風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケは、2017年10月17日付けでのAmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)の発行に続き、第5詩集「改訂版 ソネット詩集 光る波」(縦書き)を、2018年5月31日、Kindleストアにて発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 2011年10月1日・刊の紙本「ソネット詩集 光る波」に、数十ヶ所の加筆をし、編集しました。
 販売ページは、Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 ソネット 光る波」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。右サイドバーのバナーよりも着けます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。

その他

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 3月15日の記事「メルカリより、2冊を買う」で紹介した2冊の内、後の村上春樹「シドニー! 1 コアラ純情篇」を読み了える。
 先のエッセイ集、同
「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」は、3月16日の記事にアップした。
概要
 2004年7月、文春文庫・刊。同「2 ワラビー熱血篇」と2分冊になっている。
 有森裕子のマラソンを掌編小説風に描いた「1996年7月28日 アトランタ」と、男子マラソンのシドニー代表選手・犬伏孝行の調整ぶりを取材したドキュメント「2000年6月18日 広島 オリンピック開会式まであと89日」の、2編を枕に、「シドニー日誌」(2000年9月11日~)に入ってゆく。
感想
 村上春樹は、オリンピックが嫌いだと書いていたので、その観戦記もどうかなあ、と思っていた。
 しかし現地に着くと、水族館、動物園等の直接には関わりない場所にも行きながら、競技を熱心に観戦している。
 日本贔屓も現れている。
 勝敗よりも過程の心理、勝敗後の心理、などに迫っている。
 テレビ観戦では捉えられない所を、よく描いている。
 「シドニー! 2 ワラビー熱血篇」文春文庫の新本を、楽天でポイントを使って、注文した。その事情については、また本が届いてから書く予定である。



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 昨日の記事で到着を報せた2冊の内、村上春樹のエッセイ集「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」を読み了える。
 2011年7月7日、マガジンハウス・刊。
 女性週刊誌「あんあん」に連載されたエッセイとイラスト(大橋歩・筆)、「村上ラヂオ 2」に加筆修正した本である。
 村上春樹の本の記事は、昨年4月15日の
「パン屋襲撃」以来である(その記事から、長編小説「騎士団長殺し」の感想へ移れる)。
 連載誌のせいか、読者に話しかける文体で書かれている。「あざらしのくちづけ」の末尾、「でも臭いですよ、ほんとに、冗談抜きで。」のように。
 1つには自信があるのだろう。自分の書く文章は、多くの読者に歓迎されるという。それは彼の本の発行部数で知れる。
 彼にはユニークな所がある。生活でも、結婚→開業→大学卒業という、普通の逆のコースを進んだ。演劇科・卒である事が、文章を劇化しているのだろう。
 彼が何度も書いているエピソードだが、野球場スタンドで「僕にも小説が書けるだろう」という、インスピレーションが降って来なかったらば、世界は「クレオパトラの鼻」ではないが、かなり違っていただろう。


kindle読書術
 Kindle本の読み方の、基本でよく判らない所があるので、先日、「本好きのためのAmazon Kindle読書術」をkindle unlimited版(追加金:無料、kindle版:280円)でタブレットにダウンロードし、読み了えた。
 1月6日の記事
「3冊をダウンロード」で報せた3冊の内、初めの「Kindle Unlimitedの読み方、使い方」も、記事アップしなかったけれども、判りやすく有用だった。
概要
 和田稔・著、金風社・刊。2017年5月・第1版、同6月・第2版、同7月・第3版と、進歩の速い世界で、補って行っている。
感想
 予想していたよりも、本が長い。それだけ新しい事、応用について書いてある。僕が知りたかったのは、ハイライト、ブックマーク(栞)、検索等の初歩的な機能と扱い方だったけれども、それらは詳しく述べられていない(たとえばハイライトの消し方など)。
 アウトプット(ブログ、文章等への)に力が入っていて、それらはEvernote等のアプリの紹介や連携のし方が詳しく述べられている。
 僕の読書は、文学作品を受容し、心の安定と詩歌の創作に活かす事が目標で、ブログが目的でも、批評が目的でもない。その点からは残念だった。
 なおオーディオブックサービス(読み上げ機能)への着目、読書(というより蔵書)の概念が変わるであろう予測は、Kindle本等の電子書籍の未来を見詰めているようだ。


角川「短歌」1月号

 今月7日の記事で、短歌編を紹介したkindle版・角川「短歌」1月号より、散文をほぼ読み了える。もうすぐ3月号の発売される時期だが、「歌壇」2月号を読んだので、その点はお目こぼし願いたい。
 「短歌」の目次からは当該記事へ飛べなく、画面をタッチしてタブレットの左端に現れる目次は掲載ページ順でなく、また字数制限で題名の全体は表れなく、読むのに難儀した。
 書評16編は、書くにむずかしい。べた褒めでは、著者と角川に阿っているようだし、否定的な事は書きにくい。10あるうち、9つは褒めても1つは釘を刺しておきたい。
 歌壇時評の、佐藤通雅「「華の迷宮」、挫折」は自分の体験に引き寄せたジェンダー論だけれども、彼の提案する方法で性差別が解消するとは思えない。
 同じく歌壇時評の薮内亮輔「リアリティという病」は、誘われた歌会で「ぼろくそに批評され」た所から始まる。短歌も評論も、小さな違和感から始まるのであり、私怨だとは思わない。現実の、あるいは感情の、リアリティは必要だと思うけれども。
 本阿弥書店「歌壇」には何本かある、本格的な連載評論が1つもないのは、読まれないからだろうか。時代の良心として、必要だと僕は思う。
 投稿歌欄は読まなかった。僕は歌の投稿の経験がない。ある程度の費用を払っても、同人歌誌、結社に入って、歌の掲載を保証された方が良い。あるいはネットに活路を見出すのも良い。


