風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

詩の催し

 11月21日(第3土曜日)の午後1時半より5時までの予定で、2020ふくい詩祭が、あおっさビル6階の1室で催され、僕も主催の福井県詩人懇話会のカメラマン役で参加した。
 なお2019年の、ふくい県詩祭in三国は、昨年10月27日の記事にアップした。画像が失せています。



 今年はコロナ禍のため定員38名、招待者2名(フルート奏者、講演者)の、計40名の参加の筈である。マスク着用、検温後の着席だった。時間は短縮された。
2020ふくい詩祭・全景
 T・めぐみさんの司会の元、懇話会・代表のW・本爾さんの開会挨拶で始まった。
 朗読3名のところ、K・ひろさんはケガのため欠席、N・明日香さんは高校3年の大事な時期なので教科担任のN・昌弘さんの代読、それにN・良平さんの自作朗読だった。
 浅川由美さんのフルート演奏(自作「光の風」、「皇帝円舞曲」「トルコ行進曲」メドレー、「越後獅子」「月の砂漠」メドレー、「アイネクライネナハトムジーク」1部)のあと、10分間の休憩。

 詩人の川口晴美さん」(福井県出身、受賞多数)の講演「詩のなかの多様な声と想像力」では、オーストラリアの詩祭への参加と、オーストラリア詩の翻訳を巡ってを、主に語った。1編を自身も2種の翻訳をし(「ゴミ」の題で)、教える大学生に翻訳させたところユニークな解釈の翻訳が返ってきたことなどを語った。


 シンポジウムは、「現代の若者にとって詩はどこにあるのか」をテーマに、K・不二夫さんのコーディネイトのもと、N・良平さん、H・信和さん、N・昌弘さんをパネリストとして進行した。N・良平さんは新聞社を退職したばかりでネットに詳しく、同人詩誌には書いていないがネットの詩のサイトに若者は参加し、参加者も増えていて、若者は詩より離れていない、と話した。小学校教員のH・信和さんは詩の授業で詩を書かせたりするが、児童は詩を書くことを嫌がらず、難しいことだとも思っていないようだと話した。N・昌弘さんは、高校教師として話した。対象が、青年男女、小学校生、高校生と食い違いがあったが、歩み寄ろうとするところで、僕は妻に車で迎えに来てもらうため、4時頃に退席した。閉会挨拶は撮れなかったが、他の写真はほぼ撮れたと思う。




 9月19日(第3土曜日)の午後一時半より、県教育センターの会議室を借りて、県詩人懇話会・主催の「第42回会員の詩書を祝う会」が持たれた。
 今年2月17日の記事、第41回・同に次ぐ詩の催しである。



祝う会全景
 第42回の今回は、コロナ禍のもと、体温検知、マスク着用の上の参加で、事務局に拠ると17名(写真に入らない人を含む)の参加だった。
 T・Aさんの司会のもと、懇話会代表のW・Mさんの開会挨拶で祝う会が始まった。挨拶では、「作者の素顔を、どういう思いを込めているかを、楽しみに、有意義な会にしたい」とも述べられた。
 今日の対象の3冊の著者、3名が詩1編を朗読した。
 次に1冊ずつ、著者へのインタビュー(前以って決めていた)があった。

 こじまひろ・詩集「逝き咲き」には、S・Sさんがインタビューした。60代からの異色の詩人である、素晴らしい後半生だと讃えられた。また「絶縁体」では、大工だった経験を活かして、古家の電気配線になぞらえて、生を語った。
 西畠良平・詩集「溶け出した言葉」は、K・Hさんがインタビューした。著者は、若くから詩を書いていたが、新聞記者となって作品の発表を制限し、新作31編で詩集を成し、遅い第1詩集となったと語った。詩集に頻出する「あなた」とは誰かの問いに、神であり(彼はクリスチャンである)、不特定多数であり、妻を含む特定の女性である、と答えた。これからのテーマを、リアリズム・オンリーでない時事詠としたいと語った。

 立石百代子・詩画集「喰うな!おれのだ!」は、インタビュアー予定のY・Mさんが都合で欠席なので、司会のT・AさんがY・Mさんの質問事項を読み、著者が答えた。著者は、高齢者にも文字を読んでほしく、詩画集を成したと語った。アフリカ訪問の経験が大きく、スラム街、サバンナの没り日にも打たれ、ライオンが草食動物を育てた話を、主題とした。娘さん、お孫さんが絵を担当し、次の詩画集のプランもあると語った。

 参加者は多くなかったが、会場からの発言も多く、盛会だった。予定をやや押して、4時20分頃に散会した。





 2月15日(第3土曜日)の午後一時半より、県教育センターの1室で、県詩人懇話会・主催の「第41回会員の詩書を祝う会」が持たれた。
 詩の催しとして、昨年10月22日の記事、「ふくい県詩祭in三国」に次ぐ。ただしこの間に、僕が参加しなかった、詩書を祝う会があったようである。



