風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケは、2017年10月17日付けでのAmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)の発行に続き、第5詩集「改訂版 ソネット詩集 光る波」(縦書き)を、2018年5月31日、Kindleストアにて発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 2011年10月1日・刊の紙本「ソネット詩集 光る波」に、数十ヶ所の加筆をし、編集しました。
 販売ページは、Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 ソネット 光る波」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。右サイドバーのバナーよりも着けます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。

評論、エッセイ、対談集

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 対談集「阿川佐和子のこの人に会いたい」を読み了える。
 阿川佐和子(あがわ・さわこ)はエッセイストであり、作家・阿川弘之の娘である。
概要
 初出は、週刊文春の1993年5月~1997年1月まで。
 181人の登場の内、22人分を収める。時間は毎回2時間。
 文春文庫では、1997年第1刷、2000年第7刷。403ページ。
感想
 2018年現在、約21年~25年を経ており、読後感は重い。
 対談に登場する人物は、各界の大物である。
 また既に亡くなった方、現役を引退したイチロー(当時・オリックスで活躍中)、若乃花(当時・大関)、曙太郎、小室哲也ほかの人物の、その後の人生をわずかながら僕が知っている為でもある。
 あとがきに「会って一生懸命話を伺えば、必ずおもしろい発見があるものだ。」とある通り、相手は威厳がありながらリラックスして、時には無邪気に語る。人には自分を語りたい欲求があるものの、話を引き出す阿川佐和子の才能でもあるだろう。


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 室生犀星の評伝集「我が愛する詩人の伝記」を読み了える。

 実は同じ内容の本の4冊目である。
1・中公文庫で、若い時に読んで(高校生時代ではないだろうから、帰郷して20代に)、とても感激した。僕が6冊本全集を読み通した、立原道造に就いても親密である。
2・その本を、代行業者にpdfスキャンして貰って、CDに収め、電子書籍として。
3・そのCDがミスでクラッシュしてしまったため、他の文庫本を購入して読んだ。
 詩の友人、こぐま星座さんに、「詩人の交流は、こうあるべきだよ。」と譲った。
4・この中央公論社の単行本を買う。1958年12月・初版。

 この伝記は11名の詩人を、回想し、調べ物をして、書かれた。
 北原白秋、島崎藤村等、先輩詩人には敬愛の念を込めて、立原道造、津村信夫等、後輩詩人には親密の情を込めて、書かれている。
 何回も読んでいると、初めから読み通す必要はない。何ページかを読んでみて、「そうだったなあ」と思い出し、ある時には「そうだったのか」と再発見する。盟友の萩原朔太郎に就いては、懐に入って述べている。

5・実はこの古ぼけた、カバーが傷み、本文に薄いヤケの入った本が物足らず、講談社文芸文庫のkindle版を購入し、タブレットにダウンロードした。60年も形を替えて出版が続いた、ひそかに人気のある本らしく、価格は1,242円だった。

我が愛する詩人の伝記 講談社文芸文庫
 初期設定では、1行の字数が少ない。元の本にあった、モノクロの胸像写真がない。それらは許すとする。
 電子書籍の色々な機能を使えるけれど、古びない本を入手できた事が、1番ありがたい。


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 村松友視の長編エッセイ「アブサン物語」を読み了える。
 小説では今月12日、
同・「時代屋の女房 怪談篇」を記事アップした。
 また5月17日には、
同・「海猫屋の客」を記事アップした。
 村松友視の3冊を続けて読んだが、僕の文庫本棚にはもう、彼の本はないだろう。
概要
 原著の単行本は、1995年12月、河出書房より刊行され、ベストセラーとなった。僕は微かに記憶がある。
 河出文庫・文芸コレクションでは、1998年9月4日、初版。209ページ
感想
 僕は以前に1度、この本を読んだ事があるようだ。拾った子猫(声が枯れていたので「アブサン」と命名)が、ゴロゴロ喉を鳴らすのを、初めての奥さんが、怒っていると勘違いした辺りで、僕は読んだ事があるらしいと思った。しかし覚えているのは、このエピソードだけだった。
 子供のいない夫婦の、猫への接し方は、可愛がりながら穏やかである。
 21歳(人間なら100歳越え)で老衰して逝く前、前足を揃えて立ち最後の挨拶のようであった事、奥さんの腕の中で逝いた事、猫に敬意をも払っていた作家は、感動して描いている。


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 今月9日の記事「届いた3冊」で報せた内、川上未映子による村上春樹へのロング・インタビュー「みみずくは黄昏に飛びたつ」を読み了える。
概要
 2017年4月25日、新潮社・刊。345ページ。
 第1章は、「職業としての小説家」を中心として。
 第2章~第4章は、おもに長編小説「騎士団長殺し」をめぐって。
感想

