風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

詩の催し

背後より全景
 2月17日午後1時半より、鯖江市文化の館・図書館の1室で、福井県詩人懇話会・主催の「第39回会員の詩書を祝う会」が持たれた。僕は妻の車の送り迎えで参加した。
 同・第38回の記事は、昨年9月16日付けでアップした。
 参加者は、写真に入りきらなかった人(正面写真では全員が入っている)、後から参加した人を含め、受付の計算で44名だった。地元・近辺、また遠方よりの参加者を含め、予備の長机・椅子を出すほど、盛会だった。

 K・久璋さんの司会のもと、W・本爾・懇話会代表の開会挨拶があった。
 A・雨子さんの第8詩集「冷麺」について、N・千代子さんがインタビュー。
 T・晃弘さんの詩集「降誕」について、M・幸雄さんがインタビュー。
 阿部倹司遺稿詩集「生と詩のあいだ」について、Y・英一さんとA・莉江子さんが述べた。
 会場からの発言も多く、僕も1点、質問した。
 花束贈呈があり、I・信夫さんの閉会挨拶があった。
 時刻が少し早いながら、4時20分頃に散会した。
 内容については、懇話会会報に載るだろう。
 僕はカメラマン役だったが、先ほど見た所、撮り逃がしはなかったようで、ホッとしている。


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 1月12日(土曜日)~1月20日(日曜日)、福井市美術館3階講堂「アートラボふくい」にて、『「雲を見る人」刊行記念 孤高の風景画家 曽宮一念展』が催されている。
 福井の山岳エッセイスト・増永迪男さんが、著書「雲を見る人 孤高の風景画家 曽宮一念」の刊行を記念して、親交のあった画家・曽宮一念、彫刻家・雨田光平の自身のコレクションより20余点を展示するものである。
 初日のイベントとして、福井市美術館館長の石堂裕昭さんとの対談会「孤高の風景画家 曽宮一念の生き方とその芸術について」が催された。
 写真は4枚のパンフの表紙で、2枚目に出展品1覧、3枚目に増永さんの略歴、4枚目に館長の略歴を載せる。折り畳んだので、皺のある事は、ご容赦願う。
 聴衆は用意された椅子1杯で、若干の補助椅子が出されたようだ。
 お2方共、聴衆を前にしての話は慣れているようで、堂々と対談は進んだ。増永さんの初公開の秘話の2、3や、展示の絵が登山家の目から写生から遠い事を絵の部分を指し示しながら説いた。
 大正13年頃、女流の先輩画家・中村つねとの交流とその若い死を経て、絵に開眼した様が興味深かった。
 晩年に緑内障で盲目となった曽宮一念は、プラスチックの枠を作らせ、その桝にサインペンでブラインドタッチで字を書き、その解読を増永さんがした、という話が面白かった。サインペンのインクが薄れてもわからず、ページを捲り忘れてもわからない、そのような原稿を解読した事で、数冊の随筆集が出版されたという。
 館長は、美術史等の観点から話を盛り上げ、定刻3時半に対談はおわった。僕はその本を買わなかった。近い内に寄付とネットバンク預金の予定があり、ぎりぎりだからだ。