 参加者は26名で、事務局の想定を大きく越えた。
 H・信和さんの司会のもと、詩人懇話会・代表のW・本爾さんの開会挨拶のあと、当日の朝に亡くなられた会員・神子萌夏さんへ黙祷が捧げられた。

 M・あずささんの詩集「その心の海は」に就いて、A・雨子さんがインタビューした。内容と微細に触れつつ、スムーズな進行だった。
 Y・清吉さんの詩集「自然生死」に就いては、K・久璋さんが前以って質問事項をY・清吉さんに提出し、それに答える形で、原稿が読まれた。
 82歳にしての第1詩集、S・章人さんの「在所」に就いて、S・周一さんがインタビューした。S・章人さんの詩以外の文化的業績にも関わるものだった。

 詩集刊行者にインタビュアーより花束が贈られ、予定よりやや押して、午後4時20分頃に散会した。僕はカメラマン役だった。内容は懇話会会報に載るだろう。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


 10月26日の午後1時半~午後5時、坂井市三国町の三国コミュニティセンターで、「ふくい県詩祭in三国」が催された。僕は県詩人懇話会のカメラマン役を兼ねて参加した。
 昨年は11月19日、「2018 ふくい詩祭」に参加、の記事をアップした。


 

 今年は「日本現代詩人会創立70周年記念事業プレイベント」でもあり、日本現代詩人会・他、遠方から多数の参加があった。
ふくい県詩祭in三国・背景 (2)
 定員150名のところ、幾つもの椅子が追加された。写真に入らない関係者、数名があった。
 詩祭に先立つ12時半~13時、三国図書館所蔵のH氏賞・現代詩人賞・全受賞詩集の展示解説があった。

 式典・シンポジウムは、H・恵美子さんの総合司会で始まった。詩のコンクール(小・中・高校性、青年一般、の部)の表彰が行われた。
 開会の言葉は、70周年記念事業実行委員会会長・新藤涼子氏、ふくい県詩祭in三国実行委員会会長・渡辺本爾さんよりであった。
 来賓挨拶は、H氏賞創設者の次男・平澤照雄氏で、「H氏賞」の命名の由来について、貴重な話だった。1950年の日本現代詩人会の立ち上げの時、新人賞としてH氏賞を創設したが、創設者の平澤貞二郎氏が戦前、プロレタリア文学に関わっており、GHQの忌避に触れる恐れがあったため、名前を冠する事が出来なかった。

 講演は倉橋健一氏(大阪・在住の詩人)による、「現代詩における地方主義」。
 鼎談は「詩の地方主義」。佐野周一さんのコーディネイトのもと、川上明日夫さん、金田久璋さん、張籠二三枝さんが、熱く語った。
 閉会の言葉は、70周年地域別記念イベント部会部会長・新延拳氏。高見順の荒磯の詩を暗誦し、福井の厳しい風土から来る、厳しさと優しさを讃えた。
 午後5時ちょうどに式典・シンポジウムが終わり、場所を移して懇親会が催されるところ、僕は失礼して他の方と帰途に就いた。



 10月5日(第1土曜日)、毎年秋に催される、故・詩人、広部英一さんを偲ぶ、苜蓿忌の第14回が持たれた。
 第13回・同は、昨年10月昨年10月15日の記事にアップした。

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 午後2時より、旧・清水町のきららパークにある、広部英一さんの詩碑の前で、碑前祭が持たれた。
 実行委員長のM・Mさんの挨拶、広部さんより詩誌「木立ち」編集長を継いだK・Aさんの挨拶があった。K・Aさんの挨拶の中で、前日の雨が上がって、好い日和となった事を喜んでいた。
 広部さんの詩の3編を、2人が朗読した。広部さんの実弟さんのハープ伴奏とともに。
 献花と献本2冊で、碑前祭をしまった。

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 詩碑の前の献花と献本である。

 このあと隣接する、きらら館の1室に移り、偲ぶ会(茶話会)となった。

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 参加者は、35、6名だった。昨年は欠席した人、数年ぶりの人もあり、新鮮な顔ぶれだった。
 M・Mさんの司会で、7名が思い出を語り、新しい話ばかりで、偲ぶ思いの籠もった感銘深い話だった。
 広部さんの実弟の方のハープ演奏1曲があり、スイーツとボトル茶のお八つタイム。
 続いて3名の話があり、故・詩人の夫人の謝辞で偲ぶ会を締めくくった。
 帰り際、このブログを「見ましたよ」、「見てる人多いですよ」と声掛けしてくださる方があった。



 

 現代詩作家・荒川洋治氏(高校文芸部の1年・先輩)の恩賜賞・日本芸術院賞受賞記念講演が、8月17日(第3土曜日)の午後2時より、福井県立図書館の1室で行われ、僕も予約聴講した。
 詩の催しとして、今年6月24日の記事、第2回「蝸牛忌」参加の記に次ぐ。