 先の1月8日の歌集の記事に続き、邑書林「セレクション歌人3 江戸雪集」より、「散文」の章を読む。
 歌論の「佐竹彌生論」と寺山修司論「誤解をおそれないひと」、それにNTT DoCoMoで配信していた短いエッセイ「短歌のある日々」より11編を収める。
佐竹彌生論
 「…ひとりの歌人と出会った。というより、ひどく孤独で清廉な「歌」に出会ったという方がよいだろうか。」と、短歌との出会いらしい事を描く。佐竹彌生のストイックで死を想う等の歌を幾つも引きながら、魅力を説く。自分の感性に珍しく近いものを感じたのだろう。
 僕は俗な世過ぎの、1瞬の聖を捉えて歌を作る方法を取って来た(現場労働でも、遠い通院でも、ネット漬けのリタイア後でも)ので、ここに引かれる佐竹彌生の歌には、僕は惹かれない。
 人は誰でも、他人には意外な、出会いを持つものだ。
誤解をおそれないひと
 寺山修司の歌論と短歌への、共感を述べている。寺山修司の言葉「私の体験があって尚私を越えるもの、個人体験を越える一つの力が望ましいのだ。」に、「喜んで賛同したし、今も変わらない。けれど、それと同時に、「あるがままの世界」或いは「私」を越えて創造する難しさにどうしようもなくなってしまうときがある。」と嘆く。短歌の普遍性は、定型と歴史(の新しい1歩)が、おのずと齎すと考えるのは、甘いだろうか。
短歌のある日々

 気さくなエッセイで、マンション暮らしの恐怖、少年達への共感、ユーモア、しんみり、とエッセイの要素に事欠かない。エッセイのせいか、一般向けのせいか、子供が大きくなって来た(3歳~4歳)せいか、ここには安らぎがある。
 この本にはこのあと、藤原龍一郎の江戸雪・論「咲くやこの花」、略歴、あとがき、初句索引を収める。続く歌集を、僕の読む日が来るだろうか。
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。



 僕が参加しているブログランキングの1つ、「日本ブログ村」に、トラコミュ(トラックバックコミュニティ)という機能があり、その1つに「100冊会」がある。1冊読了のブログ記事毎に、トラックバックを送り、励みと記録として、残そうという会である。
 僕は今月末の累積数から先月末の累積数を引いて、1ヶ月の読書の冊数を記録して来た。何も冊数が多いのみが良い訳ではないけれど。
 昨年2016年の読書量は、昨年12月30日の記事
「年間188冊」に書いた通り、188冊だった。
 今年2017年の冊数を、月順に上げていく。
 1月・20冊、2月・16冊、3月・16冊、4月・17冊、
 5月・20冊、6月・13冊、7月・13冊、8月・18冊、
 9月・12冊、10月・13冊・11月・13冊・12月・12冊。
 合計183冊である。20冊の大台に乗る月もあったが、9月以降の落ち込みが大きい。
 昨年とはやや減りながら、ともかく年間100冊の目標は達成した。
 僕より遥かに多く、読書している人が居る事は知っている。

 なお大晦日と元日の記事更新は、休ませて頂こうと思っている。
 皆様、佳いお年をお迎えください。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「白雪姫」のイラスト1枚。


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 ジョージ・G・スピーロ「ケプラー予想」(新潮文庫、2014年・刊)を読み了える。副題は「四百年の難問が解けるまで」。
 同書の
購入は、2016年11月13日の記事にアップした。
概要
 購入記事でも書いたが、僕は数学の証明に到る「物語」が好きだ。
 「フェルマーの最終定理」は、S・シン・著の同題の新潮文庫で、1994年10月、アンドリュー・ワイズに由って証明されるに到るまでを述べる。
 「四色問題」は、一松信・著の同題の講談社ブルーバックス(旧版)で、コンピューターを用いて証明されるまでを描いた。
 「ポアンカレ予想」は、春日真人・著「百年の難問はなぜ解けたのか」(日本放送出版協会、2010年・刊)で、グレゴリー・バレルマンに由る解決までを描いた。
 本書は、1611年、天文学者、ヨハネス・ケプラーが予想した球充填問題を、1998年、トマス・ヘールズがコンピューターをも用いて証明するまでの経過を描く。
感想

 元もと、数学は苦手なので、難解な数学的方法はわからない。
 ただ苦闘の歴史が重ねられ、道化的人物も登場し、天才的数学者が幸運をも掴んで、厳密に証明するまでの物語を読むのみである。ここには明瞭な進歩がある。
 思想界のように、ソクラテス以来、進んでいるのか判らない世界とは違う。近代でも、マルクス思想、実存主義、構造主義、ポストモダンとか、移り変わって信用が出来ない。
引用
 本書の末尾から引く。
 しかし物語は終わらない。なぜなら数学には終わりはないからだ。問題が解決され、仮説が検証されていく速度よりも、新しい問題や仮説が生まれる速度のほうが大きいのである。


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