風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

ふくい県詩祭

 先の10月28日の記事、ふくい県詩祭で頂いた3冊、で紹介した内、同人詩誌「角(つの)」第51号を読み了える。


 今年7月11日の記事に、同・第50号を読む、をアップした。



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 第51号は、2019年9月5日、角の会・刊。詩は12名12編、散文で特集・第二回蝸牛忌の3名3編を収める。
 O・雅彦「やむやの淵の記憶」は、塩冶(やむや)の淵の岸辺で、詐計を用いたヤマトタケルに敗れるイヅモタケルに、自分をなぞらえる事で、自分の人間性と反権力性を表現している。
 K・悦子さんは「夏のソネット」を寄せる。県内の同人詩誌で最近、ソネットを散見する。僕のソネットに倣った訳ではないだろうが、詩ではソネットばかり書く者として、ソネットの隆盛を願う。
 Y・清吉さんの「ぽかんの刻(とき)」は、「いつからか知らんが/なーもかんじん/なーもおもわん」と始まって、「ただぽかんと静かに/何かを待つ 己がいた」で締める。老耄の心境を開示して、新しい詩境を拓いた。

 特集・第二回蝸牛忌では、同人外ながらK・不二夫さんの「蝸牛忌の鼎談から「ワキ的位置に立つ詩人 岡崎純」」に不満である。鼎談の直前の、先輩詩人・定道明さんの講演(長年の交流、実地検証、長い考究による実証的なものだった)を、K・不二夫さんが否定して、印象批評を述べた事に反発を感じた。本文では「作家論的に語れない弱みから、・・・」と認めている。
 また岡崎純さんのエッセイ「詩人のワキ的存在について」から、詩集「重箱」「藁」の作品を能になぞらえているが、不十分である。ワキ(主に僧)が、浮かばれぬシテの霊を、誦経などにより魂鎮めして、成仏させるのが、能のストーリーである(僕は朝日古典全書「謡曲集」全3冊を読んだ)。能になぞらえるなら、ワキ(詩人)がシテ(家族や農民の魂)を呼び出すだけでなく、詩化する事で鎮める、岡崎純の初期作品である。



 先の10月28日の記事、ふくい県詩祭で頂いた3冊、で紹介した内、同人詩誌「果実」81号を読み了える。
 同・80号を読む、は今年4月11日の記事にアップした。



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 同・81号では、教員経験者ではないかも知れないが、同人F・則行さんが代表の創作童話誌等の関わりからだろう、U・千枝美さんとK・八重さんが新しく同人に加わった。
 U・千枝美さんの「おさがり」から。彼女の詩集「ひこばえ」を含め、第36回・会員の詩集を祝う会(2017年9月17日の記事)で、K・八重さんがU・千枝美さんを良妻賢母の典型と紹介したから、そのようなイメージを僕は持っていた。しかし「兄のおさがりをねだった」等、ボーイッシュな願望があったようだ。もっとも「私もいいおばあちゃんになったなあ/と息子に思われたい」と良き家庭人か。
 N・昌弘「はしもと君やろ」は、施設に入った義父から、「はしもと君やろ」と無邪気に言われて落胆する話である。社会や政治の悪意ある不条理より、認知症の不条理が怖い。
 T・篤朗さんの「ラジオ体操」、「橋の上の風景」は、共に弱い少年を擁護している。
 エッセイでは、W・本爾さんの「「馬鹿ばやし」の紹介を兼ねて」が、地元の伝統芸能「馬鹿囃子」を紹介して貴重である。
 F・則行さんの「ぐうたらな老いのひと日」は、2019年8月21日の、5:50の起床より00:50の就眠までを、時間順に記録する。2新聞をていねいに読み、食前酒、缶ビールを飲み、午後には公園へ出掛ける。夜にはテレビを観、本を読んで眠る。世をサボタージュしたダルな1日を送る(彼は児童文学等に関わり、重要な役がある)のは、世を拒否する、というより非協力の抵抗だろう。


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