荒川洋治 講演会
 午後一時半、会場に着くとすでに開場しており、待ち合わせた詩人のA・雨子さんが廊下にいない。会場内に彼女の姿を見つけ、(3椅子1組の右端に座っていたので)1つ後ろの席に座り、約束していた「方言集」新版3部、室生犀星の「我が愛する詩人の伝記」(古本、ビニールカバーに包んで)を渡した。
 講演のあとサイン会があるということで、何も持って来なかった(先日に買った現代詩文庫「続々 荒川洋治詩集」を持って来れば良かった)僕は、そのサイン会で方言集を渡そうと、A・雨子さんより1部を戻してもらった。


 講演者の荒川洋治氏の入場、登壇には会場(定員150名1杯)から、暖かい拍手が起こった。県・教育長(?)より、記念品・贈呈。
 講演は、詩・評論の活動を振り返って始まった。小学生時代は内気な子で、自分で打破するべく、中学校の生徒会の書記・会長を務めたこと。中学時代、国木田独歩の「山林に自由存す」に倣って海岸の松林を巡ったところ、20余編の詩が生まれ、自信が付いたことなど。
 ユーモアを交え、時に毅然と語り、僕は小声で笑ったり涙を拭ったりして聴いた。高校生時代の思い出として、僕の本名(フルネーム)やM・晴美さんの名前も挙げられた。
 後半、僕は腰が痛くなり、迷惑になる前にいったん退席し、喫茶室でアイスコーヒーを飲んで、休憩した。20分くらいで席に戻った。講演は自作「美代子、石を投げなさい」の朗読で、予定の3時40分丁度に結着した。講演終了・退場にも会場より、惜しみない拍手が送られた。

 サイン会の前、廊下で荒川洋治氏に方言集を、「プリントの粗末なものですけど」と手渡して、一礼した。
 帰ろうとすると、作家・評論家のH・二三枝さん(高校文芸部の後輩)に会ったので、「荒川さんに挨拶したら」と促した。彼女は「このあと、荒川さんたちと三国町(2人の出身地)で、慰労会(?祝賀会?)があるの」と言うので、僕は思わず「羨ましいなあ」と嘆声を上げた。




 昨日の記事、第2回「蝸牛忌」参加の記、の余話を書いてみたい。
 開催場所の敦賀市立北公民館への辿り着き方が僕はわからないので、所属する同人詩誌「青魚」の代表、T・晃弘さんへ前以って電話で連絡し合い、JRローカル列車で、12:12福井駅発、13:03敦賀駅着の便で敦賀駅へ行き、あとは近距離をタクシーで行くことに決まった。前夜、北公民館をネット検索し、地図をプリントした。
 車中では、鯖江駅よりのT・晃弘さんに会わなかったので、別便だったかと思った。敦賀駅で、T・晃弘さん、O・あき子さん、Mさん夫妻と出会い、安堵した。タクシーの2台に分乗し、数分で北公民館に着いた。
 公民館ホールのロビーで、基調講演をするS・道明さん、山岳エッセイストで福井詩界と関わり深いM・迪男さんに声を掛けられた。

「角」第50号
 プログラムには書かれていないが、実質的世話役の「角の会」の、K代表が同人詩誌「角」の最新号、第50号を下さった。会場では、顔見知りの福井の文学者の方々と、挨拶を交した。
 第2回「蝸牛忌」は、充実した催しだった。
 帰途、徒歩でJR敦賀駅まで行く数名と別れて、僕はT・晃弘さんを道連れにタクシーに乗った(僕は足腰が弱いので)。駅でお互いに飲み物とお八つを買い(徒歩でゆき、喫茶店に寄る人たちとはぐれたので)、話をしていると、当日に2度登壇したI・秀子さんが現れて、列車を待つ間に様々な話で約50年来の旧交を温めた。
 中日詩人会から唯1人、名古屋市近くから参加した、男性詩人が現れ(お名前は失念した)、岡崎純さんに救われたことがある、と語った。しばらくして特急列車で帰宅するらしく、去って行った。
 出発17:51の10分くらい前に、3人は敦賀駅発のローカル線に乗った。既に電車の席に、詩人のH・秋穂さんが寂しそうだったので、旧知の僕は横に座って、彼の文学の博識を聞いた。発車前に、徒歩で駅に至った人たち数名も乗り込み、忌祭の盛り上がり醒めやらぬまま、それぞれの降りる駅に着くまで、文学談を語り合った。
 僕は、車で福井駅まで送ってもらった時と同じく、妻とSMSで連絡し合い、ちょうど車に乗せてもらって帰宅した。当日の内に、第2回「蝸牛忌」の記事を書き始め、日を越して書き上げ、24日0時15分に公開した。


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