風の庫

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短歌研究会B

 7月30日(第5日曜日)の朝9時半に、メンバー3人がある喫茶店の1隅に集まり、短歌研究会B第17回を持った。
 
同・第16回は、今月1日の記事にアップした。
 研究会の前に、少し早く来た僕は、かき氷のレモンを食べていた。やって来た2人は、アイス菓子とアイスコーヒーを摂った。歌誌の貸し借り、返却をする。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「砂光る」の章(86ページ)の初めより。
 1首目の「重ねこし両手(もろて)を解きて椅子を立つ判決放送の終りたるゆゑ」の初句、なぜ「重ねゐし」ではないのかと、Tさんが問う。(「判決放送」は、1948年の「極東軍事裁判所」のA級戦犯への判決である)。もっともな問いであるけれど、時間が長く、作者の思い入れが強かったのだろう。
 次の「廿五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし」の下句は、他人とは違う感慨があり、それに耐えている思い、と僕は読んだ。物思いを整理するため、という意見があった。
 「砂光る」の初めは、思いをはっきり言う事が憚られるため、「回り持って言う」点があると、Mさんは述べた。
 「をさな子二人」の節では、「吸殻を灰にうづめぬ平(なら)されて」の歌は、判決放送より平静を取り戻したかに思える。
 「するどき音」の章では、「禱るがに秘めて耐へこし一つごと妻居らぬ部屋に座りてゐたり」の秘め事は、従軍に関わる事、大事な事だろう、と推測した。
 「わが胸に住む兇暴の鴉らが西に東に漂泊(さまよ)ひて鳴く」、「翼(はね)搏ちて荒寥と空に鳴きあぐるまがつ鳥鴉を胸ふかく飼ふ」の2首に、他のメンバー2人が共感を示した。
 この章を了え(89ページ)、10時半過ぎながら、研究会を仕舞った。次の研究会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


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 昨日(6月30日、金曜日)にメンバー3人が、朝9時半に喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第16回を持った。
 
同・第15回は、先の6月4日の記事にアップした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「白梅紅梅」の章の、4首目から(81ページ)。
 「屈竭(くつかつ)のこころ放ちて仰ぐらく」という上句の「屈竭」がわからない。「竭」の字は漢和辞典で探せるが、意味がよくわからなく、「渇に通じる」だろうか。思いが渇き屈している意か。
 「梅の園尽きむとしつつ草の上(へ)に羞ぢらふごとく白(しろ)散りて来つ」の「羞ぢらふごとく」の比喩は、白い小さい清楚な花の散りようを指すだろう。
 「うつうつと汗ばむ吾が身」という上句の「うつうつと」は、「うとうとと」の意味である。
 「昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚(わめ)きし妻は何者」は、奥さんの英子さんが夫の深酒に喚いた事はない、と証言しており、宮柊二も「詩的真実」と認めていたらしい。
 「おもおもと空の曇りの退(ひ)きし門(かど)向日葵に夕べあきつ集る」の初句の「おもおもと」は辞典になかったが、「重々しく」の意で、「退きし」に掛かるのだろう。
 上句が「雨ののちのぼれる月の照れれども」の「照れれども」の後の「れ」は、完了の助動詞「り」の已然形である。
 1時間が過ぎた10時半頃、Mさんが僕の腰痛の具合を訊いてくれ、切り上げる事にした。貸し借りの本を返し、Tさんが先輩の歌集を、Mさんが収穫したたくさんの李を、僕に下さった。僕はタブレットより、最近の花の写真と、Amazon Kindleに収めた歌集を、説明した。
 次の会の日程を決め、10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


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 6月2日(金曜日)に、5月30日・予定だった短歌研究会B第15回を、僕の都合で日程をずらして持った。
 
同・第14回は、先の4月29日の記事にアップしてある。
 喫茶店の1隅に、メンバー3人が、朝9時半に集まった。
  僕がTさんに借りていた歌集を返し、ツイッターの話などのあと、研究会に入る。
 同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 歌集「小紺珠」より、「小現実」の章の「赤い燠」の節(76ページ)より入る。
 1首目「「もっと苦しめ」といふ声ぞする」の苦しみの源は、従軍体験と作歌の困難を、重ねているのだろう。
 「袖無し着たり」の幼子は、当時として豊かだったか貧しかったか、今の僕たちにはわからない。
 「黄と仄青(うすあを)のけむり行く」の「仄」は淡ではなく薄でもない、拘りがあったのだろう。焚き火の煙を詠むのは、他の歌にある「小現実を歌にせむかな」の実践である。
 「いくばくかわれの心の傾斜して日当る坂を登りつつあり」の「傾斜」を、僕は崩れ、後退かと取ったが、内向きになっている、「坂」との縁だろう、という意見だった。また、宮柊二は結句が上手い、という感想が出て、改めて意識した事だった。
 「わが国人(くにびと)の」の句があって、日本人を指すのだろうが、郷里の人を指すか、よくわからなかった。
 「たたかひの中に育ちし子のまへに多く黙しておくれゆく父」の、「子」は自分、「父」は実父を指すのだろう。
 歌集「晩夏」(1951年・刊)に入り、3首進んだ(81ページ)所で、僕が腰痛でギブアップした。喫茶店のベンチ椅子が固い。
 予定は11時までの所、10時半に、次の予定を決めて散会した。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


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 昨日(11月13日、日曜日)の午後1時半より、僕と女性2人のメンバー3人で、短歌研究会B第9回を、某喫茶店の1隅で持った。
 同・第8回の
記事(←リンクしてあり)は、先の10月7日付けでアップした。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 今回は主に第二次大戦に従軍中の作品を集めた「山西省」より、昭和17年(1942年)の作品、5ページを読んだ。
 「…静かなる夜半なり雪に砲声きこゆ」は、「静か」と「砲声」の逆説が、従軍の極度の緊張を表わしている。
 「滹沱河(こだがわ)の水の響の空を打ち秋は来にけり大き石の影」は、純粋に叙景歌として成立すると、3人の感想が一致した。
 「馬家圪垜(ばかきつだ)」は、地名であろうと推測した。
 「鞍部」は、「山の稜線のくぼんだ所」とわかる。僕とMさんの電子辞書に、同じ広辞苑第6版電子辞書版が入っているので、すぐ一致した解が出る。
 照る麦の穂を見て笑いがこみあげるのは、平和と戦争のギャップから来るようだ。
 「もの悲しく小鼓と鉦を打つきこゆ」の上の句は、葬儀の様らしいと推測した。
 昭和17年分の最終の「耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず」は字余りの1首として有名で、思いは確かには判らないが、戦争の非人間性を怒る歌だろう。
 他にも様々に語り合った。
 2時40分頃に研究会が済んだが、次回の研究会Aの日程を決め、支払いで僕がTさんに面倒を掛け、3時頃に散会した。
菊6
フリー素材サイト「Pixabay」より、菊の1枚。




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