風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

短歌研究会

 8月の短歌研究会Aは、都合により休止となったが、9月18日(敬老の日の休日)の午後1時半より、メンバー3人がある喫茶店の1隅に集まって、第38回が持たれた。
 
同・第37回は、7月15日の記事にアップした。
 短歌研究会Aは、各自の詠草の検討である。
 Mさんの12首より。中・下句の「葉の上を青き毛虫が生命密むる」を「葉の上に…密みゐる朝」に直すよう、Tさんと僕が奨めた。下区の「人参の芽の青あをと立つ」の「立つ」は本人も気にしていて、僕は「青あをと出づ」くらいでどうかと奨めた。結句「吾にもやさしき」は「吾にもやさし」で良いだろう、という事になった。
 Tさんの15首より。上句「興福寺五重塔が」が重いようだと本人が言うので、Mさんと僕が「旅を来て」に直すよう、一致して奨めた。下句より「湯にゐて」との「て」の重なりは、「湯にひたり」とTさん自身が直した。「神さびて見ゆ」は、「神寂びて見ゆ」の方が、緩やかな表し方のようだ。上句の「独り言のやうに父は」は、2句が字足らずなので、「やうにも父は」と誤魔化すよう僕が奨めた。3句4句が「舞ふ鷺の群れにと降りる」は、紛らわしいので「舞ふ鷺が」と主語である事を明示するよう、僕が奨めた。16首目の結句「今夜を読まむ」がわかりにくいと僕が言った所、自身が「今夜は読まむ」と直した。
 僕の10首より。「明らかに抜け毛少なきこの頃やわが頭髪に秋は来たりぬ」は、秋が来て抜け毛が少なくなった喜びの歌だが、「頭髪が薄い」ように2人に受け取られて、没。初句「ブロ友は」の「ブロ友」はブログ上の友人の事だが、ブログの世界で通っているか、2人にはわからなかった。
 あと、今期の僕の45首程を、2人に読んでもらって、感想をもらった。
 短歌研究会Bで、「土屋文明歌集」も読みたいとTさんが言うので、僕がネットより岩波文庫版を探す事になった。
 次回の日程を決め、3時頃に散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「ピノキオ」のイラスト1枚。


 8月30日(水曜日)の午前9時半より、メンバー3人が、ある喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第18回を持った。
 
同B・第17回は、先の7月31日の記事にアップした。
 なお2つの間に、同・A(お互いの詠草の検討会)第38回を、8月16日に予定していたが、メンバーの都合が難しくなり、中止となった。
 メンバー3人は、1ヶ月ぶりの再会を喜び合った。歌誌などの貸し借りをする。
 研究会・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 第4歌集「晩夏」の、「春さきのころ」の章(89ページ)より、前回に続いて。
 「幼子のこころにおかむ寂しさは何ならむこよひ早く眠りたり」の第4句は、「何ならむ/こよひ」の句割れであり、結句と共に字余りである。その前の歌と共に、子供に向ける思いが優しい。
 「悲しみといふほどならずかがやきて永き一日(ひとひ)の空にゐる雲」では、僕は雲を悲しく思いそうだと取ったが、他の2人は別に悲しみがあって、空には雲がある、と取ったのだった。
 「行春(ゆくはる)の銀座の雨に来て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ」の4句は、字余りの句として有名である。セミヨーンとは、ガルシンの小説「紅い花」の主人公、線路番のセミョーンの事とされる。
 「山鳩のこゑ」の章(91ページ)に入る。「惨たる戦争態(せんさうたい)の来(きた)らむを知らざりし殉死の将軍かなし」の将軍が誰か、わからない。乃木将軍では時代が合わず、1943年に戦死した山本五十六・元帥を、殉死と詠んだか。
 「晩夏」の章(92ページ)末、「七夕ののちの夜の月ふけて照る花圃に静けし芥子の坊主も」の2句3句は、「のちの夜更けの照る月に」であって、ずるいなあと思う。先師を批判しても始まらない、と3人の話が一致した。
 次の研究会の予定を決め、11時頃に散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」の1枚。



