風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年2月20日で以って、Kindle本・短編小説「底流」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「柴田哲夫 底流」と検索すれば、すぐに出て来ます。柴田哲夫は、Kindle版・詩集「詩集 日々のソネット」、「改訂版ソネット詩集 光る波」と同じく、僕のペンネームです。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

エッセイ

 先の6月29日の記事、届いた2冊を紹介する(13)でアップした内、結社歌誌「覇王樹」2020年7月号を読み了える。
 これで(13)は、青木祐子「これは経費で落ちません! 7」と共に、2冊の感想をアップし了えた事になる。



 上記リンクには、同・6月号の感想、結社のホームページ「短歌の会 覇王樹」、僕の6首・他、3つへのリンクを貼ったので、ご覧ください。

「覇王樹」7月号
 7月号の表紙である。

 7月号には、巻頭の「橋田東聲の歌」6首(歌集「地懐」より)から始まり、巻頭八首抄(1首×6名)、同人特選の「爽什」6首×10名、「文月10首詠」10首×4名と続く。同人の3集、準同人の「紅玉集」、会員の「覇王樹集」に、各名6首ずつ収められる。

 顧問、H・俊明さんの「覇王樹人の歌碑(43)金子信三郎の歌碑」が、モノクロ写真2枚と共に、見開き2ページに載る。
 顧問、W・茂子さんの連載エッセイ「落とし文考(67)」、編集委員、S・素子さんの研究「後水尾院時代の和歌69 ―七夕御会ー」が、共に1ページである。募集エッセイの「私の好きなこと・もの」は2名1ページに収める。


 題詠「風」(僕は欠詠した)は19名が1首ずつ寄せた。「受贈歌誌抄」は、2誌の5首ずつを取り上げる。「私の選んだ十首(五月号)」は、「覇王樹」5月号の10首選を3名が寄せた。
 各集の5月号の批評を、評者4名がピックアップして評している。「受贈歌集紹介」では、6冊を2ページに渉って手厚く紹介する。各地の歌会も紹介される。
 佐田代表の「令和二年、春」12首は「現代短歌新聞」五月号より、S・素子さんの1首と短文「桜とわたし」は「梧葉」春号より、H・美智子さんの「天よ」5首は「現代短歌新聞」五月号より、それぞれ転載された。


 以下に2首を引き、寸言を付す。
 H・俊明さんの「彩虹」6首より。
苞もたげ雪餅草の光抱く白にも濃さのあるを気づきぬ
 昔の20年間、3坪の温室でカトレアなどを咲かせたので、花の色は絵にも写真にさえも写せないと知らされた。
 佐田代表の「五年を経たり」6首より。
君の着し背広Tシャツランニング捨てられずまた戸棚に仕舞ふ
 優れた亡夫恋6首である。いずれも亡き夫への篤い思いが籠った、具体的な詠みぶりである。




 Kindle版「室生犀星作品集」より、童話とエッセイを読む。
 怪談とエッセイ2編をを読んだ前回は、先の5月17日の記事にアップした。



 童話は「不思議な魚」と題する。漁師の息子が、ガラス箱の中の小さな人魚を二つ買い、海に戻らせる。ある鰯漁で、漁師と息子は、人魚のおかげで大漁を得る。
 地蔵や動物の恩返しものだが、人魚、漁師の点が新しい。初出「キング」1926年11月号、底本の親本「室生犀星童話全集 第3」1978年・刊。

 エッセイは、「交友録」と題する、短い作品である。朔太郎や白秋、他との交友を述べる。
 いずれ出版社に頼まれて、困ったあげくに書いたものだろう。しかし後の「我が愛する詩人の伝記」に繋がるとすれば、貴重である。底本の親本「室生犀星全集 第7巻」新潮社、1964年・刊。
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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。



 Amazonからタブレットにダウンロードした、Kindle版「室生犀星作品集」より、怪談1編とエッセイ2編を読んだ。
 先行して「忘春詩集」を、今月11日の記事にアップした。



 怪談は「あじゃり」と題する。峯の寺の阿闍梨は、孤高に住んでいたが、他寺に100日の修行より帰る時、一人の童子を連れて来た。稚児趣味ではなく、実の親子という。仲睦まじく住んでいたが、童子が病気になり亡くなると、阿闍梨は取り乱していた。ある禅師が後日、寺を訪ねると、阿闍梨はされこうべを抱いたまま、衣類と白骨になっていた。以上がストーリーだが、孤高の僧が人間の情に囚われて滅びる、反宗教色を見るのは、うがち過ぎだろうか。
 犀星が寺の内妻に貰われたという、出自も関わるかも知れない。

 エッセイの1編は、「芥川の原稿」である。犀星が芥川龍之介の部屋を訪ねると、先客の雑誌編集者が原稿の強要をしている。来月号に書く約束で、編集者は帰る。
 編集者の眼力を恐れる事に触れる。またある編集者は、芥川の原稿を書巻にして大事にしたという。犀星の回顧談だろう。

 もう1つのエッセイは、「冬の庭」と題する。作庭趣味のあった犀星が、冬の庭には春夏秋の手入れ、心遣いが表れると述べ、冬庭の眺め方を説いている。骨董にも作庭にも趣味がない僕は、ははあそうですかと拝読するよりない。
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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。




 今月26日に、福井県詩人懇話会会報・102号を受け取った。
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 2020年3月30日付け・刊。B5判、18ページ。