詩祭全景
 11月18日(第3日曜日)午後1時半より、Aossaビル3Fの「ウェルアオッサ」にて、福井県詩人懇話会・主催の「2018 ふくい詩祭」が催され、僕もカメラ役を兼ねて参加した。
 「2017 ふくい詩祭」は、昨年11月20日の記事にアップした。
 参加者は、事務局に拠ると、49名だった。(12月4日:訂正。事務局長に拠ると、招待者等を含めれば60名前後の参加者だった)。写真に入りきらなかった方、席を外していた方、後から来場した方を含む。
 S・なおみさんの総合司会のもと、懇話会代表のW・本爾さんの開会挨拶より始まった。
 K・久璋さん、H・裕子さん、H・信和さんの3名が、コメントとともに自作詩1編を朗読した。
 そのあと尺八演奏家・平林火山(ひらばやし・かざん)さんの尺八で「山越」「鶴の巣ごもり」、横笛で「秋の歌メドレー」(童謡より)の演奏があった。皆がしみじみと聞き惚れた。
 詩祭のテーマは、詩人・鮎川信夫(1920年~1986年)を巡ってであって、基調講演は批評家・樋口義澄(ひぐち・よしずみ、著書「鮎川信夫 橋上の詩学」あり)氏の「鮎川信夫と現代」だった。シンポジウムでも客席最前列から、コーデイネーターに振られてよく発言していたので、シンポジウムの項で述べる。
 休憩のあと、シンポジウム「荒地の詩人、鮎川信夫を現代(いま)に問う」が始まる。福井の詩人・金田久璋(かねだ・ひさあき)氏のコーディネートのもと、詩人・河津聖恵(かわづ・きよえ)氏、詩人・正津勉(しょうづ・べん)氏、詩人・細見和之(ほそみ・かずゆき)氏が、基調講演の樋口義澄氏の会場よりの発言もまじえ、パネルディスカッションを行った。
 鮎川信夫の父との関係、夫人を隠し子のいなかった事、ユーモア、風土(福井県奥越の山深くで生まれ成長し、1945年2月に「戦中手記」を福井県三方郡の傷痍軍人療養所病棟で密かに書いた)と世代(従軍世代)の問題、孤絶と共同(「荒地」での共同は、言葉の構築による詩、という一致があった故らしい)、アメリカ寄りだった彼の、トランプ大統領が現われる等の現代における意義、に就いて、細かく討議された。没後に見られた彼の私室(ベッドと粗末な机のみで、そこで詩作したらしい)が、今で言うゴミ屋敷で極っており、写真を見た人はショックを受けたと揃って述べた。

 会場からの発言もあり、予定通りの5時に懇話会副代表のM・幸雄さんの閉会挨拶で締め括った。
 このあと同会場で懇親会が催されたが、僕は失礼して帰宅した。



 11月17日(土曜日)午後2時~3時40分の予定で、県立ふるさと文学館の「文学フェスタ」の1環として、現代詩作家・荒川洋治氏・講演「文学を創り出した人びと」が多目的ホール(定員150名)で持たれた。
 彼の講演を聴いたのは、昨年7月18日の「書くことは読むこと」以来である。

 まず彼が用意した資料のスキャン画像を挙げる。

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 彼が用意した資料は、B4判表裏だが、僕のプリンタはA4判までなので、上の写真は表の半面(書き込みがあり、申し訳ない。もう反面については述べなかった。)と、下の写真は裏面の半面ずつをスキャンして並べたものである。

 明治以降、尾崎紅葉、滝田樗陰、草野心平、長谷川時雨、野田宇太郎、花森安治、伊達得夫、丹羽文雄、福田清人、中井英夫の編集者としての業績を挙げ、編集者(彼も出版社「紫陽社」を経営し、独力で編集している)として、才能ある文学者を早く見つけ、長く活躍させる事、また埋もれた文学者の再評価をする事、を挙げた。
 独力で全集を刊行した、小山内時雄・編「葛西善蔵全集」、梶野博文・発行「田畑修一郎全集」を挙げた。

 装幀家として、菊池信義の現在の活躍を教えてくれた。

 「読書の世界」では、ショーペンハウアー「読書について」の反語的論旨、ヘレン・ハーフ「チャリング・クロス街84番地」の古書店主と文学者の数十年の文通、草森紳一「本の読み方」では農耕民族として、秋ではなく、雨の日、冬の季節の読書を勧めている、と教えてくれた。
 読書は精神を衰えさせず、作品を生き残らせる方法だと締め括った。


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 10月14日(第2日曜日)、午後2時より、第13回「苜蓿忌(もくしゅくき)」が催された。
 昨年の
第12回「同」は、10月9日に催された。
 苜蓿忌は、郷土の故・詩人・広部英一さん(思潮社より、全詩集あり)を偲ぶ忌祭である。
 上の写真は、旧・清水町のきららパークで、詩碑前の碑前祭である。
 参集者は、碑前祭のみで帰った方を含め、約40名だった。
 実行委員のMさん、次いでKさん(詩誌「木立ち」の編集長を継いだ)の挨拶、K・Tさんによる広部さんの詩の朗読、献花、献本(詩誌「木立ち」関係)を以って碑前祭を了えた。

