしている。姉を慰めようと、晩秋の山小屋へ誘うが、いったん約束しながら、話は不首尾におわる。
 父母を亡くし、4人の兄姉は不遇な宿命を辿っており、2人生き残った姉弟である。姉弟、兄妹の関係は、兄弟(父の死で縁が薄まる)、姉妹(結婚で縁が薄まる)よりも、縁が深いとある思想家は書いた。
 郷里で母の世話をした姉への、労わりでもあっただろう。
 ただし姉は作家の優しい思い遣りよりも現実的で、琴の弾き始め会の準備に忙しがっている。作家の繰り返し描いた、家族譚の後期の1編である。
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写真ACより、「乗り物」のイラストの、しまいの1枚。



 

 三浦哲郎の短編集「愁月記」(新潮文庫)より、2番目の「ヒカダの記憶」を読む。
 今月27日の記事、
同「愁月記」を読む、に次ぐ。

 12ページの短編小説だが、4章(無題)に別れる。
 第1章では、亡母が夢見を気にする性質で、気になるような夢を見たあとは、ひそひそながら作家に打ち明けた。手紙となり、電話となるが、それは続いた。自身の両親、夫、自殺した二人の娘、行方不明の二人の息子の夢である。早々と離散した子供たちのせいで、引け目を感じたのだろうと作家は推察する。

 第2章では、ほとんど夢を見なかった作家が、母の没してより1年後くらいから、亡母の夢を見るようになる。風変わりな姿だが、脛のヒカダを見て確かめる。ヒカダとは、冬に炬燵に入り浸って、女性の脛にできる火傷模様で、各人に違う。

 第3章では、子供たち全員を取り上げた産婆さんが、老いての対話である。色素のない娘二人を産んだ母は、作家を妊娠した時、堕胎しようとしたが、クリスチャンの産婆さんの説得によって、産む決意をする。産婆さんは、母のヒカダが美しかったと回想する。産むために力んだ母の足に、灯がともったようで、ヒカダがきれいだったとの回想である。

 第4章では、亡くなった母を納棺の際に、脛のヒカダを見て、悲しみに打たれる、という1ページ程の短章である。
 夢の話から、ヒカダの話に移って、母を亡くした作家の心情を語る、名編である。

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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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 三浦哲郎・短編小説集「愁月記」より、冒頭の表題作「愁月記」を読み了える。
 新潮文庫、1993年・刊。7編の短編小説を収める。帯が破れかけているが、残している。
 故郷に長病む母の最期を看取りに、故郷へむかう列車で、以前によく上京していた母の、食事時に急に泣き出したり、作家の仕事部屋を眺めまわして満足していた時を、回想する。不遇な宿命を背負った子供たちのうち、末弟の作家が成功して穏やかに過ごしている事に満足だったのだろうと、文中にはないが察せられる。
 目が弱くて琴の師匠をしている姉、母を長く世話している世話上手の付添婦さんなど、他の小説にも現われる人物が、心優しい。親しんでくれた若い看護婦の話もある。
 作家がいったん実家に戻って休んでいる間に、母の容体が急変し亡くなる。死に目には会えなかったが、作家は喪主としてあれこれ手配し、斎場から骨壺を抱いて車で戻る所で終わる。
 好い日和に亡くなり、数日間好天だった事も、故人の徳として語られる。
 現代風のチャキチャキした文体でなく、渋い文体で淡々と語られ、優れた母への挽歌である。


 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻(1984年・刊)より、2回目の紹介をする。
 
同(1)は、今年4月13日に記事アップした。
概要
 今回は、「破片」(「三角帽子」「鏡」の2編より成る)、「莫邪」(「是好日」「黒い紳士」「溶ける男」3編の連作短編より成る)、「ヒョウタン」、「指」の4編を読んだ。
感想
「破片」
 「三角帽子」は、学徒兵より復学したが、大学へ行かず、飴売りをして29歳になった「三郎」が古道具屋の三角帽子に執着しながら、復学する貯金のために買えないでいる、という話である。
 「鏡」は、「次郎」の借家と背中合わせの借家に移って来た「仁木」という男が、次郎に大工道具をしばしば借りに来る。気がつくと次郎の家(2間)と同じ調度の有り様となり、鏡を備えて追い抜く、という奇妙な話である。
「莫邪の一日」
 失業中の「莫邪」が兄に代わって婚礼祝賀会、告別式2つに出る事で、日当を貰う話である。2つの席に「黒い紳士」が現われ、共に式を滅茶苦茶にしてしまう。黒い紳士はしまいに、草原で目玉だけ残して溶けてしまう。
「ヒョウタン」
 幼い次郎が苗売りの小父さんからヒョウタンの苗を買うが、生ったのはヘチマの実だったけれども、次郎は小父さんが間違えたので騙したとは思わない、という短い童話風の掌編である。
「指」
 奇妙な縁で知り合った復員兵が、5年後に再会し、1人は闇屋崩れよりサンドイッチマンに成っていて、帰郷するよ、と飲み屋で語ると言うストーリーである。

