風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケは、2017年10月17日付けでのAmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)の発行に続き、第5詩集「改訂版 ソネット詩集 光る波」(縦書き)を、2018年5月31日、Kindleストアにて発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 2011年10月1日・刊の紙本「ソネット詩集 光る波」に、数十ヶ所の加筆をし、編集しました。
 販売ページは、Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 ソネット 光る波」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。右サイドバーのバナーよりも着けます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。

短歌研究会

 この1月17日(火曜日)の午前9時半より、ある喫茶店の一角で、メンバー3人の短歌研究会A第31回を持った。
 1月13日に、同・B(岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込み)を持つ予定だったが、メンバーの都合が悪くなり、17日に詠草提出日も近いという事で、同・A(各自の詠草の検討)第31回を持った。
 
同・A第30回は、昨年12月16日の記事にアップした。
 Mさんの12首では、動詞の終止形か連体形かをはっきりさせる事、強い漢語を重ねない事、漢字の間違い、状況をよく表わして重複の語を削る事、などが指摘された。生活の中からユニークな歌を詠む人なので、歌が正されると見直してしまう。
 Tさんの10首では、過去形を現在形に直す事、感情の由る状況を1首に入れる事、読みの誤りやすい漢字は他の字に替える事、などが指摘された。彼女は短歌歴が僕よりずっと長い。
 僕の10首では、語感を採るか文法の厳密性を採るか、語を入れ替えて正確にする事、過去形を現在形に直して臨場感を出す事、などが指摘された。
 そのあと今期1ヶ月に僕が詠んだ60首程のプリントを二人に見せたが、すでに時刻が11時なのでプリントを持ち帰ってもらう事にして、月内の研究会Bの日の予定を決め、散会した。
白鳥1
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



 

 昨日(12月15日、木曜日)の朝9時半より、僕と女性二人の3人のメンバーが、ある喫茶店に集まって、短歌研究会A第30回を持った。
 同・第29回は、先の11月18日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
 それぞれモーニングセットなど食べおえ、各人の詠草の検討に入る。
 Mさんの10首では、1首の句の順の入れ替えをTさんが提案し、Mさんも受け入れた。類型的な表現は、使わない方が良い、とも。日常の料理、畑作りなどの歌が、得意なMさんである。
 Tさんの12首では、字余りの直し、「~と思ふ」の平凡の直し、「~のごと」を「~ならむ」と言い切る事、などを検討した。1ヶ所、僕が間違えた提案をしたようで、後程、メールを入れた。
 僕の10首では、1首の4句に切れ字「や」を入れる事、比喩がわかりづらいので普通の述べ方に直す事、などが提案され、僕も受け入れた。
 本人が「ここの所はこのままにしたい」と述べれば、それ以上は言わなかった。
 そのあと二人に、前回出詠時より今までに、僕が詠み溜めた50余首を読んでもらい、良いと思う歌に頭〇を付けてもらった。
 Mさんより歌誌が返され、Tさんより幾冊かの本を預かり、11時過ぎに散会した。
暖炉3
フリー素材サイト「Pixabay」より、暖炉の1枚をトリミングして。




 昨日(12月8日、木曜日)に、僕と女性二人のメンバー3人による、短歌研究会B第10回が、ある喫茶店の1隅で持たれた。
 同・第9回は、先の11月14日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
 時刻は9時半からの予定だったが、Mさんがお孫さんの手術で、30分遅れたのはやむをえない。
 前回に続いて、岩波文庫「宮柊二歌集」の「山西省」の、昭和18年分に入る。
 章立ての「塞下悲報」の「塞下」と、次の「冀西晋北」の、訓みも意味もわからない。後者は地名かと推測した。
 「塞下悲報」は戦地にあって、師・北原白秋の逝去を知り嘆く歌1連である。
 「おどろ」「青みどろ」「うつそみ」「からくして」「みそかには」と、慣れない言葉が多いが、例によって電子辞書版広辞苑第6版で調べて、ほぼ判った。
 1首に「河音」「風音」と重なる事、「青」が重なる事が、Mさんより指摘されたが、戦中詠の非常時の作品として、読むべきだろう。
 また字足らず、大幅な字余りの歌が多い事も、上記の事情を読書の考慮に入れねばならない。
 戦後の歌で始まる歌集「小紺珠」に入り、初めの「砂のしづまり」1章のみを読む。
 「遊ばせて」「遊びつつ」の句が出て来るが、「ありがてぬかも」(生きていられない)の句があり、「自死を考えていた」という回想があったと僕は記憶しており、のんびり遊んでいたのではなく、時代・思想の激変に苦しみながら、身をもてあましたのだろう。
 この章で今日の研究会Bを済ませ、次の研究会Aの日程を決め、11時頃に散会した。
暖炉1
フリー素材サイト「Pixabay」より、暖炉の1枚。