 7月30日(第5日曜日)の朝9時半に、メンバー3人がある喫茶店の1隅に集まり、短歌研究会B第17回を持った。
 
同・第16回は、今月1日の記事にアップした。
 研究会の前に、少し早く来た僕は、かき氷のレモンを食べていた。やって来た2人は、アイス菓子とアイスコーヒーを摂った。歌誌の貸し借り、返却をする。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「砂光る」の章(86ページ)の初めより。
 1首目の「重ねこし両手(もろて)を解きて椅子を立つ判決放送の終りたるゆゑ」の初句、なぜ「重ねゐし」ではないのかと、Tさんが問う。(「判決放送」は、1948年の「極東軍事裁判所」のA級戦犯への判決である)。もっともな問いであるけれど、時間が長く、作者の思い入れが強かったのだろう。
 次の「廿五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし」の下句は、他人とは違う感慨があり、それに耐えている思い、と僕は読んだ。物思いを整理するため、という意見があった。
 「砂光る」の初めは、思いをはっきり言う事が憚られるため、「回り持って言う」点があると、Mさんは述べた。
 「をさな子二人」の節では、「吸殻を灰にうづめぬ平(なら)されて」の歌は、判決放送より平静を取り戻したかに思える。
 「するどき音」の章では、「禱るがに秘めて耐へこし一つごと妻居らぬ部屋に座りてゐたり」の秘め事は、従軍に関わる事、大事な事だろう、と推測した。
 「わが胸に住む兇暴の鴉らが西に東に漂泊(さまよ)ひて鳴く」、「翼(はね)搏ちて荒寥と空に鳴きあぐるまがつ鳥鴉を胸ふかく飼ふ」の2首に、他のメンバー2人が共感を示した。
 この章を了え(89ページ)、10時半過ぎながら、研究会を仕舞った。次の研究会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 7月14日(第2金曜日)の午前9時半に、メンバー3人が某喫茶店の1隅に集まり、短歌研究会A第37回を持った。
 
同・第36回は、先の6月17日の記事にアップした。
 短歌研究会Aは、各自の詠草の検討である。
 Mさんの10首より。「店頭に」を「店先に」の和語に換えるように、僕が奨めた。「芋のうは葉に露を置き」の2句3句を、「芋の広葉に露まろび」に換えるよう、Tさんが奨めた。「青あおと槻の繁れる下かげに孕み猫のそりと過ぎる真昼間」を二人して、「青あをと繁る欅の下かげを孕み猫ゆくのそりと弛げに」に直した。いじくり過ぎかも知れない。「不意に予感のする朝」を「予感のふいにする朝」に換えるよう、僕が奨めた。
 Tさんの10首より。「叉を」を「またを」と平がなに直し、「よぶ」は「呼ぶ」と漢字まじりに換えるよう、二人が奨め、Tさんも納得したようだ。「吐息のごとき」を「吐息のやうな」と柔らかく詠む事を、僕が奨めた。「雨あとの野辺に虹の」の初句2句を、「雨あとの野末に虹の」に換える事を、Mさんが奨めた。
 僕の10首より。「朴葉寿司三つを食べて」より初句を「朴葉飯」に直してもらった。「要職をリタイアの兄は」の3句4句より「要職を退(ひ)きたる兄は」に換えるよう、Tさんに奨められた。「老けたる妻か」を「老けたる妻よ」に換えるよう奨められたけれども、断定はしたくない。「諾(き)く」の前例があるなら、「聞く」よりも良い、とアドバイスされた。
 あと今期の僕の40首程のプリントを、二人に読んでもらった。
 次回の日程を決め、11時近くに散会した。
 夕方になって、言わでもの事があったと思い、二人に「第1感を大事にしてください」とSMSで送った。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 昨日(6月30日、金曜日)にメンバー3人が、朝9時半に喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第16回を持った。
 
同・第15回は、先の6月4日の記事にアップした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「白梅紅梅」の章の、4首目から(81ページ)。
 「屈竭(くつかつ)のこころ放ちて仰ぐらく」という上句の「屈竭」がわからない。「竭」の字は漢和辞典で探せるが、意味がよくわからなく、「渇に通じる」だろうか。思いが渇き屈している意か。
 「梅の園尽きむとしつつ草の上(へ)に羞ぢらふごとく白(しろ)散りて来つ」の「羞ぢらふごとく」の比喩は、白い小さい清楚な花の散りようを指すだろう。
 「うつうつと汗ばむ吾が身」という上句の「うつうつと」は、「うとうとと」の意味である。
 「昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚(わめ)きし妻は何者」は、奥さんの英子さんが夫の深酒に喚いた事はない、と証言しており、宮柊二も「詩的真実」と認めていたらしい。
 「おもおもと空の曇りの退(ひ)きし門(かど)向日葵に夕べあきつ集る」の初句の「おもおもと」は辞典になかったが、「重々しく」の意で、「退きし」に掛かるのだろう。
 上句が「雨ののちのぼれる月の照れれども」の「照れれども」の後の「れ」は、完了の助動詞「り」の已然形である。
 1時間が過ぎた10時半頃、Mさんが僕の腰痛の具合を訊いてくれ、切り上げる事にした。貸し借りの本を返し、Tさんが先輩の歌集を、Mさんが収穫したたくさんの李を、僕に下さった。僕はタブレットより、最近の花の写真と、Amazon Kindleに収めた歌集を、説明した。
 次の会の日程を決め、10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


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