 昨年10月27日の記事にアップした、「ふくい県詩祭in三国」について、5名が5ページの記事を書いた。


 詳細については、今年10月に発行予定の「詩集ふくい2020」に、僕の撮った写真を含めて、収められるだろう。

 昨年9月14日の、第40回会員の詩書を祝う会を、僕は失念して欠席した。会報には、5枚のモノクロ写真と共に、3名が3ページに書いている。

 今年2月17日の記事にアップした、第41回会員の詩書祝う会も、祝われた3名が、3ページ半に書いている。この記事の7枚の写真(モノクロ化)は、全部、僕の撮ったものである。



 毎日新聞福井版にリレー連載の「へしこ」欄から、3名6編のエッセイを転載した。
 則武三雄記念・詩の教室からとして、D中学2年生の、10名10編の短詩を収めた。
 また会員だった、恋坂通夫さん、神子萌夏さんのご逝去も報された。




 所属する結社歌誌「覇王樹」の2020年1月号を、ほぼ読み了える。
 到着は、今年元旦の記事、同・1月号が届く、にアップした。


 リンクには、昨年12月号の感想、結社のホームページ、僕の掲載短歌のブログ記事、3つへリンクを張ったので、ご参照ください。

覇王樹 1月号

 通常の記事の外、睦月10首詠は6名(これまではほとんど4名だった)、力詠15首2名の復活がある。
 またS・素子さんの評論「後水尾院時代の和歌63 ー正月御歌会始めー」も、狂歌の研究より、和歌の研究に戻って(全国大会でのお話通りだった)好ましい。
 「私のすきなこと・もの」のエッセイ欄2名1ページが新設され、I・謙三氏が「晩酌好き」、N・寿美子さんが「私のすきなこと」で写真好きを、開陳している。


 以下の3首に、寸感を付す。
 I・正太郎氏の「近郊逍遥」6首より。
若きらのリチウムの風の涼しかろ吾は手動の扇の風に
 先の夏に、1部の若者が使った、携帯扇風機を早くも詠んで新しい。
 A・良子さんの「スッポン述懐」6首より。
時期すぎて今年は一本の曼殊沙華小さき火傷のごとく枯れゆく
 「小さき火傷」の比喩が、心をも喩えて秀逸である。僕の短歌上の比喩嫌いを見直す程に。
 F・タケ子さんの「物干し竿」6首より。
補聴器の電池をかえる友待ちてただ四ったりの会始まれり
 少人数の和やかな、しかし盛んな歌会を思わせる。


 思潮社・現代詩文庫242「続続・荒川洋治詩集」より、詩編を過ぎ、「散文」に入る。
 先の11月26日の記事、同「未刊詩篇<炭素>」を読む、に次ぐ。



 「散文」編には、短い批評とエッセイ、13編を24ページに収める。
 彼は恩賜賞・芸術院賞の推薦理由に、詩作品の他、批評の業績を多く挙げられた事を、喜んだようだ。しかし、評論はその時にも評価されにくく、後世に残らない業だと思う。小林秀雄を、中村光夫を、今は誰も語らない。創作しか、後世に残らないだろう。小説なら、今はややマイナーながら、色川武大、庄野潤三のファンはいる。
 彼の評論も、詩人の評論として、わかりやすい意外さで好評なのかも知れない。
 もう1つ、彼が「文学も出世の手段としか考えない」と詩で書いた事を補助線とすると、彼の詩人への評価がわかる気がする。ほとんど無名で没し、その後に超有名になった宮沢賢治を、許せないのだろう。詩「美代子、石を投げなさい」で、娘に石を投げるよう勧めている。また、「破滅的である事によって、自分の人間性を証明する」とした田村隆一を始め、多く無頼的だった戦後派詩人に、追随しなかった理由の1つだろう。


 彼は「文学は実学である。経済学のスパンが10年か多くて20年先までしか論じられないが、文学は人の一生を左右する」と、繰り返し述べる。批評「文学は実学である」から始まる主張である。僕は、全くそうだと思う。数学の厳密な進展や、医学の発展による救済に、驚きながら。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 11月16日の、第61回 覇王樹全国大会の席上で配られた、歌誌「覇王樹三重」No.125をほぼ読み了える。
 受贈は先の11月24日の記事、贈られた3冊にアップした。

 

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 「覇王樹三重」は、覇王樹の三重支社が発行する歌誌である。No.125は、2019年9月30日・刊。38ページ。
 故・N・志郎氏の巻頭言「牧水と山田など」、歌集未収の「橋田濤聲(東聲)の投稿歌十一首(「山鳩」所載)」に次ぎ、覇王樹賞受賞後作品として、K・恵美さんの「過ぎゆく日々」40首が置かれる。
 次いで橋本俊明氏の研究「坐忘居雑筆 「覇王樹」ゆかりの作家たち(32) 白瀧しほ―人と作品」が5ページに渉る。
 「作品」欄には、10名が数10首ずつ発表している。1ページ23首と、やや込み合っているのが惜しい。費用の面もあるだろうけれど、もう少し余裕がほしい。
 「サロン」と題するエッセイ欄には、9名が思い思いに綴っている。歌だけでなく、散文への欲求もあるのだろう。
 傍系誌のあるありがたさは、僕も季刊同人歌誌に父母の挽歌の連作を載せてもらって、よく知っている。
 「覇王樹三重」の編集発行人は、橋本俊明氏である。研究熱心な、爽やかな方との印象がある。


 以下に4首を引く。
 K・恵美さんの「過ぎゆく日々」より。
ときかけて一汁三菜の夕餉終う昨日もひとり明日もひとり
 O・孝一さんの「逆光」より。
逆光に車椅子押す介護士のシルエットを追ふわれは試歩行
 U・安世さんの「永らへて」より。
拳あげてオレンジ自由化反対を訴へたりしも遥かとなりぬ
 橋本俊明氏の「紅熟」より。
滝底を撃つ巌壁を水落ちて夏の那智滝男と思ふも


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