 昨日(11月17日、木曜日)の午前9時半より、メンバー3人で、月1回の(同・Bを除いて)短歌研究会A第29回を、ある喫茶店の1隅で持った。
 同・第28回は、先の10月15日付けの
記事(←リンクしてあり)にアップした。
 3名がそれぞれ10首の詠草を持ち寄って、批評し合う会である。
 時制の問題、語尾の誤り(へ→え)、大幅な字足らず(結句5音)、字余り(2句め10音)、意志の「む」と推測の「む」は1首の中に併存して良いのではないか、特殊な訓にルビを振るか別字を用いるか、平仮名表記の間違い(かほり→かをり)、無理な句跨り、等を指摘し合って、それぞれ解決策を提示した。
 そのあと、僕のここ1ヶ月間の60首余りを、TさんとMさんに読んでもらい、良いと思う歌、わからない歌、等を教えてもらった。
 また僕の持って来た「宮柊二アルバム」を二人に見てもらった。
 10時45分くらいに散会。
 午後すぐ、二人の意見を参考に、結社歌誌「コスモス」来年2月号の詠草10首を作成し、詠草用紙に合わせてプリントした。締め切りは22日だが、今日は金曜日なので、今日中に投函したいからである。
ザクロ
フリー素材サイト「Pixabay」より、柘榴の1枚。

 昨日(11月13日、日曜日)の午後1時半より、僕と女性2人のメンバー3人で、短歌研究会B第9回を、某喫茶店の1隅で持った。
 同・第8回の
記事(←リンクしてあり)は、先の10月7日付けでアップした。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 今回は主に第二次大戦に従軍中の作品を集めた「山西省」より、昭和17年(1942年)の作品、5ページを読んだ。
 「…静かなる夜半なり雪に砲声きこゆ」は、「静か」と「砲声」の逆説が、従軍の極度の緊張を表わしている。
 「滹沱河(こだがわ)の水の響の空を打ち秋は来にけり大き石の影」は、純粋に叙景歌として成立すると、3人の感想が一致した。
 「馬家圪垜(ばかきつだ)」は、地名であろうと推測した。
 「鞍部」は、「山の稜線のくぼんだ所」とわかる。僕とMさんの電子辞書に、同じ広辞苑第6版電子辞書版が入っているので、すぐ一致した解が出る。
 照る麦の穂を見て笑いがこみあげるのは、平和と戦争のギャップから来るようだ。
 「もの悲しく小鼓と鉦を打つきこゆ」の上の句は、葬儀の様らしいと推測した。
 昭和17年分の最終の「耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず」は字余りの1首として有名で、思いは確かには判らないが、戦争の非人間性を怒る歌だろう。
 他にも様々に語り合った。
 2時40分頃に研究会が済んだが、次回の研究会Aの日程を決め、支払いで僕がTさんに面倒を掛け、3時頃に散会した。
菊6
フリー素材サイト「Pixabay」より、菊の1枚。




 昨日(10月14日、金曜日)の朝9時半に、僕、Mさん、Tさんの3人(共に戦後生まれ)が某所に集まって、短歌研究会A第28回を持った。
 10月7日の記事(←リンクしてある)にアップした、同B(第8回)とは異なり、このAでは各自が詠草を持ち寄り、批評し、直せる所は指摘し合おう、という会である。
 今回が初登場だが、これまでに月1回、すでに28回めである。
 Tさん、Mさんは、昨夜に9首詠草を成したそうで、急拵えである。
 文法的に通っていない歌、字足らず、助詞の付加・削除など直すよう、提言し合った。
 詰まった句、わかりにくい言葉、も直すよう奨め奨められた。
 3人分の詠草を終えたあと、前回の出詠あとこれまでの僕の詠草、50首程を、2人に読んで貰った。
 この歌が良い、こうすれば良くなる、と指摘を受けた。
 10時45分頃、散会。
 帰宅した僕は、出詠のつもりだった10首より、4首を入れ替え、直し、結社誌1月号分の出詠歌をほぼ決めた。
apple4
フリー素材サイト「Pixabay」より、りんごの1枚。


 これまでここで書かなかったが、短歌の仲間3名で、月2回の研究会を持って来た。
 僕と、年上の女性、Tさん、Mさんの3名である。誰がリーダーという事もない。
 月1回は、岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込み。
 もう1回は、詠草を持ち寄っての勉強会である。
 それで今朝9時半、ある所に集まって、「宮柊二歌集」をテキストとしての、第8回を始めた。
 歌集「山西省」の昭和16年の項を読んだ。第二次大戦において、中国大陸での戦の間に詠まれた、374首よりの抄出である。
 初首を初め、激戦において冷静であると、Mさんが語った。短歌を詠んでいた所為もあるだろう。
 「新年(にひどし)の障子に貼りし魚花の図に夜ふけて赤き麻油の燈ともす」は、春聯の1種だろうと、僕が指摘した。
 「自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返り見ず」の「哀れみつつ」が、戦地にあって人間性を保っていたことを示している。
 青滹沱河(せいこだが)が、次回の分の歌より、青い滹沱河の意と判った。
 「はるばると君送り来し折鶴を」等で「君」と呼ばれているのは、後の夫人、滝口英子と推測した。
 また昭和16年分末の「幾たびかあやぶみ思ふことひとつ清らに待ちて老いつつかゆかむ」の下句を、自分の事を詠んだと僕は思っていたが、Tさんより、母国で待つ滝口英子を詠んだ作と指摘され、僕も納得した。
 次回は昭和17年分を読む事にして、10時半過ぎに散会した。
apple2

フリー素材サイト「Pixabay」より、リンゴの1枚。


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