 改稿回数(「騎士団長殺し」で10稿)とか女性性について、新しい話もあるけれど、地下2階論とか、これまでの繰り返しの部分も多い。
 第1章で彼は、「僕がいつも言うことだけど、優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない。」と述べるけれども、僕は初めて聞いた。名声で押し切っているのではないか。
 「職業としての小説家」は話題にのぼらなかった。
 また「騎士団長殺し」は、アンチ・村上春樹にも、村上春樹・支持者にも、あまり評判は良くなかったようだ。
 言い訳めいて聞こえる。
 これだけのロング・インタビューを発行して、批判を封じているようにも読める。
 「ねじまき鳥クロニクル」でピークを迎えて、「アンダーグラウンド」等で転換を図り、発表を続けているが、勢いは(深さは別として)衰えたのか。
 彼は執筆に関する本を、何冊か出版していて、彼の作品を深く読めるようだが、読者は言いなりになってはいけない。



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 先の3月30日の記事「届いた4冊」で到着を報せた内、文学総誌「縄文」第2号を、ほぼ読み了える。
 
同・創刊号の感想は、昨年10月4日の記事にアップした。
概要
 2018年3月31日、「縄文の会」(代表・前川幸雄)・刊。B5判、2段組み、28ページ。執筆者6名。
感想
<地域研究>2編は、教育の右傾化に従っているようで、ここでは評を避ける。
<漢詩>
 Y・絹江さんの「訪墨西哥古代都市遺跡」(メキシコ古代都市遺跡を訪ぬ)は、5言絶句。日本と、メキシコと、中国の文化が、集合するようだ。モノクロ写真を添える。
 M・昌人さんの「岡田啓介」は、7言絶句。郷土・出身の首相・岡田啓介を僕はよく知らないが、1ページ上段で紹介し、下段に漢詩と通釈文と語釈を載せている。
<一般研究>
 Y・信保さんの「ナマズの謎を追う(1)」は、彼が小学3年生以来の謎(ナマズを食べない家系がある事)を追って、中学~大学に入って解明を続け、「阿蘇の神」の使いとして、氏子がナマズを食べない習俗がある事を突き止める。
 次号で更に論を展開する、という事で期待される。
 前川幸雄さんの「「三好達治展」を見て思ったこと」は、12ページ余に渉る。
 漢詩の翻訳がある三好達治は、西欧詩ではヴェルレーヌの詩を好んだ所から入り、漢詩、西欧詩で隔句交互韻(脚韻)を採っている事を、原文、邦訳、解説を掲げて示している。
 了いに、それらの邦訳では韻を訳出する事が殆んど不可能だと述べている。



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 先の3月30日の記事、「届いた4冊」で到着を報せた4冊の内、村上春樹の旅行記「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読み了える。
 再訪を含めて、10編の旅行記を収める。
 2015年、(株)文藝春秋・刊。
 僕が彼のエッセイ、ノンフィクション、翻訳(1部)まで読むのは、彼の文体に惹かれるからである。
 豊かな、余裕ある文体は、彼のたゆまない執筆に養われたものだろう。
 学ぼうと思えば、文法的に主語と述語がしっかりしている事、自然描写を惜しまない事など、多くがあるだろう。
 僕は短歌の世界に入っているので、1首に主語がなければそれは「私」であるとか、省略された所は補って読むように、などの指標のある所で、小説家の文体には敵わない、と思う。
 タイトルがコピー的には苦しげだけれど、ラオスに行く中継点でヴェトナムの人の言葉のニュアンスだったそうだ。答えは「その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから」。
 未知のものを探すために、未知の世界へ出掛ける勇気も、若さも、今の僕にはない。新しい作家の小説や詩(短歌は比較的新しい歌集も読んでいるけれど)を、ほとんど読まない。温故知新的な心境に近い。


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 村上春樹のオリンピック・レポート「シドニー! 2 ワラビー熱血篇」を読み了える。
 
同「1 コアラ純情篇」は、今月19日の記事にアップした。
概要
 文春文庫、2016年・5刷。価格:550円(税込み)。全額、電子辞書を買った時の、楽天ポイントで支払った。ポイントで辞書ケースを買う予定だったが、Amazonで廉価で出ていたので、そちらで買い、楽天ポイントは本を買う時に使う事にした。
 3月18日・注文、3月21日・着(ゆうパケットにて)。これらの事は忘れていたが、楽天の「購入履歴」より辿り得る。サービスの良い時代である。
感想
 彼はセレモニー嫌いらしく、「1 コアラ純情篇」でも、開会式の選手入場行進の途中で退席している。
 閉会式の取材では、「仕事じゃなかったらさっさと席を立って帰っちゃうんだけど、せっかく文藝春秋が僕のために貴重な取材チケットを手に入れてくれたんだし、…」と不満を述べる。
 各競技では、その面白い点を見つけて、優勝どうこう以外のレポートをしている。女子400メートルの競走でオーストラリア・アポリジニーの選手が優勝した時、オーストラリア内の「和解」のしるしを読み取り、「シドニー・オリンピックはオーストラリアという国の精神史にとって、やはりマイルストーン的な意味を持つことになるのかもしれない。」とまで書く。
 シドニーを去る記事で「オリンピックはとても退屈だった。」と書きながら、退屈を通して感銘(のようなもの)あたりが、現実よりのまっとうな精神の高みではないか(省略あり)、と述べる。
 巻末に前篇の巻頭で触れた、マラソンの犬伏選手と河野監督へのインタビュー、有森裕子選手へのインタビュー、それにあとがき、文庫版のための短いあとがき、で締め括っている。


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