 戦後に社会が安定して来ながら、それに乗れない者の侘びしさを描くようだ。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





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 石田衣良(いしだ・いら)の短編小説集「スローグッドバイ」を読み了える。
 彼の小説を読んだのは、今年6月30日の記事にアップした、
「東京DOLL」以来である。
概要
 集英社文庫、2005年6月・3刷。
 彼の初めての短編集で、初めての恋愛作品集と、「あとがき」にある。
 「東京DOLL」が2007年刊だから、長編恋愛小説と捉えると(その間にも作品はあるだろうけれど)、2年の間の筆力の成長は凄まじい。
感想
 脛の傷、心の闇、隠したい過去を抱きながら生き抜く男女を描く10編。性を交す作品が多いけれども、そうでない作品もある。
 サクセス・ストーリーへの執着が見られ、シナリオ・ライターとして成功してゆく「曜子」とそれを見守る「史郎」の「夢のキャッチャー」、イラストレーターとして「山口高作」を発掘するPR誌の「サツキ」の「線のよろこび」などがある。
 憶測を交す男女が、結末でどんでん返し的に和解するストーリーを含めて、最後の表題作「スローグッドバイ」を除けば、ハッピーエンドの物語である。
 「スローグッドバイ」では、2年間の同棲をしていたフミヒロとワカコが別れる事になり、さよならデートをした後、ワカコの見抜いた通り、フミヒロの「心のなかにたくさんの物語があふれていたからだ」と作家的才能の発現を描く。これまでの9編をフミヒロの作品であるかのように、この作品集を2重にフィクション化している。


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 山田詠美の小説「ラビット病」を読み了える。
 このブログ「風の庫」でも、それ以前のブログ「サスケの本棚」(2007年4月~2016年9月)でも、「山田詠美」で検索して、引っ掛かる記事がない。山田詠美の小説を、何冊か読んだのは、2007年4月以前か。
 この「ラビット病」をちら読みし、幸福ふわふわ感の小説に失望して、読むのを止めたのだった。
概要
 単行本は、1991年、新潮社・刊。
 新潮文庫は、1994年・刊。
 米軍在留軍人:ロバートと、遺産で裕福な娘:ゆりの、恋から結婚へ至る物語である。
 山田詠美は、1987年、在留軍人:ダグラスと結婚し、2006年に離婚した(Wikipediaより)。
 作者はあとがきで、「共通点は山程ある。…あくまでフィクションである。」と述べている。
感想
 幸せな結婚のおのろけのようで、僕は当時、あまり読みたくなかった。文庫本棚から抜き出して、軽めの本を読み通した。本は読めなくても処分しない方が良い。10余年後に読む事もあるのだから。
 性の修羅場を、幾つも通り抜けて来た作者だから、代償として幸せな結婚も好かろう、と今は思える。
 性と性格が合い、財政的に困らなくても、現実は甘くなく、約20年後に離婚している。国際結婚等に金属疲労が出たのだろうか。2011年、日本人と再婚した。
 これから、山田詠美の小説が手に入ったなら、読んでみたい。


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 江國香織の短編小説集、「号泣する準備はできていた」を読み了える。
 長く文庫本棚にあったのだが、題名に少し引いていた。
 彼女の小説は、先の9月8日の記事、
同「きらきらひかる」を読む、に次ぐ。
概要
 新潮文庫。2007年、10刷。233ページ。12編の短編小説を収める。
 この短編集に由り、2004年、直木賞を受賞した。
感想
 初めの2編、「前進、もしくは前進のように思われるもの」、「じゃこじゃこのビスケット」は、男女の心の擦れ違いから生まれる、カップルの違和感を描く。
 この短編集に登場する男女は、どうしてこう不倫をするのだろう。夫が、妻が、あるいは双方が不倫をしている。標題作「号泣する準備はできていた」では、別れて出て行った男が、「ときどきやってきて、またでていく」という状態だ。
 だから最後の「そこなう」で、不倫相手の男が離婚して、「これからはずっと一緒だから」と言っても、満足感を持てない。
 一夫一婦制に無理があるとか、性の解放だとか言っても、今の社会では無理だろう。登場人物は、フリーランスか中産階級で、そのような放恣があり得るのだろう。
 「きらきらひかる」でも、ホモの夫の睦月は医師、妻の笑子は翻訳家、の設定だった。




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