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 次いで隣接する「きらら館」の1室に移り、偲ぶ会(茶話会)が持たれた。
 Mさんの司会のもと、Kさんの挨拶、県ふるさと文学館館長の挨拶があった。Mさんの指名で、6名が広部さんの思い出を語った。
 いったん休憩に入り、広部さんの実弟によるハープ演奏が1曲(時間が押していたため)弾かれた。
 その後、4名の語りがあり、Mさんの「他に話したい人は?」に僕が手を挙げた。旧ブログ「サスケの本棚」にて、「広部英一全詩集」の各詩集、未収録詩編は何回かに分けて、拙い感想をアップした事を述べ、皆さんも感想を文章化する事を勧めた。
 これでもって、偲ぶ語りを了えた。故・詩人の夫人より謝辞があり、全体集合写真を撮って、偲ぶ会は4時半にお開きとなった。


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 9月15日午後1時半より、県教育センターの1室で、県詩人懇話会・主催の「第38回 会員の詩集を祝う会」が催された。
 今年3月18日の記事
「同・第37回」に次ぐ催しである。
 僕が2017年10月17日付けで発行したkindle版「詩集 日々のソネット」も入れてくださるという事で、また懇話会のカメラマン役として、参加した。

 僕の詩集(55編と目次、奥付け、等)のプリントは、会役員6名と中日詩人会に贈ってあり、当日は表紙と10編抄を表裏にプリントした冊子と、kindle版「改訂版 ソネット詩集 光る波」(2018年5月31日・刊)の宣伝パンフとを、会場で配った。
 参加者は事務局長によると、あとから参加した人を含め、19名だった。中日詩人会からの参加者・2名(男女の詩人)と、若狭からの参加者を含む。

 A・幸代さんの司会で始まり、懇話会・代表のW・本爾さんの開会挨拶があった(写真の場面)。
 K・不二夫さんの詩集「キャベツの図柄」ではA・雨子さんがインタビュー。
 僕の「日々のソネット」には、同人詩誌「青魚」代表のT兄がインタビュー。ほぼ手筈通り。
 H・信和さんの「たとえば一人のランナーが」は、同人詩誌「角」代表のK・久璋さんがインタビュー。
 会場からの発言もそれぞれ多く、他の二人も誠実に答えていた。

 内容は懇話会会報に載るだろう。僕も400字3枚の原稿を依頼された
 3人はそれぞれ、女性より花束を受けた。また参加者全員の集合写真を、センターの職員さんに撮ってもらった。新聞社社員らしい人も写真を撮った。
 会の最後に、祝われた人の返礼の言葉で、僕が「比喩は嫌いです。大学より帰郷して、以前のノートを見た時に感じました。短歌界でも比喩の多い歌人は、『如き歌人』と蔑称されます」と加えると、隣りのH・信和さんの表情が強張るのを感じた。反権力の比喩は、荒川洋治・詩集「水駅」で終わっている。
 S・副代表の閉会挨拶で、4時半に閉会した。

 詩の催しに参加すると、色々と貰える。今日も詩集2冊、同人詩誌1冊、中日詩人会会報No.193を貰えた。
 電話して妻に車で来てもらい、帰宅。「水脈の会」の詩誌「水脈」63号が届いていた。
 花束を妻に預け、飾ってもらった。


 詩人・岡崎純氏が死去されてちょうど1年、2017年6月10日(第2日曜日)、第1回・忌祭「蝸牛忌」が執り行われた。
 僕にも案内が来て、腰弱のため墓参は失礼し、午後の「集い」にのみ参加する旨、世話役の金田久璋さんへ電話で伝えてあった。

 岡崎純氏は、詩の活躍で数々の賞を受賞しただけでなく、詩誌「木立ち」、「角」の同人として詩誌を盛り上げた。
 また1985年の「福井県詩人懇話会」発足より、初代代表として、その人徳で25年間、会をまとめて来た功績が大きい。
 個人的にも、僕の第1詩集「みだれた足跡」に長文の跋文を頂くなど他、親しくお世話になった。

 僕は6月9日の夜、案内書、電車の時刻をメモした手帳、電車で読む本、等を枕頭に用意し、衣服も用意した。
 しかし10日の目覚めに、起き上がろうとすると、左足の脹脛に違和感があった。違和感は激しい痛みとなり、歩くに足を引きずり、階段は両手を付いて1段ずつしか上られなかった。腱というか靭帯というか、痛めたらしい。
 ここで敦賀市での「蝸牛忌」参加を断念した。詩人懇話会事務局長の千葉晃弘さんへ電話し、以上の事情で参加を出来ない旨、伝えておいた。

 ここにつたない1記事を書き、恩徳を偲び、追悼とする。
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写真ACより、「蓮の白花」の写真1枚。




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